Love panic  〜Epilog〜





「……ずるいわよ」
「……は?」
 クリスは、紅茶を口に運びながら目線を上げた。
 穏やかな昼下がり。
 珍しく執務の手もあいて、クリスはルイスが用意してくれた紅茶を楽しんでいた。
 そこへいつものようにやって来たリリィは、開口一番そう言った。
 ちなみに、クリスの従者であるルイスは可哀想にリリィに部屋から追い出されている。
「はっきり言って、あんたトコのあの騎士、あの熱血バカのボルスなんかよりよっぽどオッカナイわよ」
 ね、熱血バカって……。
 それはあまりに酷いのではないかと、クリスは彼の上司としてリリィに抗議しようとし。
 しかし、ひっかかった言葉に眉を寄せる。
「『あの』騎士……って?」
「だから、パーシヴァル」
 憮然とリリィは言う。
 これは、よほど腹が立っているらしい。
 パーシヴァルの名に、クリスは内心動揺しながらカップをテーブルへ置いた。
「パーシヴァルが、どうかしたの?」
「どうかしたの、じゃないわよ! クリス、あんた、友達を売ったわね!?」
「え……ッ。えっと……」
「朝一番にたたき起こされて、思い切り睨まれたわよ! おっそろしい笑顔でね!」
『今後、あの方を傷つけるような戯れはご遠慮下さいね』
 次があれば、許さないと。
 顔だけは涼やかな笑顔のまま、その目が言っていた。
 怒鳴り散らさないぶん、かえって底冷えするほど恐ろしい。
 自分ともあろうものが、気圧されたのが悔しい。
 だが、勘が、あの時のヤツに逆らってはマジでヤバイと告げていたのだ。
「自分とこの騎士使うなんて、ずるいじゃないのよ!」
「ご、ごめんなさい、リリィ」
 別にクリスが謝るところではないはずなのだが。思わず謝罪してしまうクリスであった。
 リリィはじと目で彼女を睨む。
「なんで、嬉しそうなわけ?」
「え! 別に、そんなこと……」
「ちょっと! 親友があんたの部下に脅されたのよ!? こんなか弱いレディを脅迫したのよ!?」
「部下……っていうか……」
 思わず、零したクリスの言葉に。
 リリィは突然目を輝かせた。
「な、何!? ついにあいつを恋人にしたわけ!? まだあれから3日目で!」
 偉い!!
 とリリィはうってかわって大満足な笑みを浮かべる。
「よくやったわ、クリス! ふふふふふ、ざまあ見ろってのよあのガキ!」
 とても大統領のご令嬢とは思えない言葉遣いである。
「私としては、バーツにしてくれてもよかったんだけどねー。その方が、あの子も悔しがるだろうし」
「??? 何の話なの?」
「まあ、いいからいいから」
 リリィは話の分かっていないクリスの肩をぽんぽんと叩くと、来たときと同じく唐突に部屋から出て行った。
 開け放たれたままの扉に、クリスは首をかしげる。
「いったい……何だったわけ……?」
 リリィとのつきあいは結構長いが、彼女の思考が読めることは少ないクリスだった。
 ルイスがまだ帰ってくる気配もないので、扉を閉めたほうがいいかとクリスが立ち上がった時。
「マジかよー!」
「ちょっと、落ち着いてよ!」
 ダミ声と、可愛らしい声が、響いてくる。
 その持ち主が分かって、クリスは額を押さえた。
 彼女もまた、リリィと全く違った意味でクリスの理解の範疇を超えている。
「おら、邪魔するぜ!」
「ちょっと、ブランキー! 失礼でしょ!」
 思った通り、クリスの部屋に現れたのは一見すると大層可愛らしい少女であるメルと、その相棒(?)ブランキーであった。
「おいおい、姉ちゃん。いい男モノにしたってホントかい?」
「ブランキー! やめなさい!」
「メ……メル……さん」
 何と答えればいいものなのか、クリスには分からない。
 少女の手の人形は、少女を見返す。
「だってよお、メル。これを確かめなきゃ賭の結果がでねぇじゃねーか」
「賭?」
 クリスが、その単語に反応する。
 ブランキーがキシシ、と笑った。
「うちのメルと姉ちゃん、どっちがいい男をモノにできるかって賭だ」
「もう! ブランキー!! ご、ごめんなさいクリス様、この子、勝手に……」
「酒場で盛り上がってよー! 総勢20名の賭けだぜ、でっかいよな! しかも殆どがメルに賭けられてたよな!」
 本拠地にいる者の大半は、クリスの鈍さが分かっている。
 そうである以上一週間という短期間で彼氏を作る確率は低い。万一賭けを知れば、クリスは反対に恋人を作ろうなどと動かないだろうことも計算済みであった。
 それゆえの高倍率なのだが。
(リ、リリィ……!)
 さすがに、怒りがわき上がるクリス。
 その様子にも気づかないのか、ブランキーが吠えている。
「やっぱりな、メルの若さにみんな賭けるってことだ!」
 ぴくり。
 クリスの頬が引きつった。
 蘇るのは、メルを仲間にした時のこと。
 小じわだの何だのと言ってくれたのだった。
 クリスも普段は意識していないとはいえ、女である。やはり、傷つくことは傷つく。
「ブランキー! クリス様に失礼でしょ! いい加減にしないと、怒るよ!」
「それにだな、相手って騎士だろ? 安心しな、メル。きっとそこの姉ちゃんが、地位に言わせて無理矢理モノにしちまったんだぜ」
 ヒドイ言われようである。
 さすがにクリスも、思わず睨む。
 本拠地内の女性陣と悶着を起こし続けるだけあって、人形の言葉は容赦なしである。
 クリスの目に気づかないわけでもないだろうに、ブランキーのダミ声は消えることはなかった。
「女も歳を食うと焦るって言うしな!!」
「――失礼」
 メルが、言いたい放題のブランキーを柱に打ち付けるより早く。
 静かな声が、メルの背後から響いた。
 怒りに震えていたクリスの力が、抜ける。
 扉が開け放たれたままの部屋の入り口に、パーシヴァルが立っていた。
「可愛いお嬢さん、少し道を譲って頂けませんか」
 メルが入り口の真ん中に立っているせいで、パーシヴァルは部屋の中に入れない。
 完璧な笑顔に、メルは微かにはにかむと道を譲った。
「ご、ごめんなさい」
 ブランキーがいなければ、殆ど完璧に可愛らしい少女である。
 が、ブランキーは彼女の腕にいるのであった。
「おうおう、兄ちゃん、いくら可愛いからってメルにちょっかいかけんなよ?」
 六騎士相手にもひるむということを知らない。
 応えてパーシヴァルは、少なくとも外見上は全く平静である。
「失礼、ブランキー殿。ご心配なく、わたしにはそっちの趣味はありませんので」
 にっこりと笑って、パーシヴァルはクリスの斜め後ろに立つ。
 メルとブランキーに向けられている顔は、優しげでさえあった。
「もちろん、バーツのヤツもわたしと同じでしょうがね」
 同郷で友人でもある農業青年の名をあげる。
 メルが、かすかにムッとした顔になる。
 パーシヴァルはクリスをちらりと見てから、メルに目を戻した。
 クリスの顔の前に、軽く腕を上げる。
 後ろからパーシヴァルの腕に視線を遮られて、クリスは戸惑った。
「パーシヴァル……?」
 何?
 完全に視界を腕で遮断されているクリスが、そう思うのは当然のことで。
 しかしクリスの問いには答えず、パーシヴァルは触れないまま彼女を後ろから抱くような位置に両腕をまわし。
 嫌味なほど優しい眼差しのままで、メルに微笑んだ。
「では、可愛い『お嬢さん』? ここからは『大人』の時間ですので、『お嬢さん』にはご退出頂けますかね?」
 完璧な子供扱いに、メルの頬に羞恥とは違う朱が昇る。
 クリスの方も頬が染まるのだが、視界が遮られているせいか、メルの視線が分からないぶんいつもよりは動転せずにすむ。
 メルとブランキーはふるふると震えた。
 相手に切れかけられるのはいつものことだが、自分のほうがそうなるのは初めてのことだった。
「ブ、ブランキー、行くよ!!」
「お、おいメル、待てよ〜」
「……扉は閉めて行って下さいね、お嬢さん?」
 騎士の声に。
 扉は大きな音をたてて閉められる。
 パーシヴァルの目から、優しい光がすうっと消えた。
 相手が子供だと思うからこそ、これくらいですませてやっているのである。
「パーシヴァル!」
 怒るその声に、パーシヴァルは表情を緩める。
「はい、クリス様」
 すっと腕を下げる。
 しかしそうすると、必然的にクリスを後ろから抱きすくめる形になる。
 クリスは、頬を染めて怒鳴った。
「な、離せ! それに、さっきの大人云々とはどういう事だ!」
「……知りたいですか?」
 ふっとパーシヴァルがクリスの耳朶に唇をかすめるようにして囁く。
 クリスはビクリと震えた。
「ち、違! 意味を聞いたのではない!」
「…………では、どのような問いで?」
「だ、だから、その、昼間から、ふざけたことを言うなという……」
 そこまで説明しなくても普通なら分かる所だが、律儀に説明する彼女が可愛らしい。
 するり、とパーシヴァルの腕が動く。
 より深く抱き締められて、しかしお互い甲冑姿のため色気のない鎧の音が鳴る。
「――夜なら、かまいませんか。クリス様」
「ッ! パーシヴァル!! いい加減にしろ!」
 耳まで赤くなる彼女のそこにそっと口づけ。
 パーシヴァルは彼女のうなじに顔を埋めた。
「つれないな、クリス……。昨日はあんなに俺を求めてくれたのに」
「!!!!!!」
 怒りも羞恥も通り越して、クリスは卒倒寸前である。
 そんなクリスに笑みを零して、パーシヴァルは彼女を解放した。
「では、夜まで我慢することにいたしますよ」
「おおおお前は、そ、そういうことを、言うなと、何度言ったら分かるんだ!」
「さあ? わたしは、正直者ですから」
 しれっと答える完璧な彼の笑みに。
 クリスはため息をついた。
「まったく………。お前のどこがよかったのか分からない」
 それは、負け惜しみではあったが。
 そのクリスのささやかな仕返しに、パーシヴァルは微塵も動揺せずに、むしろ甘い声で囁いた。
「それはゆっくりと、教えて差し上げます」
 ええ、それは、もう充分というほど。
 そう続ける部下であり恋人となった男の笑顔に、クリスは本能的に後ずさる。
「い、いや、遠慮する」
「そうおっしゃらずに」
 言って、パーシヴァルは彼女の目元へ軽くキスする。
 同時に扉がノックされて、クリスはビクリとなった。
「クリス様、入ります」
 ルイスの声がする。
「――続きは、今夜に」
 さらりと囁いて、パーシヴァルは離れる。
 ガチャリと扉が開いた。
「クリス様?」
 赤くなっているクリスに、ルイスが心配そうな顔になる。
 パーシヴァルは何もなかったように、クリスに一礼した。
「では、クリス様。失礼いたします」
「……う、うむ」
 ぎこちなく頷くクリスにいつもの笑みを残して、パーシヴァルはルイスが入ってきた扉から出て行った。
 昨日の夜までは、全くそういうものと縁がなかったはずなのに。
 いわゆる恋愛関係に突然入ってしまったクリスは、混乱せずにはいられない。
 でも、まあ……。
 クリスは、リリィのことを思った。
 賭け云々のことで問いつめようと思ったが、少しは手加減してもいいかな、と頭の片隅でそう思う。
 後日、結局賭けはクリスの一喝でなかったことになる。
 しかし、身構えるリリィに、クリスの怒りはそれほど落ちなかったとか。
 
 
 






END