春の風 月の宴

中編


「すまない。随分待たせてしまったな。」
 自室に戻ると陽子は、開口一番に自分を待っていた祥瓊たちに詫びた。
「別にかまわないわよ。陽子が、忙しいのはわかっている事ですもの。それより、仕事の方はもう終わったの?」
「ああ、今日の分は終わった。」
 自分の椅子を引き寄せて座ると、陽子は今日の1日の仕事内容を話して聞かせた。
「お疲れ様。さ、熱いうちに召し上がれ。」
 そういって、鈴はいつのまにか用意したお茶とお茶菓子を陽子にすすめた。陽子は、鈴に礼を言うと、鈴のお茶菓子を堪能する間は祥瓊たちと他愛の無いおしゃべりをして、楽しんだ。
 お茶菓子を食べ終えた陽子を見て祥瓊は、話を仕事の内容に戻した。
「・・・・で、天候は安定しているのね。」
「今のところ、問題は無いそうだ。」
「妖魔の方は?」
「少なくはなってきている・・・・が、まだまだだな。」
「まだまだって、1年でここまでしたら上出来よ。ねえ、祥瓊?」
 鈴は、横に座っている祥瓊の方へ同意を求めた。
「そうね。あそこまで荒れていた慶を1年で、ここまで復興させたんですもの。陽子はよくやってるわよ。」
「1年前は、ほとんとが荒地だったじゃない。」
「だがまだ、」
「まだ1年しかたってないのよ。あれもこれもって、焦りすぎちゃだめよ。」
 陽子をさえぎって祥瓊が、口をはさむ。
「時間は、いくらでもあるんだから。陽子は、仕事をしすぎるところがあるから・・・。たまには、息抜きもしなくちゃ。」
 祥瓊と鈴の2人に諭され陽子は、苦笑する。
「そうよ、そういう意味では延台輔が招待してくださった宴は、いい息抜きよ。」
「・・・・・・・あれが、か?」
 陽子は少し眉をひそめてみせる。
「いいじゃない。普段陽子は、執務室にこもりっきりなんだから。」
「いい気分転換よ。・・・少し、おまけは付くけど・・・。」
「それが、問題なんじゃないか。」
「延王からの頼みごとだからと承諾したのは、陽子でしょう?」
 頭を抱える陽子に、楽しそうに鈴が追い討ちをかけた。どうやら、あれから2人で宴のことで盛り上がったようだ。
 ─2人にとってもいい気分転換・・・・というところか。
「景台輔にはあれから説明したの?」
「・・・・・した。延台輔に宴に招待されたから祥瓊たちと行ってくる、と・・・・」
「・・・・・だけ?」
「それ以外どう言えばよかったんだ?延王の頼みごとの件までは説明できんだろう。」
「で、私たちだけで行ってくるって言ったわけ?よくそれだけの説明で景麒が承知したわね。」
「無理矢理、承知させたんだ。・・・・そのかわり護衛を連れて行くことになった。」
 普段、護衛を連れて歩くのを嫌がる陽子を知っている祥瓊たちは、渋々ながらも陽子に護衛を承知させるほど、景麒 との話し合いは白熱したものだったのだろうと、推測した。
「何人連れて行くつもり?」
「景麒 には、2人以上はいらんと言ってあるが・・・・・。誰が護衛につくかが問題だな。」
「融通のきかない人は、だめよね。」
 首をかしげて鈴が考え込む。
「垣たいなんてどう?多少の融通はきくし、台輔も安心するんじゃないかしら。」
「なんてったて禁軍左軍将軍だものね。他国を訪問するのに見映えもいいし。いいんじゃないの、陽子?」
「・・・禁軍将軍は、ちょっと大袈裟じゃないか?訪問といっても公式のものじゃないんだから。」
「何を言ってるの。雁を訪問するのよ。これぐらいして当然よ。」
 渋る陽子に、祥瓊は深い溜め息を吐く。
「いいこと、陽子。普通、王というものはめったに王宮を離れたりはしないのよ。王が、王宮から出るとなったらおおごとになるのよ。ましてや、それが他国訪問なんてことになったら・・・・・。」
「延王は、お1人で街に出掛けられるぞ。よく、遊びにも来て下さるし・・・・。」
「「あの方は、別です。」」
 祥瓊と鈴は、声をそろえて言った。2人の息の合方に苦笑しながら陽子は、景麒ほど堅物ではないが陽子のためなら景麒 よりも手強い相手になるだろう、と心に思いながら自分は独りではない、としみじみと実感した。
 ─予王にも祥瓊たちのような者が1人でもいたら・・・・・・。
 最近、特に信頼できる官を得てから陽子は、よくこの事について考えていた。国が滅びるほど荒れることもなく治まっていたら。そうなっていたら、自分は玉座に座る事もなくましてやこの世界に来る事もなかったら。自分は、あのままだったろうか。親に反抗せず、優等生のふりをしたまま変わり映えの無い毎日を送っていただろうか。・・・・・祥瓊や鈴といった無二の友といえる者たちとも会わないまま・・・・。
「どれもこれも、仮定でしかないものを・・・・。」
 フッ、と軽く息を吐き出すと陽子は呟いた。
「陽子、聞いてる?」
 陽子は、鈴の声で我に返ると自分をいぶかしそうに見ている祥瓊と目が合った。どうやら、考え事をしていて2人の話を聞き逃してしまったらしい。
「悪い、聞いてなかった。もう一度言ってくれないか。」
「・・・・・やっぱり、疲れてるんじゃない?最近、ぼーっとしてることが多いわよ。」
 鈴が眉をひそめる。
「そうよ。今日はもう、休みなさい。護衛の件や他の準備は、私と鈴でするから。」
「いや、それは、・・・・・・。」
「「お休みなさいませ。」」
 陽子が反論する間もなく、祥瓊と鈴は茶器を片づけて部屋を出ていってしまった。
 1人部屋に残された陽子は、今しがた祥瓊と鈴が出ていった扉を呆然と見つめていた。
「・・・・・かなわないな。」
 苦笑をもらしながら陽子は、祥瓊と鈴が本気で心配してくれているのをありがたく思いながら、彼女たちの忠言どうり体を休めるため寝台へと向かった。
 祥瓊と鈴があの後、細々と準備をしてくれた結果、当初の予定では陽子や祥瓊たちを合わせて5人だった人数が3倍ほどになり、これに祝いの品を乗せた乗騎が加わって大所帯で雁へと行くこととなってしまった。が、陽子は雁へ着くなり護衛の2人を残して残りを慶に帰すと言い出したのだ。これには、垣たいや陽子の共をしてきた兵たちもあわてて考え直させようとしたのだが、陽子は、延王も延台輔の使令いるし私も景麒 から使令を借りてきているから、と当初の予定の護衛2人を残して残りを返してしまったのだ。
「・・・・本当にいいの、陽子?」
 鈴が心配そうに陽子をうかがう。祥瓊もその隣で、同じように心配そうにこちらを見ていた。陽子は、先程雁の女官が持ってきてくれたお茶を飲みながら鈴の言葉に渋面を作る。無理も無い、鈴たちは陽子が兵を帰してしまってからこっち、ことある毎に繰り返すのである。自分を心配してくれているのがわかる分強くは言えない陽子であったが、これだけ繰り返されれば嫌にもなろう。
「・・・・・何度も言うが、ここには延王もいてくださるし延台輔や台輔の使令だっている。私にだって使令はいる。」
「でも、・・・・・・・。」
「私は、しぶといんだ。そんなに簡単に死にはしない。」
 まだ何かいいたげな鈴を陽子はさえぎって強い意志を秘めた瞳を祥瓊たちに向ける。
「こんだけ陽子が言うんだ、好きにさせてやろうじゃないか。なあ、鈴?」
 まだ、納得しきれていない鈴の背中を護衛の1人として残った虎嘯が、親しげに叩いた。
 この虎嘯もまた、拓峰の乱で陽子が知り合った者の1人で夕暉の兄にあたる。
「でもねー・・・・・・・。」
 手を頬にあてて困り果てた言うように祥瓊と鈴は顔を見合わせた。
「どうするのよ、祥瓊。」
 陽子たちには、聞こえないよう顔を寄せて小声で話す。
「そんなこと言われても・・・・・。」
 こちらも、鈴にあわせて声を落とす。
「女性に手がはやい、と噂で聞く延王から陽子を守るためにあれだけの護衛を連れてきたのに・・・・・・。」
「垣たいと虎嘯だけじゃ、ちょっと心もとないわね。」
 何のことはない、祥瓊と鈴が心配しているのは陽子の命を狙う者ではなく、延王が陽子にちょっかいをだすのではないかと心配しているのだ。この2人の端から見ていた陽子は、けげんそうな顔をしてさりげなく両脇に控えている垣たいと虎嘯を見た。
「・・・・・・・・何をやってるだ。いったい。」
「さあ。」
 虎嘯は、自分に聞かれても困ると言いたげに肩をすくめた。
 そこへ、唐突に扉が開いたかと思うと、延麒を従えて延王が部屋へ入って来た。
「元気そうだな、陽子。」
「はい、延王もお元気そうで何よりです。この度は、在位500年記念の宴にご招待いただき、ありがとうがざいます。」
 陽子は、すばやく立ち上がると深々と礼をした。垣たいたちも、すばやく伏礼をする。
「陽子が護衛を連れてるとは、珍しいな。」
 陽子の後ろに控える垣たいと虎嘯に気づき延王が、珍しそうに言う。
「少々騙されまして・・・来るときはもう少しいたのですが、うっとうしいので帰しました。」
 祥瓊たちの方を恨めしそうににらみながら答える陽子に、延王は苦笑する。
「それでも、2人護衛として残したわけか。」
「・・・景麒 に泣きつかれたもので・・・。」
 見張られてるようで好きではないのですが、と陽子は苦い顔をする。
「景麒 は真面目すぎるからな。」
「尚隆が、不真面目すぎるだけだろ。それより陽子、そっち紹介してくれよ。」
「あ、すみません。 まだ、紹介してませんでしたね。禁軍左軍将軍 青辛とその部下の虎嘯です。」
 延麒に言われて、陽子は伏礼している垣たいと虎嘯を紹介する。
「この度は、在位500年おめでとうございます。景台輔よりお祝いの品を預かってきておりますのでお受け取り下さい。」
 伏礼をしたまま垣たいが祝いの言葉を述べる。
「うむ、景麒 に尚隆が礼を言っていた、と伝えてくれ。さあ、もう堅苦しい挨拶はいいだろう。俺はまだ、用事があるんで行かなきゃならんが、せっかくの祭りだ青将軍らも楽しんでいかれるといい。それでは、陽子また後でな。」
 そう言うと延王は、延麒を残し部屋を出て行った。
「お忙しそうですね。」
「ん?ああ、こういう時じゃないと尚隆、すぐ街に遊びに行っちまうからな。今日は朝から、帷湍たちに見張られて溜まってた草案や上奏に目をとおさせられてるんだ。」
 延王の出て行った扉を見つめたまま陽子が呟くと、両手を頭の後ろにもっていきながら延麒は陽子を見上げ、自業自得だ、とけらけら明るく笑う。
「それより、祥瓊たちもせっかく来たんだから関弓に下りて祭りを楽しんでくるといい。」
「それはいい。私の着替えを手伝った後はどうせ暇だろう。垣たいたちを連れて遊びに行ってくるといい。」
「主上!私たちは、主上の護衛です。仕事を放り出しては行けません。」
「垣たい、ここは玄英宮だぞ。何の危険がある?万が一あったとしても、私には使令がいるし自分の身ぐらい自分で守れる。」
 渋い顔をする垣たいに陽子は、幾度も繰り返してしてきた言い訳を繰り返す。
「それよりか関弓に下りる祥瓊たちの方がよっぽど心配だ。いくら雁は安全だからと言っても今日は人が多いだろう。垣たい、虎嘯、祥瓊と鈴の護衛を頼まれてくれないか。」
「しかし・・・・・・・・・。」
「心配いらねぇって。俺の使令や尚隆もそばにいるんだし。お前たちも息抜きしてくればいいじゃねえか。」
「垣たい、延台輔もこう言って下さってるんだ。ここは、延王と延台輔にまかせて、俺たちは祥瓊と鈴のお供をするとしようや。」
「だが、・・・・・・・。」
「俺たちが四六時中ついてたら主上だって息が詰まるだろう。主上もたまには息抜きが必要だろう。な、主上?」
 じゃ、俺たちは外に出てるから、と言うとなおも渋る垣たいをなかば引きずるように虎嘯は部屋を出ていった。
「・・・・・まあ、とにかく、陽子、着替えを持ってきてるよな?」
 しばらく、垣たいと虎嘯が出ていった扉を見つめていた延麒が我に返ったように陽子に尋ねた。
「え、ええ。」
「もちろん、持ってきてます。」
「ぬかりはありませんよ。」
 曖昧な返事をする陽子をさえぎって、祥瓊と鈴が苦笑しながら延麒に答える。
「楽しみにしてて下さい。陽子が進んで着飾ることなんて滅多とないから、鈴と腕によりをかけて選りすぐりを選んできたんですから。」
「へー。それは、楽しみだな。あ、でも、気をつけろよ。尚隆、手がはやいからな。」
「・・・私が着飾るのと延王が手がはやいのと、どう関係が・・・・?」
 倭にいる頃からこの手の話には、とんと縁の無かった陽子はきょとんと延麒を見つめる。
「あーーー。だから、陽子は十分美人の部類に入るんだから、気をつけとかないと、あいつに押し倒されるぞ。」
「延台輔!」
 けらけら、笑って陽子をからかう延麒を心持ち顔を赤くした陽子がにらみつける。
「あっはははははは。宴は夕方からだから、それまでゆっくりしとくといい。」
 じゃ、夕方迎えにくるよ、と高らかに笑いながら言うと陽子たちに文句の言う間も与えずに延麒は、部屋を出ていった。
「・・・・・言うだけ言って逃げましたね。」
「でも、確かに一理あるわ。」
「陽子は、こういうことには鈍いのよね。どうするの、祥瓊?垣たいと虎嘯も私たちについて関弓に行くのでしょう。」
「こうなったら、できるだけ延台輔にも協力してもらうのよ。他国の王に手を出すとは思えないけど、念には念をいれておかないとね。ま、いざとなれば陽子についている使令がなんとかしてくれるでしょう。」
「何をそこでこそこそ内緒話をしてるんだ?」
 部屋の隅に控えたまま小声で話す祥瓊たちにけげんそうに陽子が、声をかける。
「え?あ、その、・・・・・・・。」
「宴の席では、私たちはもちろん垣たいたちまでもが側にいなくなるわけだから、延台輔の言うとおり十二分に気をつけてもらわないと、って話してたのよ。」
 けげんそうに陽子に問われて、どもる鈴に祥瓊が助け船を出す。
「それじゃ、私たち陽子の支度が終わったら暇をもらうけど、くれぐれも無茶なことだけはしないでね。使令も側から離しちゃだめよ。」
 親が子に諭すように祥瓊が陽子に念を押す。
「無茶なことはしない。」
 苦笑しながら陽子が頷く。祥瓊の横では、鈴が忍び笑いをもらしている。
「もう、陽子ったら真面目に話してるのに。」
「すまない、祥瓊、・・・・・・・・。」
 ぷっとふくれる祥瓊に謝罪するが、笑いをこらえきれず言葉が途切れる。その笑いにつられたように、祥瓊も忍び笑いをもらす。
 穏やかな笑い声は、その後しばらく止むことはなかった。