どれだけ殺したかは分からない。
 クリスは重くなりつつある腕を、大きく振るった。
 そのたびに、血が飛び散る。
 ひしゃげた肉の音が、腕を通して響く。
「――ッ!!」
 もはや、斬るという行為では役に立たなくなった剣は、相手の肉を叩き潰すようにめり込ませられるのみ。
 それでも立派に骨まで砕くことができるのは、名のある鍛治師が鍛えた物だからか、それとも振るう腕が優れているのか。
「クリス!! クリス!!!」
「――こっちだ!! クリス!」
 ガラハド団長と、ペリーズ副団長の叫びが聞こえる。
 クリスは、そこに目を向けた。
 リザードたちの壁の向こう、山の方へ活路を開こうとしている団長と副団長の姿が見えた。
(あそこまで、行かなければ)
 そう、クリスは思う。
 いつもの戦場なら、傍らにかならず仲間の騎士の姿があった。ボルスが、パーシヴァルが。レオが、サロメが、ロランが。
 その他にも、多くの騎士が。
 しかし、今は違う。
 敵、敵、敵。
 背後のみは、一人の騎士がいた。
 互いに背中を合わせていた騎士は、しかしつい先ほど倒れた。
 息が荒い。
 クリスは、麻痺した感覚で思った。
(ああ、でも、簡単ではないか)
 絶体絶命と思える女騎士が、美しい唇をかすかな笑みに形作ったのを認めて、彼女の前にいるリザードたちは息を飲んだ。
 クリスは、一瞬気圧されて動きが完全に止まったリザードたちへ駆け込んだ。
 周り全てが敵ならば、どこに剣を振ろうが構わないということ。
(……そうだろう……?)
 自らに言い、そしてクリスの思考は消える。
 ただ身体が覚え込んでいる戦いの術と反射神経だけで、腕を振るう。
 剣を振り回しつつ、相手の槍を奪うとその槍でリザードの首を貫く。
 雨のように降り注ぐ血の中で、彼女はひたすら舞い続けた。





ゼクセンの銀の乙女




「――――なんだと!!」
 本陣の天幕の中で、ボルスは、駆け込んで来たレオに吠えた。
 普段なら先輩格のレオには言動を改めるボルスだったが、その余裕もない。
 それはそこにいるパーシヴァル、サロメ、ロランも同じだった。
 レオは、荒い息のまま首を振る。
「―――すまぬ……ッ」
 ゼクセンとグラスランドの国境は、常に緊張とかすかな弛緩の連続であった。
 今年に入って結ばれた和平は、2ヶ月ともたずに崩れ去った。
 ゼクセン連邦から大空洞へ向かう途中にある山間の平野が、その戦場となる。
 そこは元々リザードの領域であったのだが、先の和平交渉でゼクセンのものとなっていたのだ。そこに、リザードたちが進軍したとの報告を受け、評議会が騎士団の出兵を命じたのだった。
 騎士団本隊は平野に陣を張り、全軍の3分の1の騎士、歩兵を従えて団長が山を迂回してもう一つの陣を張る予定だった。
 そこでリザードたちを挟み撃ちする作戦だったのだ。
 ゼクセン側の兵力は報告を受けたリザード・カラヤの軍の倍近くあり、手堅い勝利が約束されているかに思えた。
 しかし。
 元々はリザードの土地、土地勘は圧倒的に彼等にある。
 ガラハドが率いる隊が山岳の道を抜けようとした時。
 崖が、崩れた。
 おそらく自然だけの力ではなかっただろう。
 そう、レオは悔しがる。
 隊は分断された。
 ガラハドたちから引き離されたレオたちは、土砂に塞がれたそこを通ることができず、急いで本隊へと戻ってきたのだ。
「――それで、どれだけの兵があちら側に」
 サロメは何とか平静を保とうと努力しつつ、レオにそう問う。
 レオの顔は、駆けてきたというのに赤くなく青ざめていた。
「……………おそらく…。……二十騎あまり……」
「なッ!!」
 冷静を旨とするロランが、声を漏らす。
 ボルスは、震える声を搾り出した。
「……クリス様――クリス様は……?」
 彼女がレオと共にここにいないということは、どういうことか、誰にでも分かる。
 それでも、一縷の望みをかけてボルスは言った。
「……クリス様は……。レオ殿……」
「――クリス殿も、団長、副団長と共にあちら側へ……!」
「!!」
「――ボルス!! 何処へ行く!!」
 天幕から駆け出ようとする友人の肩を、パーシヴァルが掴んだ。
 ボルスは、母親を見失った子どものように震えていた。
「……助けに……クリス様を、助けに行くのだ……」
「闇雲に出て行っても、どうしようもないだろうが!」
「放せ!! クリス様を、助けなければ!! クリス様を、俺が、俺が――!!」
「ボルス!!」
 パーシヴァルが、ボルスを力任せに殴った。
「少しは頭を冷やせ!! 今飛び出したとして、どうしてクリス様を助けられる!!」
「……だ、が……。それなら、どうすればいいんだ!! クリス様が、クリス様が、今も……ッ」
 今も死神の腕に抱かれようとしているかもしれないというのに。
 言葉に出せば本当になりそうで、ボルスは唇を噛んだ。
 どんな戦場も、どれほどの敵も恐れたことはない。
 それなのに、彼女の身が危険だと思うと、身体の震えが止まらない。
「……クリス様……ッ」
 気が狂いそうだった。
 クリスを失えば、ボルスには世界を失うのと同じことだった。
「今すぐ駆け出したいのは、お前だけじゃない……!」
 パーシヴァルはそう叩きつけるようにボルスに怒鳴る。
 ボルスはその言葉に、膝をついた。
 パーシヴァルはできるだけ息を整え、サロメに寄る。
 サロメは机上の地図を一心不乱に見つめていた。
「サロメ卿。我々はどうすれば?」
「……真っ直ぐ進軍すれば、分断された向こう側に行き着くことはできるでしょう。しかし」
 サロメの顔が歪む。
「しかし、もし団長たちが山に逃げていれば合流できません。山に向かって入れば、今度は道なりに団長たちが駆けていればやはり合流できない……そして、どちらも時間がかかります」
「では、二手に軍を分けては?」
「それが、敵の狙いでしょう。……そうすれば、片方ずつ襲われるだけです」
「では、どうすればよいのだ!!」
 レオが、ダンと机上を叩く。
 サロメは、彼等を見やった。
「本来なら……。このまま撤退すべきです」
「――見捨てるというのか!!」
 レオが声を荒げる。
 サロメは苦しげに首を振った。
「団長がいれば、このまま全軍で進軍すれば、――圧倒的に兵力は上なのです――我らは予定通り勝てるでしょう。しかし団長も副団長も不在では。今はいいですが、やがて兵たちも不審に思います。士気の落ちた軍で勝てるほど、彼等は甘くありません」
 サロメはしかし、目を閉じると続けた。
「――本来なら、そうすべきです。今なら、被害は殆どありません。ですが……二手に分けましょう」
 軍師失格だ。
 そう、サロメは自分を嘲る。
 どれだけ兵たちに被害がでるかを分かっていて。
 少数を助ける望みを失わないために、多数の命を犠牲にする案を実行するとは。
 ――狂っているとしか思えない。
「――出るぞ」
 ボルスがすっと立ち上がった。
 サロメの案に否やを唱える騎士は、ここにはいなかった。
「では、レオ殿とボルス殿、わたしはこのまま前進します。パーシヴァル殿とロラン殿は山へ」
「承知」
 ロランが、頷く。
 彼等は、それぞれに天幕を出た。




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