『憂戚』




最近、主上の様子がおかしい。
どこがどう変なのかはわからない。政務はいつも通りこなしている。
態度が変わったわけでもない。
それでも、何かが引っ掛かる。何か思い悩んでいるようなそんな感じをうける。
最近は、国の運営も比較的順調にいっている。
政務に関しては諸問題は絶えないものの、それほど悩むような事はない。
何が主上に苦悩を与えているのか。

「主上、何かお気に召さぬことがおありか?」
直接問う。しかし主上は笑って「そんなものない」と答える。
麒麟の自分にも言えぬこと。それならば、政務とは関係ないのだろう。
しかし、放っては置けない。王の私生活が国にもたらす影響は計り知れないのだから。
「お疲れなのでは?」
とりあえずそう言って反応を見てみる。
「いや・・・・。どうしたのだ景麒?」
と逆に問われる。気のせいか、と思いたくなるような反応だがどうも腑に落ちない。
「主上が何かお悩みのような気が致しましたので・・・。」
と答えると今度は吹き出す。
「私は悩みの無いようなおめでたい人間ではないぞ。今も書類が読めずにイライラしている。」
書類をひらつかせ、そう答えてきた。
「その程度のお悩みならば心配など致しません。」
なんとなく、苛立ち、そのように言ってしまった。
すると主上がこちらを見据え低くこう返してきた。
「その程度の悩みだ・・・。」
思わず出した溜め息に主上が眉を顰める。
「退れ」
そう命じた主上が一瞬見せた表情がひどく痛々しいものに見えた。
だが、それ以上追求はできなかった。そのことに触れるなと主上は暗に命じていた。

それから、数日の後、金波宮に延王を招いた。
楽俊殿をとも思ったが大学を休んで来てもらうのは気が引けた。
それに同じ王になら麒麟に言えぬ悩みを打ち明ける事ができるのではないだろうか。
延王も多少無茶な方ではあるが名君と言われる方だ。
主上の懸念を取り除くことができるかもしれない。
しかし、延王が訪れたと知ったときの主上の表情が何かひどく不安げに見えた。
人選を誤ってしまったのだろうか。
こちらの不安は露知らず、延王は早速主上と四阿へ行ってしまう。
いくら非常識な方でも、いたずらに主上に手出しし困らせるようなことは無いだろう。
もしもの時は冗佑もいる。

その夜、延王に話を伺った。
無論、主上のことだ。
「いかに思われますか。」
そう問うと、延王は苦笑した。
「お前に言わぬことを俺に話したりはせんだろう?」
「・・・・そうでしょうか?」
先程の不安げな表情を思い出す。
そうかもしれない。
しかし、主上が延王を尊敬しているのは火を見るよりも明らかだ。
「そんなに詮索しない方がよいのではないかな。女とは難しいものだ。些細なことで上機嫌にも不機嫌にもなるからな。」
延王は闊達な笑いを見せる。
些細なことには思えないからこの方を招いたのだが・・・・。
「干渉のし過ぎはよくないだろう。心配なのはわかるが、しばらくはそっとしておいてやれ。」
そう言われても、放ってはおけない。
予王とのことを考えてしまう。
彼女は、政を嫌い、説得にあたった自分を遠ざけようとした。
そこで、一度放っておいたことがあった。
あまりうるさく言うよりもそっとしておくほうが良いのかもしれないと。
結果は、更に政治を拒むようになってしまっただけであった。
自分には、最善の方法というものが解らない。
やることなすことが、尽く裏目にでてしまう。
陽子のに対してもどうするべきなのか、わからない。
ただ放っておくのが酷く不安なのだ。
「時が解決させるだろう。陽子なら乗り越える。」
延王は言った。その言いようが気になる。
「主上が何をお悩みかご存知なのですか?」
そう問うと、延王の顔から一瞬笑みが消えた。
「まあな」
と返ってくる。そして再び笑い、
「だからといって、教えてやるほど俺は親切ではないぞ。」
と付け加えた。
「無論、主上がお話しにならぬことを他者から聞く気はございません。」
気にはなるが・・・。
そう答えると延王は「律義なことだ。」とくつくつ笑った。
「景麒、あまり予王にはこだわるな。お前の王は陽子であって、陽子と予王は違う。思い入れが深いのは致し方ないが、陽子を彼女と同じに扱ってはならない。陽子は陽子だからな。」
突然そう言ってきた。
この人は、ふざけている割には痛い所を容赦なく突いてくる。
「心しておきます。」
反論もできないのでそう答えた。
「俺は明朝帰るとしよう。」
「お忙しいのですか?」
そう問うと、「いや・・・。」と延王は言葉を濁した。
「何か、こちらで不手際がございましたか?」
と言えば、延王は苦笑し手を振った。
「あまり、こちらでゆっくりしているとなにかと五月蝿い奴が押しかけてくるからな。」
延台輔のことだろう。歯切れの悪い言い方が少し気にはなったが、止める由もない。
主上の悩みを解決できないなら、別段、用はないので追求はしなかった。


その言葉通り、延王は翌朝早々に金波宮を発った。
その日、主上に呼び出され、四阿へと向った。
そこには、ひどく堅い顔をした主上がいた。
「延王を呼んだのはお前だそうだな・・・・。」
こちらを睨み据え低い声音で主上が言った。
「はい。いけませんでしたか?」
「・・・なぜ延王をよんだ!?どうして寄りによって延王なのだ!」
突き刺さりそうな視線に思わず目を背けてしまう。
「延王がお嫌か・・・?」
どうやら、人を呼んだことにではなく、延王を呼んだことに腹立てているようだ。
主上は大きくかぶりを振る。
「では、何がいけないと仰せか?」
「・・・・・・・。」
主上は黙って俯いた。
まるで要領を得ない。
「主上が何か憂えていれば民にだって影響がでます。その心配をしたのです。延王なら同じ王の立場として私には出来ぬ助言もなされるだろうとそう思ったことがいけないと仰せられるか。」
主上は俯いたままかぶりを振る。
「・・・・すまない・・・。八つ当たりだ。」
主上の声は暗い。
「何をお悩みか・・・私にはお話しできませんか?」
主上はしばらく黙ってしまう。
それに合わせ、こちらも何も言わなかった。
「・・・きっと・・・。」
主上が口を開いた。
「きっと・・・景麒に言えば・・・呆れられてしまう。」
顔をあげ、苦笑して主上はこちらを見る。
「そんなことは・・・・。」
無い、と言い切れるだろうか・・・。
そうできるなら主上はすでに話してくれているだろう。
「いいんだ、景麒。わたしは自分でも呆れ果てている。」
こちらの意図に気づいたのか主上はそう言った。
「主上・・・。」
何と続ければよいか分からなかった。ただ、これ以上追求しても主上は何も話さないということだけは分かる。
「・・・・・・・・・・。」
ふと、主上が妙な表情を浮かべた。
「景麒・・・。」
「はい?」
「お前・・・本当に何も気づかないのか?」
少し顔を赤らめ口元を手で覆い、主上が尋いてきた。
「・・・・何がです?」
「いや・・・お前はそういうことには疎いのだな。」
どういうことだろう。
考えるこちらにかまわず、主上はくすくす笑い出した。
「ここにいたのが、お前で良かった。鈴や祥瓊ならばれていただろうな。」
何のことか分からない。主上は、愉快そうに笑う。
だが、気休めにはなったらしい。


時が解決すると延王は言った。
不安ではあるが、主上には話す気も無いようだから、しばらく様子を見よう。
主上の笑う様子を見て思った。笑えるならまだ大丈夫だろう。
「すまなかったな、呼び出して八つ当たりなんかして・・。」
まだ笑いが収まらない様子で主上が言った。
「戻ろうか。」
「はい。」
頷くと、主上が歩き出した。
その後ろ姿を見やり、私も歩き出した。


                                               (了)