koigokoro















「主従が異性だったら
やりにくくないのかな?」





出会って間もないころ、深い意味もなく聞いた。
主従関係や身分なんて、全然考えたことのない生活だったから。

男女で主従関係なのは珍しいわけじゃないと知って。
それはただの好奇心だった。









「二人が好きになっちゃったりしたときは
どうするの?」







「ありえませんよ」



あなたは言った。



「主君や従者は、相手をそのような対象には見ないのです」



あなたは、
言った。


柔らかな笑顔で。
----優しい瞳のままで。







ただの、好奇心だった。
あの時は。


































「・・・・どうして、あんなこと聞いちゃったんだろ・・・・・・・」

 どうしょうもなく、あかねはため息を漏らした。


 聞かなければよかったのに。
 そうすれば、ほんの少しは夢を見れたかもしれない。


「・・・・・・・・・」

 彼の、この世界ではそれが当たり前なのだろう。
 身分違いの恋などというのは、現代の発想なのかもしれない。




「好きで、主人なんじゃないもの」




 本当は、ただの、「あかね」として彼の前でありたかった。

 神子と言われても、自分はそんな大層な人間ではないとも思う。




 でも、
 主人としてでなく神子としてでなく見てくれと言っても、
 あの人は困るだけだろう。




 あかねは、木の根元に座り込んだ。

 いつもあかねのそばに控える頼久は、今はいない。

 だからこそ、あかねもいくらでもため息をつけた。

 彼の前ではこんな様子は見せられない。
 そんなことをすれば、頼久はあかねを気遣って心を悩ますだろう。

 理由を聞かれるかもしれない。
 けれど、原因はあなただと言えるはずもなかった。


 好きなのだと自覚したのはいつからだっただろう。
 そばにいて、いつも自分を気遣ってくれて、守ってくれる。

 頼久の気配を、
 逞しい背中を、
 時おりこぼれる笑顔を、
 優しく注がれる眼差しを、
 嬉しいだけとは感じなくなったのは、いつからか。


 頼久の行動と優しさの全ては、自分自身に向けられているものではない。
 そう、あかねは思わずにいられなかった。



 私が、神子だから。



 頼久は主だったなら、自分ではなくてもそう接しただろうことをあかねは知っている。



「・・・・・苦しいよ・・・」

 胸が痛い。
 今、そばにいてほしくて。
 そばにいてほしくなくて。

 その目で見つめてほしくて。
 見つめてほしくなくて。

 どうしてこんなに好きになってしまったのか、自分でも分からなかった。
 ただ頼久にそばにいてほしくて、それなのにそばにいられるのがどうしようもなく辛かった。
 夜屋敷を抜け出してしまったのは、彼の気配を感じているのが苦しくなったからだった。

 一人になりたかったのだ。

「・・・・・・」

 月が目に痛い。

 綺麗すぎて、切なすぎて。

 あかねの頬を涙がこぼれた。

 あかねは頼久たちの前で、ずっと気持ちを気取られないようにしていた。
 胸に抑えられていた感情が、逃げる場所を探していた。


「今なら、いいよね」

 泣いても。

 そう、思う。

 それでも嗚咽をもらさないように、あかねは口を覆って泣いた。




 好きです、好きなの。



 決して言葉に出ることはない想い。




 あかねは、頼久の瞳に辛い光がよぎることに気づいていた。
 それはおそらく、彼の過去。
 そんな頼久に、好きだと言って余計に辛い想いをさせたくはなかった。








「おやおや」
 突然、かけられた声に、あかねははっと顔を上げた。
 月影に浮かぶのは、よく知った美しい女の顔。
「こんな所で、奇遇だねえ」
 軽い言葉とは裏腹に悪意に満ちた声だった。
 あかねは、自分の体が強張るのを自覚した。
「・・・・・・シリン」
「こんな所まで夜の散歩とは優雅なこと」
「・・・・・・」
 怯えが神子の目に浮かぶのを見て、シリンは笑む。
 あかねは、自分の体勢を悔やんだ。
 木を背に座ってしまっている。
 この状態でどう逃げることができるというのだろう。
「あなた、はどうしてここに?」
 言葉を繋ぎながら、あかねはなんとか逃げる方法を考えようとした。
「こんな時間に・・・あなたは何をしに?」
「・・・・・・」
 あかねは自分を見下ろす女の顔に、一瞬辛い影がよぎるのを見た。
 あかねはシリンのアクラムへの想いを思い出した。
 胸が、ズキリと痛む。


 この人も、辛い恋をしてる。


「・・・・・・」
「何よ、その目は」
 キリ、とシリンは唇を噛んだ。
 怒りでも怯えでもない、哀れみに近い色。
 そのあかねの目に、怒りがシリンの胸を焼く。
「・・・・・・殺すのは簡単だけど、簡単に消してしまうのもつまらないわね」
 シリンは美しい唇を、残酷な笑みに歪めた。
 愉悦に満ちた瞳に、あかねはゾッとする。
 立ち上がろうと腰を浮かしかけたあかねの腕を、シリンは強引につかみ上げた。
「神子様、お立ちになりたいなら手を貸しましてよ?」
 面白がる響きのまま、シリンはあかねの腕をそのままひねり上げた。
「きゃあ!」
 あかねの喉から、悲鳴が漏れた。
 痛みに身をよじるあかねを、そのまま目の前の木の幹に叩きつける。

 鈍い、音がした。
「あ・・・・・」
 息が、止まる。
 同じ女だというのに、どれほどの力の差だろう。
 シリンは、見た目の細い腕からは想像もつかないほどの力を持っていた。
 あかねは、木の根元にそのままずり落ちた。
 意識が、混濁する。
 頬にあたる土の感触だけでなんとか、自分が倒れているのだと分かっていた。

「もう終わりかい?」
 声が、降る。
「何とか言ったらどう?」
「・・・う・・・・・・」
 あかねは、なんとか目を開けようとした。
「・・・あ!・・・っ」
 顔を動かしかけたあかねの背中に、激しい力がかけられた。
 何かの重りのようなもの。
 あかねは必死に目を開けた。
 シリンが、何かを唱えている。
 それに呼応するように、見えない重りはその力を増す。
 息が上手く吸えない。
 キシ、と自分の体が軋むのをあかねは自覚した。
 恐怖と苦痛に、胸の奥に冷たい塊がおちる。



 殺される。



 それは、予感より強い確信だった。
 何か言おうにも、悲鳴さえ上げられない。






 再び、意識が混濁する。
 その、時に。
 ただ、頼久の顔が浮かんだ。
 彼の声が聞こえた。
 彼の名を、呼んだ。
 そんな気がした。






















「----殿! 神子殿!!」
「・・・・・・」
 あかねは、ぼんやりと瞳を開けた。
「神子殿!!」
「・・・・・・頼久、さん」
 すぐそばに、頼久の顔があった。


 これは夢だ。


 あかねは、朦朧とした意識の中でそう思った。
 彼がここにいるわけがない。
 夢である証拠に、彼が何か話しているのに、それがよく分からなかった。
「・・・・殿・・・・・、・・・・・・ですか! 私・・・・・神子・・・・・」
 唇が動いて、たしかに彼の声が聞こえるのに、意味が読み取れない。
 それでも、ただ、彼の辛そうな瞳が苦しかった。
 それがあまりに痛くて、あかねはその顔に手を伸ばした。
「泣かない、で」
 彼には笑っていてほしかった。
「・・・・だい・・・じょうぶ?・・・」
 好きだから、苦しんでほしくない。
 好きだから、辛い想いをしてほしくない。
 私で、私が主人であることで、この人の心が平穏をもてるなら。
 この人が少しでも楽な気持ちになれるなら。
 それでいい。
 そう、あかねは思った。



 もう、迷わない。



 夢から覚めたら、もし私が生きていたら、そうしよう。




 自分を「あかね」として見て欲しいなんて、絶対に言わない。
 この恋は消せないから、それは辛いことかもしれない。
 でも、神子だから彼の心を少しでも救えるのなら、神子でよかったと感じる。
 あかねはもう一度、夢の中で意識を失う前に、小さく彼の名を呼んだ。
「・・・・・・」
 この人の前で神子であること。
 それがきっと私の、恋の形。



 ・・・・・・心の証。