不望永遠
後編
「貴方に誓えなんて言わない。でも、でも私自身の想いまで、貴方に決められたくはない」
「俺はな、陽子」
「私は、私は・・・」
 悲しさと腹立たしさで、言葉が詰まる。
 尚隆は静かに口を開いた。
「俺は、王だ。必要ならば嘘もつく。はったりもな」
 にやり、と笑む。それはいつもの不敵なものでもあり、そしてどこか苦味を帯びたものだった。
「民も官も騙すこともある。六太や・・・・・・・・・時には自身さえも」
「・・・・・・」
 わずかに視線を反らせて話す延を、景は見つめた。
 「王」という単語のせいか、それとも常とは違う男の様子からかいつしか胸の激情は完全に去っていた。
 尚隆はそんな陽子に目を戻し、真っすぐに彼女の瞳を見た。
「だが俺は、お前の前では真でありたいのだ。破るかもしれん約束も、誓いもしたくない。それは、お前も俺自身も騙すことだ」
「・・・・・・それは、他の女性を好きになるかもしれないと言うことですか」
 陽子も女である。かすかに、胸の奥が痛んだ。
 しかし彼女のもっと奥深いものが、尚隆の言うことを正しく受け止めていた。
 この人は・・・・・・。
「否定は、せん」
 重く、延は応える。
 陽子の胸が、痛みと同時に、全く異質のもっと強い感情に熱くなった。
 ―この人は、本当に真であろうとしている。
 普通ならば言うはずだ。「そんなことはない」と。「他の女など好きにはならない」と。
 口約束など簡単なことだ。もしそれが破れたとして、恋愛のことだ、誰もこの男を責めることなどできないだろう。
 それなのに。
 何事にも器用なこの男が、こんなにも不器用な・・・・・・あきれるほどの真摯さで自分に向かい合ってくれていたことを陽子は知った。
 それはどれだけ誠実な想いだろう。どれだけ真摯で深い愛情だろう!?
 怒りと悲しみには耐えられた涙が、陽子の瞳から零れ落ちた。
「呆れたか?」
 陽子の涙を誤解してか、尚隆は自嘲の笑みをかすかに浮かべた。
 陽子はくすり、と笑う。
「ええ、呆れました。貴方があんまり馬鹿正直だから」
 愛しさに満ちたその響きに、尚隆は驚いたように陽子を見て、そしてふっと笑った。
「―そうか」
「はい」
 尚隆が陽子にも誓ってほしくないのは、自分の言葉に縛られることになって欲しくないからだった。
「俺は、お前に惚れている」
 そう、尚隆は繰り返した。そして、陽子の頬をそっと指で撫ぜる。
「俺がただの人間だったなら、迷わず誓える、それほどにな。・・・・・・陽子、俺たち王に寿命はない。天命を失うまで後500年か千年か、それ以上か・・・・・・むろん、明日ということもありえるがな」
 笑えない内容を軽口でそうつけたして、再び真面目な顔になる。
「明日なら・・・それこそ100年程度なら、俺はお前を愛しているだろう。お前も、俺を想っていてくれると思う。だが200年、300年、400年・・・・・・いつ訪れるか分からん終わりの時までも誓うことはできん。王である以上、誰も永遠は誓えんのだ」
「・・・はい」
 陽子にも、分かった。
 王には、短いかも、そして今の陽子から思えばそれこそ永遠にも近い時間があるかもしれないのだ。
 「ずっと」という言葉が、不可能であり・・・そして重要ではないこともはっきり理解できた。
「大切なのは、今、ですね」
「そうだ」
 今が続いていけば、もしかすると永遠に近いものになるのかもしれない。
 けれど約束はしない。
 相手を、真剣に想っているからこそ。
 真剣に頷き返した恋人に、尚隆はいつもの笑みを浮かべた。
 二人の間の空気から、先ほどまでの張り詰めが嘘のように消える。
「・・・できるだけ長く、陽子と想いあっていたいとは願っているがな」
「そうですね・・・・・・」
 そっと、陽子は目を伏せた。
 けれどそこに浮かぶのは、柔らかな微笑み―。
「一分でも、一秒でも、長く・・・・・・」
「・・・・・・」
 尚隆は顔を寄せると、そんな陽子の唇を軽くついばんだ。
 驚いて目を上げる陽子に、ニッと笑む。
「せめて100年でも長く、とは言えんのか?」
「今は」
 陽子は、にこり、と尚隆に笑んだ。
「貴方を愛しています」
「よく言った」
 ふ、と笑い同じ王であり恋人でもある娘を、延王は胸に抱き込んだ。
「俺も、今は陽子だけが愛しい」
 先まで変わらない心を誓うことはできない。
 寿命が見えない自分たちが、それを約することは不可能だった。
 けれど。
 そう、陽子は想う。
 ずっと愛されていたい。
 ずっと、愛していたい。
 この恋が、この想いが、かの胸にこの胸にあり続けるように・・・。
「陽が・・・」
 陽子は尚隆の胸に身をあずけたまま、そっと窓へ目をやった。
 太陽が昇り始めている。
 空を染める暁の色。
 尚隆はそれを見やり、うむ、とただ静かに頷いた。
 が。
「あーっ!」
 陽子は突然声を上げると、がばりと身を起こした。
 尚隆はあっけにとられる。
「な、何事だ?」
「今日は昼から治水についての内々の打ち合わせが!」
 言いながら、陽子はあたふたと身なりを整えている。
 バタバタと室を行き来する陽子を、寝台の上で眺めながら
「そう急がなくとも、昼には間に合うだろう?」
 尚隆はのんびりとそう言う。陽子は手を止めない。
「打ち合わせの前に、目を通しておかなければいけない書類ができているはずなんです」
「そんなもの景麒にまかせとけ」
「駄目です」
 きっぱりと言い完全に身支度を整えた様子の陽子に、尚隆は少し笑ってしまう。
 その笑いはだが、きりりと振り返った陽子の前に凍りついた。
「尚隆。貴方も明後日の朝議までに仕上げておく書類があったはずですよ」
「う。誰が、お前にそんな事を」
 尚隆の脳裏を、数人の顔が通り過ぎる。
「そんな事はどうでもいいでしょう」
 だが陽子のその強い声に、
「はい」
 思わずそう答えてしまう。
 陽子は軽く目を見張ると、くすくすと笑った。
 笑みあう二人の視線が交わり、陽子は少しかがんで軽く尚隆にキスした。
「・・・では。尚隆、また」
「うむ」
 名残惜しげに恋人たちは離れた。
 陽子は室を出ていく。だが、尚隆が見ている前ですぐに再び扉が開いた。
 陽子が顔だけ出して、少し驚いた顔の尚隆に笑う。
「明後日の朝議には、ちゃんと出るんですよ!」
 少し強い口調のそれを残して、扉は閉められた。
 尚隆は息をついた。
 陽子が真面目なのを見越して、雁の誰かが陽子に泣きついたに違いない。
 まあ、それが誰かは想像がつくが。
「・・・全く、あいつらめ・・・」
 しかしそう毒づいた延王の目は笑っていた。
 そのころ陽子は宮に向かって騎獣を走らせていた。
 尚隆は室の窓に寄った。
 陽子は朝日に目を細めた。



 愛しさも恋しさも真実。
 二人の王は、互いに離れた場所で同じことを想って天を仰いでいた。
 永遠は望まない。
 けれど、この想いが、この時間が。
 できるだけ長く続くように・・・。
 そう、願う。