風 |
それは軽やかな強さと 明るい日差し |
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景王赤子、即位より三年。 慶国は新景女王の元、大幅に異動した官吏の王朝がようやく軌道にのりだしていた。しかし、今だ大地にも民にも、荒廃は深く、広く、色濃かった。 新年の儀が終わり、内宮に戻ると、陽子はほうと息をついた。 きっちりと結い上げられていた髪を、乱雑にほどく。 緋色の髪が、バサリと波うった。 椅子に身を沈める。 「陽子」 祥瓊は少し苦笑して、陽子の後ろに立った。 「ご苦労様。……もう、くしゃくしゃじゃないの。どれだけ時間かけて結い上げたか覚えてる?」 「……重いんだ」 心底疲れたように言って、陽子は、まだ頭に残っている髪飾りを抜き取る。指が髪の絡まったところでひっかかると、無造作にひっぱった。 鈴があわてたように陽子に駆け寄る。 「だめよ! 髪が切れちゃうわ」 鈴は懐から櫛をだすと、丁寧に陽子の髪をときだす。陽子は鈴の非難に、居心地が悪そうに身じろぎした。 「いい、鈴。かまわないから」 「あたしがかまうの!」 鈴ににらまれて、陽子はおとなしくなる。 「―主上」 礼服のままの景麒が、部屋に入ってきた。そして、陽子が髪を下ろしているのを見て、息をつく。 陽子は、片眉を上げた。 「なんだ」 「もう髪を下ろしてしまわれたのですか」 確認をとらなくとも見ればわかるだろう、と陽子はこういう時、この目の前の男に言ってしまいたくなる時がある。 言葉では問うような形でいながら、景麒の声には非難の響きがある事がしばしばだ。感情をあまり見せないくせに、そういうことだけは器用に表すのだ。景麒自身はそれに気づいていないだけ、たちが悪かった。 「だから、何だ、と聞いている」 「……お客様です」 「わたしにか?」 「延王と延台輔がおみえです」 「延王が!?」 陽子は勢いよく立ち上がった。ぱっと明るい表情になる主人を景麒は複雑な思いで見る。 祥瓊は手をたたいた。 「それじゃあ、すぐに結いなおさなくてはね」 「延王なのだろう? このままでもかまわない」 櫛を申し訳程度にいれただけの髪で、陽子は部屋を出ていこうとする。 「主上、いけません」 「かまわない」 景麒にそう言って、陽子は部屋を駆け出た。延王が通されている部屋も分かっている。 足早に廊下を行く王に、官たちは振り返るが、陽子は気にしない。 三ヵ月ぶりだった。もともと王や麒麟は他国の主従とあまり深く交わらないのが定例ではあったが、いまだに慶と国交のあるのは雁国のみ、しかも延王には幾度と助けてもらった仲でもある。王宮内に信頼する者も友人もできたが、それでもやはり長い間会えないと陽子は寂しいと思う。 特に、気が落ち込んでいる時には。 陽子は少し乱暴に、扉を開け放った。 延王と延麒が振り返る。 床をするほど長い肩掛けが、ふわり、とそれとともに揺れる。黒衣に金糸の縫い取りが、衿や裾になされていた。 「……あ」 陽子は、言葉を失う。 片腕を水平に上げ、片手を胸にそえ、延王が陽子に軽く頭を下げた。 「景王におかれては、ご健勝のこととお慶び申し上げる」 言って、延王は顔を上げた。その横には、同じように正装して延麒が立っている。 「新年のお祝いに、まかりこしました」 いつもでは考えられない延麒のもの言いに、陽子は赤面した。 なんてことだ! 陽子は唇を噛んだ。 景麒の先程の言葉は、これを表していたのだ。 延王も延麒も、国王と台輔としてそこにいた。 陽子は顔を赤らめたまま、頭を下げた。 「申し訳ありません。……このような格好で……! 失礼を―!」 ああ、その前に。 陽子は自分の愚かさかげんを腹立たしく思いながら、非礼の謝罪を打ち切ると一段と深く頭を下げた。 「延王と延台輔には、わざわざのお越し、お礼の申しようもありません。新年のお慶びを申し上げます」 強張ったままの顔を上げた陽子の目に、いつもどおりの延王と延麒の笑顔が映った。 「驚いたろ?」 延麒がそう笑うのに、陽子はほっと息をついた。 「……本当に。寿命が縮まりました」 「二百年くらいか」 延王がそう軽口をたたく。 そして、延麒の頭をぽんとはたいた。 「コレが、礼服で行こうなんて企むものだから」 「うそつけッ。お前が言いだしたんだろーが! ったく、官にどれだけちゃんとした服着ろって言われても聞かないくせに、こういうお馬鹿なコトのためなら礼服着て外国まで来れるんだから」 「そのお馬鹿なコトに乗ったのは誰だろうな」 延王の言葉に、延麒は顔をしかめる。 陽子は、たまらず笑った。 風が吹く。そんな気がする。 この客人たちはいつも、太陽の匂いと軽やかな風をここに運んでくれる。 陽子はふいに、景麒や国の者たちの顔を思い出した。 できるなら。 できるなら彼らにとって、自分もそういう存在になりたい。 そう、思う。 ―軽やかに暖かに、生きる強さを持ちたい。 |