『驚日迎喜』

     

「主上、お目覚めの刻限でございます。」
いつもの侍官の声がする。
「う〜。もうそんな時間か・・・。」
寝台の中で声を上げたのは、だれであろう、雁州国の主、延王尚隆である。
「お急ぎくださいませ。本日は朝議がございます・・・。」
急かせる侍官の声を後ろに聞きつつ、ゆっくりと欠伸をして立ちあがる。
牀榻のなかには、いつもの中年の侍官が二人。

まったく・・・朝っぱらから色気もないもんだ。
たまにはもう少し見栄えの良い若い娘くらい寄越さんか!

心の中で不平をいうと、むっつりとして侍官に身の回りを整えさせる。

昔はこれでも若い女官達が争って尚隆の世話をしたがったものだったのだが、尚隆が隣国の女王、陽子と恋仲となったと知るや、途端にその数は激減した。

「主上。御髪を・・・。」
やってきたのは、中年も終わりの女官。
この者だけは尚隆が登極した頃よりずっと変わらない。
小柄でまあ見られるが、なんにせよ、夫もちで身が固いので有名である。

手際良く髪を纏め整えると、髭をあたる。
「失礼いたしました。」
下がる女官に頷いて、尚隆は怠惰そうに立ち上がる。

又朝っぱらから飯も食わずに帷湍や朱衡達の話を聞かされるのか・・・。
渋い顔で溜息交じりに外殿へ向かう。

渡り廊下で、自分の麒麟延麒六太と会う。
「よお。」
「元気そうだな。夕べは何処へ行っていた?」
子供のような六太は、にやりと笑う。
「へへ・・。お前には内緒にしていたんだけどな・・。陽子に会ってきた。」
「なに?お前、俺に無断で・・・。」
「なんだよお、陽子に会うのにいちいちお前に許可を貰わなくちゃいけねぇの?」
「何の用だったんだ?」
「へへへ。内緒。」
「おい、六太!」
するりと逃げて朝議の間に入る六太。

そこには既に尚隆の側近達と共に多くの官吏が控えていた。
「主上、朝っぱらから台輔とふざけている場合ではござらん。」
帷湍の小言を聞きながら、尚隆は六太が会いに行った陽子の事を考えていた。

この間会ったのはいつだったか・・・。
陽子の深碧の瞳を思い出す。
赤い唇から出る、自分を呼ぶ甘い声。不思議そうに首を傾け見上げる可愛い顔。
美しく光る緋色の長い髪に、華奢なのに抱き心地の良い身体。

「おい、尚隆、なににやにやしてんだよ。」
六太が小さな声で横腹をつついて囁く。
慌てて官吏の奏上に耳を傾けている振り・・をする。

会いに行くか・・・。
心の中で決心する。

しかし・・・今日は何が有ったか・・・。先ほどの侍官の話をもっと真面目に聞いておくべきだったな。何処かでこいつらを巻いてやるか・・・。

「主上、よろしいですか?」
朱衡の声に我に帰り、
「ああ。お前達に任せる。」
といい加減に答える。

「珍しいことも有るものだ。主上が文句も言わずにすんなり認めるとは・・。」
帷湍がにやりと笑っている。
「ん?」
「莫迦!尚隆、聞いて無かったのかよ。お前今、夕議に出る・・て約束をしちまったんだぞ。」
六太が呆れた様に囁く。
「うっっ!」

夕議とは、何か特別な問題が起きた際、執り行われる会議であり、これは習慣の朝議と違って時間の決まりが無い。
ということは、始まったら最後、問題に決着がつくか、方針が決まるまで終わりが無い。いわゆるサドンデスである。

「今更撤回は受け付けませんよ。主上。」
朱衡もにっこりと笑って釘をさす。

「皆の者、今回は直々に主上がご臨席くださる。心して用意するように。」
帷湍が声を張り上げわざとらしく他の官吏に伝える。

しまった!!
思うが後の祭りである。

「ば〜か!」
六太が馬鹿にしたように笑い、
「なんでえ、今晩せっかく陽子が来るのにな。」
と今ごろ言う。
「なんだと?どうしてそれを先に言わん。」
「だって、陽子に内緒にしてくれって頼まれたんだもん。尚隆を驚かしたかったんだってさ。でも、これでお流れだねぇ。」
「ぐっっ!」

「な、なあ、帷湍、朱衡・・・。」
慌てて哀れっぽい声を出すが、二人とも全く動じない。
「日頃の心がけが悪い所為でしょう。」
「全くだ。今回は景女王にはお断りするんだな。」
「お、お前達・・・。」
「まさか、雁州国の王とも有ろうものが、一度約束したことを違えるなんて、人道に悖ることはしないよな〜。」
六太が一緒になって冷かす。
「勝手にしろ!」
やけくそになって言い放つ。

しまった嵌められたか・・・。
げんなりとその場を立ち上がり、私室に戻る。

今日は日が悪い・・・。
だが、せっかく陽子が会いに来るというのに・・・なんということだ。
何とか隙を見つけて・・・。
そう思っていると、六太が現れる。
さっさと尚隆の前で朝食に手を付け始める。
「お、おい、六太。頼みが有るんだが・・・。」
「あ、陽子への伝言なら、おれ、もうさっき悧角に持たせて行かせたから。」
「なに?」
「今日は会えない。・・・だろ?」
「お前・・・!」
にやりと笑う六太を見て、尚隆は椅子に沈み込んで溜息を吐く。
「あ。そう言えば、さっき成笙が言っていたけど、今日お前、禁軍の閲兵日だって知ってた?」

閲兵日?
何てことだ!
禁軍の閲兵では、午後一杯が潰れるのは覚悟しなくてはいけない。
それが終われば夕食。その後が例の夕議となる・・・。

完全に嵌められた・・・。
こんな事では陽子に会うどころか、ほんの数刻話をする為に抜け出すことも出来はしない。

途端に食欲がなくなり、ぼそりと呟く。
「お前ら・・まさか示し合わせて・・。」

返事をせずににやにや笑っている六太。
尚隆は既に何も言う気力も無くなっていた。

尚隆にとってその日は永遠に続くかと思われた。
午後の閲兵式は時間の流れが止まったように感じ、その後の夕議は・・・確かに重要な話し合いであったが、わざわざ尚隆が列席するほどの事ではない。
皆が紛糾して話し合う中を、尚隆は退屈そうに頬杖を付いて横を向いていた。

本当なら今ごろは陽子をこの腕に抱いて・・・・。
妄想ばかりが頭を駆け巡る。

やっと開放されたのは、既に真夜中を過ぎていた。
「もう俺も自分の部屋に戻って良いか・・・。」
げんなりと尚隆は朱衡に言う。
「どうぞお休みください。」
「主上もこれで少しは我らがいつも苦労していることが判っただろう。」
帷湍が変に元気良く言い放つ。
「ああ。よく判った。・・・・だから、いい加減開放してくれ。」
がっくりと疲れきって私室に戻る主を、朱衡達が後ろで意味ありげに笑いながら見送っていた。

散々な1日だった・・・。

疲れ果てて尚隆は身支度もそこそこに牀榻へ入り、寝酒をあおると衾褥へ潜り込む。
直ぐに眠りに落ちた。


「尚隆、起きて。」
聞き覚えの有る甘い声。
俺は寝ぼけているのか?
尚隆はぼんやりと目を覚ます。
「起きて。朝よ。」
優しく揺り起こされて、がばっと跳ね起きると・・・そこには・・。
「陽子?」
朝日を浴びて、夕べ会いそこなった陽子がにっこりと笑って寝台の脇に腰掛けている。
「どうして・・・。」
頭が混乱して、何から聞いて良いのか判らない。

「尚隆。お誕生日おめでとう。」
にっこり笑いながら陽子がその赤い唇で尚隆の唇に触れる。
「え?」

そうか・・・。昨日の事で頭が一杯だったが、良く考えると今日は自分の誕生日である。
しかし・・・五百年以上も経てば自分の誕生日などほとんど忘れている。

「延麒に聞いたの。で、お祝いしようと思ったのだけど、昨日は尚隆忙しくて会えなかったでしょう?だから、夕べから延麒達に頼んで玄英宮に内緒で来ていたのよ。尚隆がまじめな顔で仕事をしているのを見られて良かった。」

「やっぱりあいつら示し合わせていたな。」
思わず怒り出しそうになるが、目の前に陽子がいるので、それも出来ない。
自然と顔に失笑が浮かんでくる。
目を転じ、婉然と笑っている陽子を抱きしめ、再び唇を重ねる。

あいつら、覚えておけ!今日はもう何もせんぞ!
尚隆は心の中でそう言い放つと陽子を寝台に押し倒し、ゆっくりと抱き始めた。

その朝の尚隆の臥室には・・何故か誰も近寄らなかった。



                                          


     

(終)