カゼ ノ ウタ![]() |
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空は続いていた。 どこまでも、果てしなく。 その空の下を疾走する風が、草原を撫ぜていく。 この瞬間が、なにより心地よい。 駆ける駿馬の嘶きを聴きながら、パーシヴァルは手綱を引いて振り向いた。 さすがに追いついてこないか。 そんな意地悪を自覚して、多少なりとも罪悪感を抱く。 …しかし、それもつかの間のこと。遠乗りを誘ってきたのはボルスなのだ、少しぐらいの意地悪は愛嬌というものだと勝手な解釈をして、パーシヴァルはひとり微笑んだ。 和平調停の会談も大詰めに迎え、騎士団は本拠地としていたブラス城に別れを告げ、ゼクセに帰郷していた。会談を数日後に控えている今では、数ヶ月前の血生臭い殺し合いなど幻であったかのように、いたって平穏な日々が続いている。 だが、正念場はこれからだ。 調停には評議会代表が出席することになっていた。そのため騎士団は警護を任されており、いまだに甲冑の装着は義務づけられている。当然だろう、両国の緊張が緩和されたように見えるのは表面上のこと。和平への希望的見解の食い違いがあれば、たちどころに戦争へと逆戻りなのだ。 それなのに馬上のパーシヴァルは身軽なものだった。どこから見ても、ただ乗馬を楽しんでいるだけの人物。くわえて端整な風貌と、騎士団で磨き上げられた物腰を考慮すれば、貴族青年が上流階級の娯楽を楽しんでいるといったところ。 しかしながら、実のところ貴族出身でないのは誉れ高き六騎士のなかでも彼ただ一人。いわゆる大出世というやつなのだが、出世を自慢することも、傲慢になることもない。そんなことをするほうが面倒だと本人は思うのだが、なぜか、そういうところも街娘には魅力的に見えるらしい。 パーシヴァルは軽く息を吐くと、馬頭を背後へと向ける。きっとボルスは、その貴族の娯楽とやらを堪能しているに違いない。 …いや。 もしかすると馬術では敵わないことに躍起になって追いかけているかもしれない。そんな想像に、自然と微笑がこぼれた。 上流階級で育ったお坊ちゃまであるにもかかわらず、貴族らしからぬ血気盛んな性格と、あの可愛らしいとも表現すべき純情さには、パーシヴァルとて頭が下がる。よくもまぁ、こんなに対照的な人物が自分の親友になったものだと思うが、ずっと間近で見てきた者としては、それがボルスの愛嬌なのだとわかっていた。 風は大地を駆ける。 草原のざわめきに紛れ込むように、馬が大地を蹴りつける音が響いた。 パーシヴァルは視線を飛ばした。 追いついたかと思った。予想外の方向であったから近道でもしたのだろうと察し、どんなふうにして揄ってやろうかと反射的に考えていた自分に笑った。 だが、その姿を捉えた瞬間、言葉を失っていた。 「…………クリス様……」 我が目を疑ったのは言うまでもない。ゼクセン騎士団を統括すべき銀の乙女が、颯爽と草原を駆けていたのだから。 調停に際して、クリスはゼクセン連邦の代表者として出席することが決定している。ゆえに評議会との歩調合わせのため、いつもなら剣呑な議員たちと一緒になって目を回すようなスケジュールをこなしていた。こんなところで乗馬を楽しんでいるはずがないのだ。 しかしながらパーシヴァルは、あの女性のことをよく知っている。ゼクセンの人々から信頼と羨望を一身に浴びている美貌と気品は、どれほど遠くても見間違うはずはない。たとえ、それが風の悪戯にまかせて長い銀髪を遊ばせていようとも。 そう確信する。 風のような人なのだ。 激しく大空を駆け、優しく草原を撫でる。 それは戦場においても同じで、彼女は、血生臭い草原を吹きぬける風のように自分たちを導いてくれる。 ふと、彼女の視線がこちらを向いた。 白馬は手綱に従って、速度を落とす。 なのに、どうしたことかパーシヴァルの方へ近寄ることも遠ざかることもしない。こんな見晴らしの良い草原だから隠れるところもない、こちらに気がついているはずである。今更なにを躊躇うのか…。 彼女の不可解な行動を、訝しげに眺めていたパーシヴァルだったが、ようやく思い至った結論に苦笑した。 見れば、彼女は平服なのだ。つまるところ自分たちと同じく規則違反をしての遠乗り。おまけに会談前の大事であるにもかかわらず、護衛が見当たらないのもおかしな話である。 しかも可愛らしいことに、どうも内緒にしていた遠乗りを見つかってしまったことに困っている様子。上司であるという権限を振りかざせば誤魔化せるという思考には至っていないところが不器用な彼女らしくて、パーシヴァルは微笑をこぼした。仕方なく…というより、喜んで、救いの手をさしのべるため馬腹を蹴った。 だが近づくにつれて、彼女がクリスであるというパーシヴァルの絶対的な確信が揺らいだ。なんといっても白馬に騎乗した姿は、彼の予想をはるかに超えるものだった。 秀麗な顔立ちに美しい銀髪。身に纏っている平服は女性らしさを欠いたものだが、それさえも彼女の女らしさを際立たせるための装飾品に思える。 しかし毅然とした表情は、いつもの彼女そのままで。 パーシヴァルは感嘆していた。 胸中で遠乗りを誘ってくれた親友へ、それから、その親友がこの場にいないことへ…少なからず感謝しながら。 「……クリス様」 「あ………パーシヴァル、か……」 一瞬、瞳孔にはマズイという表情が浮かぶ。そう思うのなら、気がつかないふりをして走り去ればよいのにと思うのだが、そうなると、こんな幸運にめぐり合えなかったわけで。 パーシヴァルは思考を一掃すると、手綱を引いて、クリスの顔がよく見える位置に愛馬を留めた。 「こんなところで、どうなさったのですか?」 「ああ…どうもしないのだが……」 クリスは平然と微笑んでいるらしいが、どう見ても困っているふうにしか見えない。 パーシヴァルは愛馬の鼻先を彼女のそれに近づけると、ゆったりと微笑んだ。 「そのご様子ですと、評議会との会合は終わられたのですね」 「ああ…だいたいの調整は済んだ。当日になって評議会が意見を変えなければの話だがな」 クリスはほっとした様子で笑みを返す。 するとパーシヴァルは口端を上げる。おそらく意地悪に見られるであろうことを想定に入れて。 「それにしても、甲冑はどうなさったのですか?」 「え?」 「調停に向けて休戦中とはいえ、いつ危険に晒されるかわかりません。甲冑は常に装着しておくようにと伝令されたはずでは」 「あ……け…剣はある。危険になっても、わたしなら大丈夫だ」 「しかし護衛もいないのでは、多勢で襲われると有利とはいえませんよ」 「それは、そうだが………おまえだって……」 「ああ」 責めるような、それでいて拗ねているような視線に、パーシヴァルはにっこりと微笑む。 「おれは、落とした甲冑を探していたところです」 「落とした…………?」 「ええ。あまりにも心地がよいもので、つい、うっかり」 「うっかり……?」 クリスは唖然とした。長い睫を震わせながら瞬きを数回繰り返したのち、ようやく冗談であると見当がついたらしい。唐突に、ぷっと吹き出す。 「…それは難儀だな。この広い草原で探すとなると大変だろう」 「ええ。しかし緑一色の草原でなら銀色に光っている甲冑は探しやすいだろうと思っていたのですが……どうやら輝いているのは貴女だけらしい」 「おまえは、相変わらず口が上手いな」 クリスは困ったように眉を寄せる。 「銀色の甲冑は、ゼクセン騎士団の誇りだ。それを忘れて甲冑の手入れを怠るから、こういうことになるのだ」 「肝に銘じます」 「うむ」 「それにしても貴女の銀髪はお綺麗だ。さすがは団長、よほど手入れをなさっているらしい」 「え?」 唐突に言われて、クリスはきょとんとした。そして、ゆるゆると上目遣いになり、前髪を眺める。 「…そう、かな」 「貴女は騎士団の誇りです。息抜きをしたいのはわかりますが、今はゼクセン連邦にとって大事なときです。どうぞ自重なさってください」 「ああ……」 さすがに、クリスは頭を垂れた。すべて見透かされていたことに苦笑が浮かぶ。 「…すまない。心配をかけた」 「いいえ。おれは乗馬を楽しんでいるだけです。まだ危険が去ったわけではありませんよ」 そう言って、パーシヴァルは微笑む。 今頃、クリスの警護についていた者は大慌てだろう。それが熱血漢のボルスならば彼女を捜して、さらに大変なことになっていたかもしれない。その反面、彼が警護についていたなら彼女がこんなふうに一人で馬を走らせることはなかったと思い至る。 それだけ信頼している。 そして、されているのだ。 剣を振るうパーシヴァルの背中を預けられるほど。 騎乗する彼女の脇をいつも許されるほど。 ボルスは…。 刹那、パーシヴァルの唇から溜息が漏れていた。どうも自分は、いろいろなことに気を回しすぎる。せっかく敬愛する女性と二人きりだというのに…。 だが、まぁ仕方がない。 そう胸中で呟いてパーシヴァルは納得する。そんなふうに割り切ってしまうところが自分でも嫌になるのだが、こればかりは性分である。どうしようもない。 おそらくクリスが内緒で遠乗りをしたくらいでサロメたちは慌てないだろうが、そのことが評議会の耳に入れば腰を上げないわけにもいくまい。それに乗馬を楽しんでいる彼女を、いつまでも拘束していると追っ手に見つかってしまう。 追っ手、か……。 パーシヴァルは、また意地悪なことを考えている自分に苦笑した。 しかし、クリスは馬を動かそうとしなかった。じっと黙ったまま、何かを考えあぐねている様子。 「……クリス様…?」 不思議に思って声をかけると、クリスは声を抑え、深刻な顔で重々しく口を開いた。 「さっきの話だか……」 どれ? パーシヴァルは眉間にしわを寄せた。わからない。大体、そんな神妙な口調で問われるような会話をした覚えがない。 「なにか?」 戸惑いながらも、問いただす。 すると、すがるような瞳がこちらを見つめた。 「…あの………良ければ…わたしも一緒に探そうか?」 「え?」 「………その………甲冑を……」 「は?」 唖然とする。 「あ……いや…………」 今度は、口篭もりながら視線を逸らす。なんとも可愛らしい。 パーシヴァルにしては珍しくポカンと開け放ってしまった口を、ゆっくりと微笑みに作りかえた。 「クリス様」 「………すまない」 「いいえ、謝られることはありません。女性に口説かれるのは、経験がありますから」 「ちがっ……ご、ごかいだっ……その…わたっ…わたしはっ暇を見つけて抜け出したことの言い訳をだな………」 「それでは逢引ということで」 「なっ…なぜっ……そうなるっ!」 うつむきかげんに傾けていた顔が、耳まで真っ赤になって、ますます下を向く。この調停がどれほど重要なものかを承知しているだけあって、ちょっとした気まぐれを起こし、その言い訳を考えていたことが余計に恥ずかしいのだろう。小さく首をふっている姿からは、男顔負けで剣を振るう騎士団長の威厳など見あたらない。なんというか、少女のように愛らしのだ。思わず、パーシヴァルは頬を緩ませた。 彼にしてみれば、それは嬉しい発言で。 すべてを投げ出して、賛同してあげたい気分で。 もう少しだけでも乗馬を楽しませてあげたいのだが…。 それでも。 うんざりすることに、状況把握が得意な性格だった。 さらに、遠乗りをしている自分には連れがいる。 パーシヴァルはクリスに向き直ると、残念そうに笑った。 「……しかし、こんなところで護衛もつけず、甲冑も着けていない貴女をボルス卿が見れば五月蝿いですよ」 「そうか、すまない。あ、でも…ボルスが一緒なのか…」 クリスは納得したように頷いた。だが、口は閉ざされることなく次の言葉を結ぼうとする。 「でも、ボルスがいれば……」 「クリス様」 パーシヴァルはそれを遮った。 「貴女が館内にいらっしゃらないことは、すでに誰かが気付いているはず。ですがサロメ卿のことです。うまく誤魔化しているでしょう。ですから今しばらく乗馬を楽しみながら、お帰りになればいい」 つまるところ、こんなおいしい場面を誰にも邪魔されたくないだけなのだ。 きっと先ほどの言葉も、ボルスがいれば都合がいい、とでも彼女は呟きかけたに違いない。いつもクリスの警護を志願している彼が一緒なら、表面上の体裁が整うとでも思いついたのだろう。 それも、いいかもしれない。 それでも、ここにはいて欲しくはない。 せめて今だけは、眼前の美しい光景を自分だけのものにしておきたい。 しかしながらクリスはパーシヴァの胸中など知るよしもなかった。なにより彼の笑顔は、純粋な好意であるとしか語っていないのだから。 「…わかった。ありがとう」 クリスが、いつものように笑顔になる。 そうして馬頭を巡らして駆けていく彼女の銀髪に目を奪われながら、パーシヴァルは小さく呟いた。 「風は空を駆けていた方がいい」 その想いは、彼女へ伝わっただろうか。
程なく、駆ける馬蹄の音が草原に響いた。 「パーシヴァル!」 こちらも久しぶりの遠乗りにご機嫌らしい。パーシヴァルは、少年のように屈託なく笑っているボルスに馬頭を向けた。 遅かったな、そう話しかけようとした。しかし歩み寄ってくる馬上の親友は浮かぬ顔をしている。 「どうした?」 「誰か、いたのか?」 その問いかけに、さすがのパーシヴァルはギョッとした。まさか、バレるはずがない。 それでも頭のどこかで警戒していたのだろうか、口から出た言葉には疑問符がついていた。 「……なぜだ?」 「なぜって」 逆に問い返されて、ボルスは面食らった。あまりにも当然のことを覆されたような表情になって、馬鞭を指先だけで持ち直すとパーシヴァルの馬脚付近を示す。 「馬が踏み荒らした跡がある」 「そうか…」 忘れていた。 パーシヴァルは胸中でひそかに毒づいた。 「さっき狩人が通ったからな。軽く、挨拶をした」 「狩人だと? 狩場はもっと南だろ。随分と遠回りをしているな」 呆気にとられるボルス。パーシヴァルにしてみれば予想通りの反応だ。だからこそ眩しそうに目を細めて、草原に視線を巡らせる。 「この丘ならばゼクセの街が一望できる。おれたちと同様、きっと彼女もこの風景が見たかったんだろう」 「なんだ。やっぱり考えることは、みんな同じか」 思った通り、すぐさまボルスは警戒を解いて頬を緩めた。 ここからの風景が、なにより美しい。 そんなふうに遠乗りを誘ったのは彼なのだ。太陽の光を浴びて輝いている草原と、その向こうに広がる賑やかなゼクセの街並み。祖国を愛する者なら誰もが求めるこの絵画的な風景を眼前にして、ボルスが、すべてを忘れて感銘しないはずはないのだ。なのに………。 …意に反して、彼は素っ頓狂な声をあげた。 「カノジョ? 狩人は女性だったのか?」 刹那、パーシヴァルは失態に舌打ちする。…マズイ。 それでも自分で感心するほど沈着冷静である。 「ああ、最近の女性は快活だな」 そつなく、さらりと流してしまう。さすがは誉れ高き六騎士になれただけの力量だと自画自賛したくなるが、見ればボルスの瞳には訝しげな光しかない。 「もしかして、クリス様がいらっしゃったとか…」 なぜ、そうなる? …という疑問をパーシヴァルは辛うじて飲み込んだ。クリスに関わると、すべてが盲目的になってしまうボルスの頭脳を呪いつつ、さも可笑しそうに肩を揺らせてみせる。 「どうしてクリス様なんだ。飛躍しすぎだ」 「そうか?」 「そうだ」 当然、断定する。願わくば、この件に関しては、もう二度と質問してこないことを祈って。 だが、ボルスは睫毛に覆われて鳶色に陰っている瞳に映った、さも不審そうな表情を隠そうともしない。さらには、またしても再び、ありがたくない疑問を投げかけてくる。 「しかし」 「…なんだ?」 「この馬蹄をつけた馬は右前脚を内側に蹴ってるぞ」 「……なに?」 「だから、癖だ。右前脚を内側に蹴っている。クリス様の白馬にも、そういう癖があるんだ。気づいていらっしゃらないようだが」 なぜ、そこまで知っている…? さすがにパーシヴァルは唖然とした。騎士見習いのルイスならともかく、ボルスが彼女の脇につくときは常に騎乗しているはずである。当然のこと、馬脚の様子など判らない。それなのに、なぜ、おまえが詳しい…。 …なんて胸中を吐露することは出来ない。パーシヴァルは知らないふりで肩をすくめた。 「獲物を右側に吊るしていたからな、馬にすれば片側だけに体重がかかる。どうしても右側を踏ん張らなければならなくなるし、内側へ蹴りこむ力も強くなる。そういうことだろ」 「それにしても妙だな」 「………なにがだ?」 「だって、考えてもみろ。あの辺りの狩場にいるのは兎か鹿だ。兎は軽すぎて馬の負担にはならないし、鹿なら鞍の後ろに積むだろう?」 「後には荷物があった。よく見えなかったが」 苦しい。かなり…。 珍しくペースを乱され、気づけば勝手に溜息まで出ている。 だが、ここで折れるわけにはいかなかった。事実を知れば、きっとボルスのことだ。地の果てまでもクリスを捜しに行こうとするに違いない。去りゆく彼女が見せた笑顔…それだけは死守せねばと、パーシヴァルは信念にも似た義務感に駆られる。 「……なぁ、ボルス」 「ん?」 「おまえは、今のクリス様がどんなに大変か、まさか知らないわけではないだろう?」 「ああ」 不思議そうにきょとんとしたボルス。 ここにきてパーシヴァルは、先刻の溜息を呆れたときのそれに見えるよう心掛ける。 「ならば、なぜ、ここにいたのがクリス様だと考えるんだ」 「それは………」 「いいか、ボルス。調停を控えて忙しいクリス様が、こんなところまで乗馬にくる時間はない。たとえあってもサロメ卿が許すはずないじゃないか」 「…………」 「それに。今、あの方には護衛が二人以上ついているんだぞ。だが、どう見ても馬蹄の跡は一頭のみ。それでもクリス様だったと思うのか?」 すでに脅迫である。ボルスは、すっかり怒られた子犬のように口を噤んでしまった。それでも腑に落ちない視線がパーシヴァルを苛む。 「パーシヴァル…」 「なんだ?」 口調こそ優しいけれど、真実、パーシヴァルの胸中は穏やかでない。 そんなことを知るよしもないボルスは、子供のように思いついた疑問を容赦なく投げつけてくる。 「この跡は、どうみてもゼクセン騎士団の騎馬にしか使われていない蹄鉄だ。一般人の馬に使われるはずがない」 そこまで見るかっ! …なんて怒鳴りたい心境をグッと堪えて、パーシヴァルは平静をよそおう。 「おおかた戦場で騎士を失った騎馬が彷徨っているのを捕まえたんじゃないのか」 「それにしても、ゼクセの街は戦場から遠いぞ」 「かといって可能性がないわけでもない。だろ?」 「それは、そうなんだが……どうしてパーシヴァルは、ここにいたのがクリス様じゃないとハッキリ否定しないんだ?」 「…………………」 確かに。パーシヴァルは心底から溜息をついた。 「そうだな。じゃあ、そういうことにしよう」 「なにが?」 「だから、そんなに疑うのなら、ここにクリス様がいたことにするさ」 「なんでっ」 途端に、不機嫌にボルスは唸る。 ちらりとパーシヴァルはその様子を見て、忌々しそうに、また溜息をついた。 「おまえが納得しないなら、そういうことにするしかないだろう。クリス様は評議会との会合を抜け出して、護衛もつけず、ここで乗馬を楽しまれたことにする。ついでに、おれたちみたいに規則違反をして甲冑を脱いでいたのかもしれないな」 「なんでっ、そうなるっ!」 「そうでなければ、ボルスが納得できないんだから仕方ない」 「クリス様がっ………」 カッっと頬を染めると、ボルスは怒鳴った。そして何か小さく呟いて沈黙する……が、それも一瞬のこと。次の瞬間には、恨めしそうにパーシヴァルを睨んだ瞳が、眩しいばかりの金色に輝いていた。 「クリス様が、そんなことをなさるはずがないっ」 なら、なぜ疑う! …てな胸中の叫びは無論のこと、口に出してはいない。もう結論は出たのだ。ボルスにとって、これ以上の結末は必要ないだろう。 なんだか妙に不機嫌になってしまった親友に呆れるやら、可笑しいやら、パーシヴァルは苦笑しながら馬頭を巡らした。 ボルスもそれに倣う。が、どうも喉に小骨でも引っかかったみたいな顔をしている。 で、こちらの横顔を伺うのだ。なぜか申し訳なさそうに。 「………なぁ……パーシヴァル…」 「なんだ?」 「……もしかして、おれ、逢引の邪魔をしたのか?」 「そうだな。そういうことにしておこう」 「なんだよっ、それ……?」 ますます口を尖らせるボルスを、パーシヴァルは意地悪に口端を上げて笑う。 そして馬腹を蹴った。 刹那、風を感じる。この瞬間が、なにより心地よい。 今頃は、きっと彼女も同じことを考えているだろう。そう願い、パーシヴァルはひとり微笑を浮かべた。
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