残照-おもかげ



 尚隆は玄英宮の一室で、遠い山際に沈む夕日を眺めていた。
この世の終焉を思わせる赤光は、足元まで遍く濡らす炎と血の光景。
そは、破滅の色。
そは、愛惜愁傷の彩。
奈落の底へと誘う、昏い情念の光。
 
 
-----ずっと、そう思っていた。瀬戸内の海が、空が、濃い紅に染まった時から。-----
 
 
 「海がある!」
 ひどく子供じみた表情で言ったのは、年若い娘。
少女らしい丸みを欠いた、やつれた顔。
嘗ては夜の海の如くあっただろう、夏陽の葉の瞳。
薄汚れた髪は、彼の厭うた鮮やかな朱に変えられ・・・。
斬り付けるような覇気と自己不信に揺れる彼女は、自分と同じ胎果の王。
手の中にあると思っていた全てを打ち砕かれ、現実を押し付けられた苦悩は、如何許りであったろう。
迷い、傷に爪する瞳が痛ましかった。
真摯に過ぎる心根が、いっそ哀れだった。
だから、張り詰めた心を解いてやるべく、わざと道化たりもした。
能面の如く硬直した彼女に、笑顔を与えたくて。
初めての笑顔は、それでもまだ緊張に歪んでいたけれど。
そう、それは花に喩えるなら、漸く色づき始めたばかりの、青く固い蕾。
そんな、未だ女の匂い微かな少年めいた容姿が、色を度外視した庇護欲を掻き立てたのは、間違いない。
ただ、あの醒めるような赤だけが、胸に重かったけれど。
 
 玄英宮に在る間、娘は多くの時をテラスで過ごし、寄せる波を見詰めていた。
いや、波を見ていた訳ではないのだろう。
恐らくその瞳に映るのは、己が胸を穿つ昏き深淵。
不安があった。
この期に及んで逃げを打つような人柄ではないと、思ってはいたけれど。
 だからその日、吐き気を催す程美しい夕焼けに気付きながら、自分はテラスへ赴いたのだ。変わらず迷い続ける彼の姿を、確認するために。
 時を忘れた娘は、夕刻の茜に照り映える波涛の、煌く飛沫に濡れ、なお佇んでいた。
所在なげな横顔は、稚く、儚くさえあり・・・。
そして彼女は不意に面を上げて。
風にさらわれた髪が、滲む陽の残照に融けた。
空と海と娘と。分ち難く混ざり合い、まるで世界を包み込むように。
 突然、目の前の光景が、今まで見えていた物と全く異なって見え始めた。
遍く撫でる赤光は、血と炎に呑まれた不吉な終焉の象徴ではない。
そは、生命の色。
そは、静かなる情熱の彩。
明日を匂わす、しなやかな魅力の光。
 
 
-----これは褒美のつもりか?或いは枷か。五百年、耐え続けた俺への。-----
 
 
 淡い残滓を引きつつ姿を隠す陽を追い,目の奥に彼の娘を描く。
今は外つ国の宮に住む女王。
自分と同じ異国の名を持つ娘。
いずれその艶やかさで万人の心を捉えるだろう、未だ咲き初める前の大輪の華。
ただの女であったなら。側近く添わせて離さぬものを。
ただの女であったなら。出会える事も惹かれる事もなかったのだろうが。
 藍に暮れ果てた空を仰ぎ、尚隆はゆっくり目を閉じた。
目蓋の裏に残る鮮やかな彩を、胸の内へ焼き付けるように。
 
 
『二百年も三百年も待っていよう。お前の中の女が、目覚める余裕ができるまで。堕ちそうな時は、きっとお前を想いながら。』
 
 
 
 
 
                        
 
 
 
 
 

<おわり>


こんな、内向きディープな延王様って、世の中的にはオッケーなんでしょうか?
っつーか、陽子名前すら出てないし。
こんなんで、又書かせて頂いても良いものでしょうか?
今度こそ、陽子が登場するやつを・・・。
 
 

(駒苑頌様よりの一言)