いつも決まって行く事にしている、夕刻の風車。
晴れの日も、雨の日も。
一日だって、欠かしたことがない。
「手に入らない、女神の姿を追っている」
初めはいぶかしんでいた村人も、決まって返される答えに慣れてしまい、今では問い掛ける者もない。
男は今日も、風車に向かう。
愛しい女神の、幻影を求めて・・・
『風車まわる夕暮れに』
「ふぅ・・・さすがに疲れたな」
小さな家の前に歩いてきた男は、大きな木箱を地面に下ろした。
茶色のシャツに、白のズボン、ところどころが土にまみれているのだが、そんなことも気にしない風情で、男は首にかけた白いタオルで額をぬぐった。よく日に焼けた端整な顔は、わずかに疲労の色をにじませていたが、その瞳の底に流れる光が、彼の温厚さと意志の強さを漂わせていた。
「さて、行こうかな」
両手を上にあげて背伸びをし、彼は微笑しながら呟いた。
彼は名を、パーシヴァル・フロイラインと言う。
「パーシィちゃん、もう帰って来たのかい?ビュッデヒュッケ城まで、バーツちゃんと荷運びに行っていたんだろ?」
パーシヴァルは、村の奥に続く中通りを歩いていた。不意にかけられた女の声に、パーシヴァルは足を止めた。
「ああ、バーツは向こうでゆっくりしてくるらしい。知り合いも多いからな。2,3日向こうにいるって言うから、俺だけ先に帰ってきたんだ」
「・・・それで、今日も行くんだろ?風車に。女神様は見つかったのかい?」
わずかに揶揄するように、女はそう言って笑った。
「どこにいるかは分かっているんだ。だが、会ってしまえば想いが押さえられなくなる。それでも今も想わない日はないから、幻影を追い求めている・・・」
「相変わらず、よくわからない子だねぇ」
女はあきれたように眉根を寄せた。
パーシヴァルが騎士を辞め、故郷に帰ってきたときには周囲から大変驚かれた。ゼクセンの中でも名を馳せ、「誉れ高き六騎士」、「疾風の騎士」と評された彼は、この小さな村の中では「英雄」だったからである。
何も語らず、荒地になっていた自分の畑を耕し、黙々と農作業をこなすパーシヴァルは、やがて「ゼクセンの騎士パーシヴァル」から、以前と同じ「イクセ村のパーシィちゃん」へと戻っていった。
ただ一つ、手に入らない「女神」を慕い、求め続けていることを除いては・・・
「じゃあ、俺、もう行くから」
パーシヴァルは女に別れを告げ、足早に風車に向かった。その後ろ姿に、女は呟いた。
「そういえば・・・ずいぶん可愛い娘さんがパーシィちゃんの家を聞いていったけど・・・どこかで見たような顔をしてる子だと思ったんだけどねぇ・・・」
その呟きは、パーシヴァルの耳には届いていなかった。
赤く燃える空、どこまでも続く金色の波。
収穫の時期が近づいているため、その風景は一年のうちで一番幻想的だった。
パーシヴァルが、一番愛する風景だった。
そして、それは一番愛する人に見て欲しかったもので・・・
「早いものだ、あれから一年か・・・」
パーシヴァルは、一歩ずつ風車に近づいていった。
風車がはっきり見えるようになった時、彼の瞳は驚愕に見開かれた。
彼はそこに、あるはずのない幻影を見た。
いつもここで見るのは、金の波の中で銀の髪をなびかせ、どこか切ない瞳を揺らす「女神」の横顔。だが、今日は・・・
「久しぶりね、パーシィちゃん」
こちらを向いて柵に腰を下ろしていた女神が、パーシヴァルを見つけて破顔し、手を振った。
「クリス・・・様・・・?」
一年ぶりのクリスは、別れた頃から何も変わっていなかった。いつもの鎧ではなく、髪を解いて軽装であることが新鮮だったが、その他には何も変わりはなかった。
「パーシヴァル、少し太ったか?訓練しないと、中年太りするぞ」
柵から降り立ったクリスは、からかうようにそう言って笑った。
「前に来たとき、お前の家を聞いておかなかったものでな、村の人に尋ねたら、ここにいれば必ず来るからって」
「あ・・・はい・・・」
「やっぱり来た」
「はい・・・」
彼女は何も変わらず、別れたときと同じように、泣きたくなるほど美しかった。
「元気にやっているようだな」
髪を掻き揚げるしぐさが可愛らしい・・・そんなことを思いながら、ぼんやりとクリスの唇を見つめていた。
「パーシヴァル?」
「は、はい!元気にしておりました。他のみんなは?」
「ああ、元気だぞ」
あの男たちが元気ではないなどということはあるまい。そう言ってしまってから、パーシヴァルは質問の滑稽さに笑いを禁じえなかった。
「そうに決まっていましたね。特にボルスが元気ではないなど・・・悪いものでも食わない限り、そんなことはないでしょうに」
くすくすと笑うパーシヴァルに、クリスも口元を緩めた。
「ボルスが聞いたら怒るぞ」
クリスは上目遣いに笑い、くるりと風車に向き直った。両掌を組んで、上に伸ばす。そして、思い切ったように口を開いた。重大な秘密を打ち明けるかのように、慎重に言葉を選びながら・・・
「・・・あのな・・・帰ってきてくれないか、パーシヴァル?ゼクセン騎士団に・・・私たちの元に・・・」
「できません」
パーシヴァルは首を振った。
「なぜだ?」
パーシヴァルの胸元にすがるように、クリスは叫んでいた。
「私はもう、騎士ではありませんから・・・あなたをお守りして戦うことは出来ない・・・」
「そう・・・か」
わずかに落胆したように、クリスは肩を落とした。
「守ってもらいたいなどとは思わない・・・だが・・・共にいられたらと思ったのだが・・・」
「私には守るべきものがあるのです。そして、私にはここでするべきことがあるのですよ」
そう言いながら、パーシヴァルはクリスの目を直視できなかった。
「そうか・・・ならば仕方あるまい」
クリスはパーシヴァルから逃れるように踵を返した。心なしかその声が震えている。
「クリス様・・・」
「お前がこの地を耕すと言うのなら、私はこの身をこの地を守るための盾としよう。もう二度とここを火の海にしたりはしない。離れていても、ここを守りたいと言う気持ちは同じだ」
振り返ったクリスは笑っていた。どこまでも優しく、どこまでも切なく・・・
パーシヴァルの心に痛みが走った。
「違う!!」
突然叫んだパーシヴァルに、クリスは驚きの表情を向けた。
「違う、違う!!俺が守りたかったのはそんなものじゃない!!」
パーシヴァルはクリスの肩を抱きしめていた。
「会ってしまえば想いが押さえられなくなる。それがあなたを困らせるだけだと分かっていたから・・・だから・・・あなたの気持ちを守りたかったから・・・私はここに帰ってきたのに・・・それでも今も想わない日はないから、毎日ここで幻影を追い求めていたのに・・・」
鎧を着ていないクリスは、思っていたよりも華奢で小さく感じた。
そしてそこには幻影にはない、確かな温もりがあった。
「なぜ私が困ると思うのだ?全く、勝手に決め付けおって・・・」
腕の中であきれたようにクリスがつぶやいた。
そして、パーシヴァルを両手で押しのけるようにして身を離すと、パーシヴァルの手を握ったまま真摯な瞳を彼に向けた。
「何度も言わせるな。戻ってこい、パーシヴァル。だいたいな、お前が私の幸せを思ってくれるなら・・・そうすればよいではないか・・・」
言い終えたクリスは、恥ずかしそうに頬を染めて目をそらした。
凛々しい口調は変わらないのに、前にいるのはどこまでも可愛い少女。
「後悔しても知りませんよ」
深く息を吐き、パーシヴァルは困ったように眉を寄せながらクリスの耳にささやいた。
もう後戻りは出来ないと思いながら、クリスの頬にそっと触れた。一瞬びくりと身を震わせたクリスだったが拒むことはなく、促されたように静かに目を伏せた。
ほんの少し触れ合った唇に、二人はかすかなぬくもりを感じた。
「こ、後悔など私はせぬぞ」
その声が震えていたので、パーシヴァルはくすりと笑った。
「今、笑っただろう」
「いいえ、笑いませんよ」
「いいや、笑ったはずだ」
今まで必死に耐えながら守ろうとしていたものが、音を立てて崩れていくような気がした。
その代わりに生まれたのは、このぬくもりを手放すまいという固い決意で・・・
二人はいつまでも、沈んでゆく夕日に向かって立ち続けていた。
――― その日、彼はついに「女神」を手に入れた ―――