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失えないこの救いを

『貴女にその資格はあるのですか?』
 ああ、そうだ。
 自分はどれだけそのことを自身に問うていただろう?
 そんな自分に、何かをすることに資格など必要ない、そう言ってくれた少女。
 彼女の言葉に、自分は自分が必要だと思うことを。そして、自分で望むことを、しようと決めたのだ。
 真の炎の紋章を、継ぐことを。
 必要だと思ったから。
 ……でも。
『資格はあるのですか?』
 あの幻術師の言葉は。
 何よりも、自分の恐れを。
 言い当てていた。






「――クリス様!」
 その、声に。
 クリスはふっと目を開いた。
 ボルスが、彼女の顔を心配そうに覗き込んでいる。
「……ボルス?」
 呟き、クリスは身を起こした。
 ズキリ、と頭が痛む。
 揺らいだ身体を、強い腕で支えられる。
「クリス様! 急に動いてはいけません」
 その腕の感触で、彼が鎧を着ていないことが分かる。
 見れば、辺りは薄暗く、ただランプの光が彼女とボルスを照らしていた。
「ずっと、気を失われていたのですから」
「……ここは?」
 クリスは、見覚えがあるベッドと周りを見た。
 たしか、自分は……。
「アルマ・キナンの宿屋です」
「そうだ……私は、真の紋章を……。ボルス」
「はい」
「あれから、どうなったのだ?」
「あの女は消えました。アルマ・キナンが一番近かったので、ここへお連れしました」
「そうか……」
 言って、クリスは自分が鎧を着ていないことに気づいた。
 ボルスはそれを察して、彼女から飛びのくと慌てたように言う。
「あの! 村の女性が、クリス様の……」
「ああ、分かっているよ……。だが、悪かったな、ボルス。私をここまで運ぶのは大変だっただろう?」
 小さく息をついて、クリスはボルスに苦く笑って見せる。
 重い鎧を着込んだ意識のない人間を連れて、あのモンスターが跋扈する森を抜けるのは容易なことではない。
 しかし、ボルスは辛そうに顔を背けた。
「そんなこと……! それよりも、俺がついていながら、クリス様をお守りすることが出来ず……」
「……真の紋章を持ち出されてはな……。お前のせいではない」
「しかし!」
 ボルスは、叫んだきり、唇を噛む。
 静まった部屋に、窓の外で鳴く虫の声が微かに聞こえる。
「……それより、これからのことだが」
 そうボルスを見上げると。
 彼はゆっくりクリスに目を戻した。
「アルマ・キナンの戦士たちが協力してくれることに。明日の朝にでも、クリス様さえよければブラス城へ出発します」
「そうか……」
 ありがたい、と胸で礼を言ってから。
 クリスはふと思いついて、ボルスを再び見上げた。
「……お前は、眠らないのか?」
「あ、いえ! ……その……医師は大丈夫と言っていたのですが、その……クリス様の意識が戻りませんでしたから……」
 心配で。
 まるで、叱られた後の子供のような顔で言い訳する男に。
 クリスはふっと表情を緩ませた。
「ありがとう。私はもう大丈夫だから、お前も休め」
「………うなされて、おいででしたが」
 彼にしては珍しく、迷ったような口調で言う。
 その内容に、クリスの身体がビクリと揺れた。
「あ、す、すみません! 俺、立ち入ったことを!!」
「……嫌……」
 構わない、とクリスは小さく呟く。
 耳の奥に残るセラの声は。
 あれは、自分の声でもあるのだと知る。
 ユンの言葉で、自分は迷いを捨てたはず。
 それなのに、こうも簡単に揺らぐ。
 その心が、情けなかった。
 そして問いは巡るのだ。
 こんな自分に、英雄を名乗る資格があるのか、と。
 クリスは目を閉じ。
 そして、自分を支える騎士を見た。
 いつもの彼女なら、全てを胸に収めていただろう。しかし、今、そうするにはクリスは身体も心も疲弊していた。
「…………私には、炎の英雄を名乗る資格があるのだろうか」
「!」
 ボルスは、セラが言っていた言葉を口に出すクリスに驚き。
 だが、ボルスは一欠片の迷いもない声で、強く応えた。
「もちろんです」
「…………」
「貴女以上に、それができる者などありません」
 目を伏せる彼女を力づけたくて、ボルスは必死で訴える。
「クリス様。そんなことはあり得ませんが、もしも――もしも、貴女が英雄として立って、失敗してしまっても。その時は他の誰も出来なかったという事なんですから、気になさる必要もない。貴女に出来ないことを、他の誰が出来るものか。貴女に資格がないなら、他に資格のある者などおりません」
 クリスは、英雄を演じることを決めた以上、それを放り出すことなどできなかった。
 だから、力が欲しかった。自分のその決意を、後押ししてくれる力が。
 クリスの願った通り、ボルスは彼女を肯定してくれる。
 立つ力を、与えてくれる。
「………ありがとう」
 クリスは、ボルスに微笑んだ。
 泣きそうな、顔で。
「お前は、いつも、私が欲しい言葉をくれる」
 力が欲しい時に。自分が信じられない時に。
「お前なら、そう言ってくれるんじゃないかと思って、聞いたのだ」
 クリスは、力無く笑った。
 なんて、自分は浅ましい。
 そして卑怯なのだろう。
「……ずるいだろう?」
 この男の真っ直ぐな好意と信頼を利用して。
 自分を守ろうとしている。
 ボルスは、強く、首を振った。
「いいえ! いいえ、いいえ――!!」
 そして。
 ボルスはクリスの瞳を真っ直ぐに見つめる。
「俺は、クリス様が問えば変わらず応えます。今も、そしてこれからも。貴女は正しいと。何度でも」
「ボルス……」
「たとえ他の誰が、貴女を責めても。貴女自身が、貴女を許せなくても。俺は、貴女が正しいと言いつづけます」
 それは完全な許し。
 それは全てを受け入れる言葉。
「……俺は、どんなことがあっても貴女の味方です」
「…………」
 クリスの頬を、涙が零れた。
 ボルスは、焦る。
「す、すみません! 俺、何か、悪いことを!?」
「……違う……。違うんだ、ボルス……」
 お前の言葉が嬉しいと、涙を拭ってクリスは微笑む。
 両親の愛情を直に知らず。ただ自分を許す存在を知らない彼女は、そうされることが胸に痛いほど幸せなのだということを、初めて知った。
 ボルスは。
 そんな彼女を熱い眼差しで見つめ。
 そして、唇を震わせた。
「………あ、……貴女に、……触れても、いいですか」
 その言葉に、ボルスに負けずクリスの頬が朱に染まる。
 クリスは、ゆっくりと自分に伸びてくる彼の指を見ていた。
 ボルスの震える指が、彼女の唇に微かに触れる。
 それは、本当に、微かで。
 しかし、身をそらさない彼女に。
 ボルスの指は震えるまま唇をなぞり彼女の頬へと。
 そのまま、彼の手はクリスの頬を包む。
 クリスは、動けなかった。
 ボルスの熱い眼差しに。そして、まるで拒絶されるのを怖れるかのように震える彼の手に。
 愛されている。
 そう感じた。
 そして。
 失いたくないと。
 そう思った。
「ボルス……」
 この男が愛しいと、そう思った。
 クリスは小さく微笑んで。
 その微笑にボルスは一瞬泣きそうな顔になり。
 そして、ゆっくりとクリスの額にそっとキスをおとした。
 クリスは、目を閉じる。
 失えない、と。そう、思った。
「私の傍から、離れないで……」
「――ああ!!」
 それは、クリスへの返答か、それとも歓喜の叫びか。
 ボルスは荒々しく、強く彼女を抱きしめた。
「クリス様……ッ」
 離れない、放すものか……!
 そう叫ぶ彼に。
 失えないのは、自分の方なのだと、クリスは思った。





 END