月の影の向こう側

「すまないが、」

下官たちは必死になって笑いをこらえている。が、その努力は半分ほど無駄になっていた。

「?私の顔に何かついているのか」

声をかけた下官たちはくすくすと笑っている。
わけが分からない。
そもそもの始まりは、朝議の後主上に自室まで来るように命じられたことにある。ところがなん
と、肝心の主上がどこにも見当たらない。そこでとりあえず、内宮をぐるりと一周してみたのだが
一向に主上の足取りはつかめない。仕方がないのでであった下官ごとに「主上はどこか」と尋ねて
回っているのだが、それでも主上の足取りはつかめない。
大きくため息を吐いてから下官たちに主上を見なかったかと尋ねる。

「さあ?先ほどまでは自室にいらっしゃったようですが?」

七回の同じ質問と、七回の同じ返答。返答にいたっては一字一句まったく変化がなく、皆申し合
わせたように同じ事しか言わない。
仕方なくその下官たちに礼を言ってその場を離れる。しばらく歩いたところで下官たちの姿が見
えなくなる、とたんに背後から大爆笑。これもまた七回も繰り返されてきたことである。
それからしばらく回廊を歩いていると再び下官に会った。そこで八回目の同じ質問をする。
するとその下官は黙ってある方向を指差した。

「あちらにいらっしゃったようですよ。」

その方向には確か小さ目の小屋があるはずだ。
礼を言ってその下官とすれ違った時、ふと思い出すものが会った。
たしか彼女に主上の居場所を尋ねたのは二回目のはずでは?
そう思い出して振り返った時には、もう彼女の姿は回廊のむこうに消えた後だった。
どうやら私は主上にはめられたようだ。
一つため息を吐いて私は先ほどの下官の示した方向へ庭園を歩いて行く、この方向にあるものと
言えばちょっとした小屋ぐらいだったはずだ。おそらくはそこにいるのだろう。
少し歩いたところで小屋を見つける、同時にそこに赤い髪の人物を見付け私は今度は安堵のため
息を吐く。
全くこんなところにいらしたか。
小さなため息と同時に内心つぶやいてから声をかける。

「主上、御用とは一体・・・」

そこまで言ってから言葉を飲み込んだ。
赤い髪の主上は、机に突っ伏して寝ていた。
何かを書いていたのだろう、硯があり筆がある。筆の墨はすでに乾いて硬くなっていた。そしてお
そらくは失敗作なのであろう、丸められた紙が十数枚散っている。
何を書こうとしていたのかふと興味を抱いたので、失敗作らしい丸まった紙の中から一枚を手に
取り開いてみる。が、そこに書かれてある文字はその半分以上を読むことが出来ない。
おそらく蓬莱独自の文字だと思われる、みみずのはったような文字の間に漢字が並んでおり、そ
の比率は大方2対1と言ったところであろう。

「?・・・父・・・母・・・陽子・・・元気・・・二度・・・会・・・事・・・」

文章はそこで切れていた。
だが、その文章の示す内容は数少ない文字が静かに物語っている。
漸く主上に呼び出されたわけが解った。


主上が目を覚まさぬようにそっと抱きかかえ、そのまま彼女を寝室へと運び寝台に横たわらせる。
彼女が目を覚まさなかったことを確認してから寝室を出る。
寝室を出た私の懐には一通の手紙がある。
机に突っ伏していた主上を抱えあげた時に見付けたものだ。
きちんと封じられたそれには、表には大きく裏には小さくいくつかの文字が書かれていた。裏に
書かれた文字は主上の名と内容の分からないいくつかの漢字。そして、手紙の内容から察すれば、
表に書かれている文字は主上の両親の名前であろう。
懐の手紙に手をやりふと思う。
たまには蓬莱へ行くのもいいだろう。
主上はいつも「たまには息抜きをしろ」と言ってくださる。であれば、それが今日であって悪い
という事はないだろう。



通りすがりの下官に主上に宛てて伝言を頼み、その足でそのまま蓬莱へ向かう。



二日後に蓬莱から戻ったが、主上は特に怒るわけでもなく、ただ一言、

「ありがとう」

と言っただけだった。