my little lover U






 追って来たリリィたちを振り返ると。
 クリスは、騎士たちの間に駆け込んで、ボルスの後ろに隠れた。
「ク、クリス様……」
 ボルスは、彼女の視線に合わせて思わず片膝をつく。
 リリィとアップルはそんな彼らの前に立った。
 クリスは、ボルスの背中ごしに彼女たちを見上げると。
 ぎゅ。
 そう、ボルスの服を掴むと彼の背中に隠れるようにひっついた。
(ク、クリス様!!!)
 先ほどまでの不機嫌さは吹き飛び、ボルスは胸を張った。
「ご安心を、クリス様!」
 顔だけ背のクリスに振り返り、頷く。
「このボルス、どのような敵からもクリス様をお守りいたします!!」
「……誰が敵よ」
 氷点下以下のリリィの眼差し。
 パーシヴァルは、深くため息をついた。
 サロメが、アップルを見る。
 アップルは困ったように微笑んだ。
「家に帰りたいって……。当然でしょうね……」
 今のクリスは幼い少女だ。家や家族を恋しがって当然だった。
 彼女にしてみれば、周りは知らない者だらけなのだから……。
「しかし……」
 サロメは、唸る。
 家と言っても、今はクリスの両親はどちらも他界している。
 六騎士たちは本拠地となっている城から動くことはできず、かといってゼクセの家に彼女一人置いておくのは不安だった。
「でも、大丈夫みたいね」
 アップルの明るい声に。
 騎士たちは顔を上げた。
 アップルはボルスにしがみついているクリスを目でさす。
「記憶がなくても、貴方たちのことは信頼してるみたい。意識の下で覚えているんだわ」
「しかし、昨日は我々のことも……」
 完全に幼い子どもに戻ったクリスを複雑な目で見ながら、ロランは言う。
 それに、アップルは笑った。
「それは、あれだけいきなり怖い顔で怒鳴り込んで来たら、誰でも驚くわよ」
「クリス様、心配ありません!!」
 普段のクリスに向けるのと同じ熱さで、ボルスは少女に言っていた。
「俺が貴女を守ります!」
「…………お兄ちゃんは?」
「ボルス、と呼んで下さい、クリス様」
 そんなやりとりを横目に、アップルは笑って言う。
「私たちより、貴方たちがクリスさんについていたほうがいいみたいね」
 かくして。
 少女クリスには、彼ら騎士が順番につくことになった。








 クリスがボルスにしがみついたことで、成り行き上今日はボルスがクリスの相手をすることになった。
 ボルスが内心――いや、十分外に表れていたが――喜んだことは言うまでも無い。
 ボルスはクリスの部屋で、食堂で用意してもらったケーキを食べる彼女を眺めていた。
 銀の髪は流れるように長く、アップルたちの手により着付けられた少女らしい服を来てケーキを食べるクリスは、人形のように可愛らしかった。
 しかしその頬は生気に溢れ、当たり前だが騎士団長の彼女より表情は豊かに変わる。
 もちろんボルスは本来のクリスの全てが好きだったが、今の彼女も新鮮だった。……が、これではギョームを非難できそうにないことに、自分では気づいていない。
 ケーキを食べ終わった幼いクリスは、ボルスを見た。
 ボルスは、身についた習慣で居住まいを正す。
「クリス様、何か」
「………あの……」
「はい」
「ボルス、様」
 ボルスは、彼女の唇から漏れた敬称に驚く。
「クリス様! どうか俺のことはボルス、と呼び捨てて下さい」
「でも……。ボルス様は、騎士様、でしょう?」
 クリスはそう、首をかしげる。
 そうか、とボルスは思った。
 クリスの父ワイアットはゼクセンの騎士だった。彼女がゼクセン騎士団の甲冑を知っているのも不思議ではない。
「いえ……確かに、俺は騎士ですが……。しかし……」
「それに、どうして、私を「様」って呼ぶんですか?」
 わずか5,6歳でもしっかり礼儀の教育を受けてきたクリスらしく、ボルスに敬語を使う。
 ボルスは困ったような顔になり。
 そして、クリスに近寄った。
 椅子に座ったクリスの視線に合わせて、膝をつく。
「俺に敬語は不要です、クリス様。俺は………」
 なんと説明すれば、いいのだろう。
 そう、ボルスは悩んだ。
 『貴女を愛しているから』?
(……ダメだ、それでは変態だ)
 ボルスは内心首を振った。
 昔から、騎士の貴婦人への愛の礎は崇拝と決まっている。だから間違いではないのだが、いかんせん幼女と言っていい彼女に向かって言う言葉ではない。
 ボルスは悩んだあげく。
 クリスを見た。
 クリスはじっとボルスの言葉を待っている。
 真っ直ぐな瞳。
 アメジストを思わせる、澄んだ目。それは、普段の彼女と同じで。
 ボルスは自然に言っていた。
「俺は、クリス様の騎士ですから」
 貴女の剣であり、貴女の盾。
「いつ、いかなる時も」
「……でも」
 クリスは、少し目をそらした。
 ボルスは、彼女を見つめる。
「でも?」
「私も、騎士になりたいの」
「はい」
 ボルスは、嬉しそうに笑う。
 その気配に、彼女は驚いたようにボルスを見た。
「驚かないの?」
「いいえ」
「だって……ルシエラは、私が女の子だから、無理だって」
 悔しそうに、クリスはうつむく。
 ルシエラ?
 ボルスは、その名前と一致する人物を探す。
 すぐに思い当たった。
 現評議会議員の一人娘で、いわゆる上流階級の淑女だった。たしか、クリスと歳はそう変わらないはず。
 ボルスの家も良家のため、舞踏会で顔を合わすことも少なくない。
(……クリス様を侮辱するとは、あの女、今度会ったら許さん)
 とても騎士とは思えない思考である。
 しかもそんな昔のことで責められたのでは、彼女もたまったものではないだろう。
「でも、私、騎士になりたい。そうしたら、きっと、お父様も……、お父様も、帰ってきてくれるもの」
「………クリス様……」
 ボルスは、少女を抱きしめた。
 彼女は、先日父親を亡くしたばかりだった。悲しい顔など、決して見せなかった彼女だったが。
 それを知っているボルスは胸が痛んだ。
 ずっと誰かに言いたかったのだろう。
 幼い少女はボルスの胸で泣き出した。
「ずっと、お母様が泣いているの。お父様が、帰ってこないから……。ねえ、私が、男の子じゃないから? だから、お父様は……」
「いいえ!」
 ボルスは、強く言う。
 良家が男の後継ぎを望むのは、誰もが知ることだった。幼いクリスは、ライトフェロー家が騎士輩出の名家であるのを知っていて、そう誤解してもしかたなかった。
 ここでワイアットを胸で罵ってしまう自分は、やはり冷たい人間なのだろうかと思う。
 けれど、腹立たしくてならないのだ。
 彼がクリスたちを置いて行った理由を、今は知っている。
 それでも、男なら――いや、一度は騎士であったならば、もう少し良い姿を消す方法があったのではないか。何も言わずに妻と子を置いて行くことは残酷なのではないか。
「だから、だから、私、強い騎士になるの。お母様を、私が守るの。――でも、でも、女の子が強い騎士になんて、なれないって、皆が言うの」
「貴女は最高の騎士だ」
「え?」
「あ、いえ、最高の騎士に、なれます」
 クリスは、顔を上げる。
「……ホントに?」
「必ず」
 ボルスは、頷く。
 クリスは、涙がたまった目でボルスを見る。
「………じゃあ、もう、泣かない」
 クリスはごし、と目をこすった。
 強くこすったせいで、目元が赤い。
「私、強くなる。もう、泣かない」
「心配いりません。クリス様は、強くなります。ですが」
 ボルスは少し考えてから、小さなクリスに笑いかけた。
「泣きたいときは、泣いても構いません」
 ボルスは一歩下がると、彼女の小さな手をとった。
 幼い少女。
 けれど、それはまぎれもなく、クリスで。
「俺は貴女の騎士です、クリス様」
「…………」
「貴女が幼くとも、大人でも。強くとも、弱くとも。騎士であっても、そうでなくとも。どんな事を貴女が成しても、あるは何も成さなくとも。どんな貴女でも、それが貴女ならば」
 ボルスはその手に接吻する。
「俺は貴女の味方です。もしも、たとえ――どれほどの正義が貴女に対する者にあったとて、俺は貴女の味方です」
「ボルス……お前という男は……」
 微妙な口調の変化に、ボルスは驚いて顔を上げる。
 上げた先のクリスの顔は、やはり少女のままで。
 だが、その身体が大きくかしいだ。
 ボルスは咄嗟に、椅子からずり落ちる少女の身体を抱きとめる。
「う……ッ」
 クリスの唇から苦しげなうめき声が漏れ。
 その身体は少しずつ大きく変化していく。
 驚いたボルスだったが、少女の小さな服にクリスの戻って行く身体が苦しげにのたうつのを認めて、考える間もなく剣を抜いた。
「クリス様!!」
 ボルスは、剣でクリスの服の端を切ると、両手でいっきに引きちぎる。
 それと同じくして、クリスは元の姿に戻った。
「クリス様! 大丈夫ですか!!」
 ボルスは膝をついて、クリスを床に横たえ。
 その姿に一気に赤面した。
 白い肌に、思わず目を奪われる。
 長い肢体は少女の服の残骸に隠れられるわけもなく。
「クリス……様……」
「……ん・……。ボルス、か?」
 けだるげにクリスは瞳を開いた。
 むくり、と起き上がり。
 やけに涼しい上半身に、クリスは自分をうつむく。
「!!!」
「あ! いえ!! 見てません!! 俺、見てません!!」
「きゃあああああああ――――ッ!!!!!」
 クリスが身を腕で抱きしめて出た悲鳴は、ボルスが聞いたことのない素晴らしく女性的なもので。
 思わず、ボルスはクリスを見る。
 クリスはハッと我に返り。
 ボルスに負けないほど赤面した。
「馬、馬鹿! 見るな!!!」
「あ、す、すみません!!」
 急いで、顔を横に向ける。すると。
「クリス様!!!!!!」
 飛び込んで来た騎士たちと、目が合った。
 騎士たちはその二人を見。
 サロメがブルブルと震える。
「こ、これは、どういう……」
「ボルス!!」
 パーシヴァルが、珍しくボルスに激昂する。
 ボルスは激しく首を振った。
「違う! 違う!!」
 いつもと逆のパターンだが、それを突っ込めるルイスはゼクセのクリスの家へ荷物を取りに行っていていない。
 ロランが無言で背中の矢筒に手を回したのを認め、ボルスが青ざめる。
「バ、馬鹿、やめろ! 俺はまだ何もしてない!!」
「『まだ』だと!!」
 怒る、レオ。
「お、お前、たち………ッ」
 ふるふるとクリスが震えている。
 彼らの騎士団長の声に、騎士たちはクリスを振り向く。
「さっさと、出て行かんか―――ッ!!!!」
 至極最もなことを、クリスは叫んだ。






 その後3日間、騎士たちは彼らの騎士団長に口を聞いてもらえず。
 八つ当たりか、最もな報復か、騎士たちに引きずっていかれたギョームの姿も、3日間城の誰も目にすることはなかったという。


                       
END