春灯の思い |
「いい加減にしてくれ!」 そう怒鳴ると、陽子は思わず立ち上がった。 「主上。」 「私は自分の気持ちまで殺さなくてはならないのか!?」 怒気を含んだ声に、麒麟はいつもの様に表情を変えずに言う。 「主上は、女王であらせられます。勿論、必要とあらば・・・。」 「もういい!!」 止める景麒の声を後ろに聞きつつ、陽子は部屋を飛び出した。 金波宮の執務室、昼下がりのことである・・・。 「会いたい。」 陽子は思わず声に出す。 会って、あの声を聞きたい。 いつものあのいたずらっぽい笑みと共に心まで入ってくるような怖い眼差しに・・・。 「延王・・・・・・・。」 気が付くと堯天の町をさまよっていた。 既に陽は傾きかけていた。 あちこちに灯がともりだし、一日の仕事を終えた人々が帰路についている。 曲がり角をまがると突然に嬌声が聞こえた。 「こちらに寄っていって〜!」 「あらあ、うちの方が良いわよ!」 「ダンナ、うちは良い妓がいますよ〜!」 多くの女や客引き達に囲まれている男がいた。 周りを上手くあしらっている。 背が飛びぬけて高い。がっしりとした、偉丈夫。 「えっ??」 陽子は息を呑んだ。 あの姿、どこで会っても見間違えようが無い。 「何故?」 その声が聞こえたかのように、男はー尚隆ーは、こちらを振り向いた。 「おお!陽子!こんな所で会えるとはな。」 周りをかき分けつつ、こちらに近づいて来る。 相変わらずのいたずら坊主のような笑み。 陽子に近づくと、自然と肩に手を回す。暖かい手だった。 二人とも、かなり質素な服装であったので、まさかこれが、高名な雁国の王と、慶国の女王とは誰も思わない様である。 「こんな所をうろうろしておって良いのか?景麒はどうしたんだ?」 「え・・あ、いえ・・・。」 口篭もる陽子を眺めつつ、 「まあ、とにかく立ち話もなんだ。こちらへ。」 と優しく促す。 尚隆が陽子を連れて入ったのは、こじんまりとした店だった。 「部屋を借りるぞ。」 顔見知りのような店員に声をかけると、笑顔と共に案内される。 「こんな所に良く来るのですか?」 店の者が下がった後に陽子は尚隆に訝しげに聞く。 「まあな。時折堯天に来る時使うのさ。陽子に会いたくて来るのでな。」 「えっ??」 またその眼差しに見つめられて、陽子は赤くなる。 「いろいろな所にお知り合いの美女が多いみたいですね。」 つんと顔を背けつつ、照れ隠しに男を責める言葉を吐く。 「あれは、商売だからな。男になら誰でも声をかけるのさ。」 そうだろうか?陽子は考える。 どこにいても目立つ風貌である。 決して美男子という訳ではないがどこか人を引き付けずにはおられない魅力があるようだ。 そういえば・・・。 五百年余りも生きていれば、いろいろな女性経験も有るはずだ。 私など物の数には入らないのだろう。 女としてもまだまだだし・・ましてや、女王としてはほんの新米である。 思わず膝頭を見つめていると、上から声がかかる。 「どうした?何を考えている?」 目を上げるとそこに自分を真っ直ぐ見つめる男の顔があった。 「景麒と喧嘩でもしたか?」 「ええ・・まあ・・。」 長い睫を伏せた少女を尚隆は不思議な気持ちで見つめていた。 華奢な肩に、美しい赤い髪が光を鈍く放つ。 何とも言い表せない気持ち・・・。 何故。こんなにこの娘の事が、彼女の気持ちが気になるのであろう。 今日も自分の麒麟、延麒六太に言われてきたばかりである。 「ねえ、また堯天?」 「ああ。」 「尚隆もしつこいね〜。そんなに陽子のことが気になるのに、まだ手ぇだしてないの?金波宮に行く訳でもないし・・・。」 「ほっておけ!」 自分でもよく判らない。 今までに会ったどんな女とも違っている。 まだ小娘といってもかまわないほどの歳。だが、それが一人の女として、堂々と自分を引き付ける。 剣を振るい隣で戦っているときも、こうやって向き合っているときも、何を考えているのか気になる。 かといって、「会いに来た。」と言って、堂々と居城に向かうのも気が引ける。 というよりも、無粋に手を出して、嫌われるのが怖いのだ。 俺ともあろうものが、何と言う事だ・・。 思わず苦笑する。それを誤魔化すかのように、 「まあ、何が有ったか知らないが、許してやるんだな。麒麟は良かれと思って提言す るんだろうから。」 と明るく言う。 「だって、自分の気持ちまで無くせというんですよ?」 きっとした顔を上げて抗議をする陽子。 「気持ち?」 「ええ。私が誰のことを思っているかなんて事まで景麒に指図されたくない!」 言ってしまってから、はっと気がついた。 「陽子は・・誰を思っているんだ?それが悩みか?」 驚くほど静かな声が陽子の耳に届く。 「え・・いえ・・・。それは・・・。」 耳まで赤くなりながら、陽子は尚隆の顔を見ることが出来ない。 そんな陽子を眺めながら、尚隆は内心焦っていた。 陽子が思っている?男か?誰だ? 景麒ではなさそうだが・・では、誰だ?景国の男か?胸に苦いモノが上がってくる。 「王は結婚できんことは知っているよな?」 「はい・・。」 「では、景麒の言う事も聞いた方が良い。どんなに思っても、所詮無駄だ。まあ、慰みにはなるかもしれんが・・。」 「そんな!!」 自分が酷いことを言っている・・・と尚隆は自嘲した。 見る見る陽子の瞳に涙が盛り上がる。 こんなことで・・・。と思うが止められない。 「あ、貴方になにがわかる・・・・。」 陽子の涙を見て尚隆はうろたえた。 「あ、いや・・。すまん。そういうつもりで言った訳ではないのだが・・・」 思わず自らの手で陽子の涙を拭う。 「延王は、どなたかお好きな方はいらっしゃらないのですか?」 涙声で陽子は尋ねる。 「えっ?ああ・・・まあ、居ないことも無いが・・。」 慌てて陽子の顔から手を外す。 やっぱり居るんだ。 陽子は自然とまた涙がこぼれてくるのを感じていた。 私がどんなにこの男のことを思っても・・・、彼にとってはたいしたことではないのだ。 私一人が・・・・。 ぽろぽろと涙を流している陽子を見つつ、尚隆はどうすれば良いか判らなくなっていた。 そんなに好きなのか・・・。 相手の男に対する悋気がふつふつと沸き上がる。 「そんなに思われているなど・・そいつも男冥利に尽きるぞ。いったい何処のどいつか教えて欲しいものだな。まあ、俺よりはマシだろうが・・・。」 「そんな!!」 「いやいや、俺に惚れる女なぞ珍しいからな。ここ百年は、ついぞお目にかからない。」 「だって!!だって、ここに居ます!」 思わず叫んでしまった時の、尚隆の顔が見物だった。 「俺か?」 まじまじと陽子の顔を覗き込む。 涙にまみれた顔がこれ以上無いほど赤くなる。 尚隆の手が陽子を抱き寄せる。 「俺もだ・・。」 その声に涙の溜まった眼を上げる。 優しい眼差しだった。 「俺が惚れてるのも・・・お前だ。」 男の腕の中で、信じられない・・という顔の陽子。 その顔に尚隆の顔が重なった。 春の宵の匂やかな風が窓から入ってきた。 |
<終>