自分にごほうび


いきなり雨が降ってきた。

そんなに日頃の行いが悪いかな。

今日はどうしても飲みたくていろいろと回ってみたものの、どこも満席で入れなかった。

一杯だけなのになんでだよ。

おまけに雨だ。
俺は通りの喫茶店へ走り軒下で雨宿りする。喫茶店はもう終わっているらしく、ドアは開かなかった。

ここにきてついてないな。
「早く、あがれ!」
俺の言葉とはうらはらに雨はだんだん強くなってきた。
「あーあ」
ため息をついたとたん
「あー!」
ドアが開き、俺は前につんのめった。
「びっくりした」
後ろを見ると
「桜井さん」
笑顔の五代さんが立っていた。
「わっ」
二度びっくりで、俺は軒下を飛び出しずぶ濡れになった。
「すいませんっ。中、入ってください」
はい、と俺は店の中に入った。そして、店内をぐるっと見渡した。テーブル席の椅子はもう逆さになってテーブルの

上にのっかっていた。五代さんは店の奥からタオルを持ってきて
「どうぞ」
「すいません」
と俺は頭を拭いて上着を脱いだ。
「ここがポレポレですか」
「はい、ここがポレポレです」
五代さんはまだのかっていなかったカウンター席の椅子を一つ引いて、
「いらっしゃいませ」
とカウンターに入った。俺はその椅子に座る。
「何にしますか」
「アルコールはないですよね」
「ありますよ、ビールとか」
「あ、いやぁ…」
俺は少し言いよどんだ。でも五代さんは笑顔で
「何でも言ってください」
と言ってくれたので俺はそれに甘えることにした。
「カクテル、あります?」
「へ?」

‥‥‥しばらくの沈黙。

そして、
「あ」
と五代さんが言ったのと同時に俺は
「いや、いいんです。いいんですよっ」
と慌てて訂正した。
「あることはあるんですけど」
五代さんは後ろにある小さな冷蔵庫を開けた。
「あ」
俺はカウンターから身を乗り出して、その冷蔵庫の中をのぞき見た。そこには、いろいろな種類の酒とリキュールが

並んでいた。
「でもこれはおやっさんの趣味で、オレよくわかんないんです」
でもね、と五代さんはカウンターにカクテルの道具をずらっと並べて
「シェイカーぐらいは振れますよ」
と、空のシェイカーを振る。

ならば。

「俺、作りますよ」
俺はカウンターの中に入り、その冷蔵庫から材料を出して
「さてと」
とYシャツの袖をまくって、手を洗い、氷をアイスピックで小さく割って、シェイカーの中に入れた。そして、チェ

リーブランデーとブランデー、オレンジキュラソーとグレナディンシロップを少々、レモンを搾ったものもシェイカ

ーに入れてふたをする。
「カクテルグラスとかあります?」
はい、と五代さんはカクテルグラスを一つ出した。
「五代さんの分もありますから」
「そうですか?」
五代さんはもう一つカクテルグラスをカウンターに置いた。
「では」
俺はシェイカーを振って、二つのグラスにカクテルを注いだ。
「おお」
五代さんはグラスを手にして、深い桃色のカクテルを眺めた。俺もグラスを持って、
「じゃ」
「乾杯」
俺達はカクテルを一気に飲み干した。そして互いに笑って、五代さんが言った。
「カクテルって一気に飲むもんじゃないですよね」
「ええ」
「もう一杯、なんていいですか」
五代さんのリクエストに応えて、俺はもう一度同じカクテルを作って、今度はゆっくり飲んだ。
「このカクテルって、なんていう名前なんですか?」
五代さんがグラスを眺めながら聞いた。
「チェリーブロッサムっていうんです」
「桜、ですか」
俺はちょっと照れた。
「桜子さんに教えてあげよう」
五代さんはそう言ってカクテルを飲み干した。
「あ、ええ、ぜひ…」
「桜井さんはこれを飲みたかったんですよね」
「い、いや」
「桜ですもんねぇ」
「…ええ。あ、もう一杯作りますよ」
俺はグラスを洗ってよく拭いてから、グラスのふちに塩を付けてスノースタイルにした。
「今度はなんだろう」
「お楽しみですよ」
俺はシェイカーに氷とテキーラを入れた。五代さんは作るのを眺めながら
「腕まくりするバーテンダーってのもおもしろいですよね」
とニコッとした。
「そ、そうですね」
俺は腕で額の汗を拭いた。
「でもなんでカクテルなんですか?桜井さんって杉田さんとビールジョッキで、『カーッ!』て感じするけど。あ、すいません」
「ですよね。いつもはそうですよ、そりゃあもうドンチャン騒ぎですよ、あれますよ」
「でも、今日は違うんだ」
「ええ。確かに事件が解決したときはドンチャン騒ぎですけど、今日はね」
俺は材料が入ったシェイカーを五代さんに渡して
「振ってもらえます?」
「よろこんで」
五代さんはゆっくりとシェイカーを振り始める。
そしてニコニコしながらスノースタイルのグラスにそれを注ぐ。
「わぁ」
五代さんは思わず声を上げた。グラスには水色のカクテルが注がれた。
「ブルー・マルガリータ。なんか五代さんぽいでしょ」
「え?」
「青空」
俺達はもう一回乾杯した。

「俺、今でもあの一年はいい経験だったなって思うんです」
俺はブルー・マルガリータを眺めながら話し出した。
「いい経験なんて不謹慎かもしれないけど」
「いえ」
「五代さんや一条さんにも出逢えたし」
「一条さん」
「ええ」
俺は頷きながら、五代さんの目を見て
「ぶっちゃけちゃっていいっすか」
と言うと五代さんは少しのけぞって
「どうぞ、どうぞ」
「そりゃ初めはね、いけすかねえ奴って思いましたよ」
ハハハ。
二人で笑った。
「でもね、五代さんのことずっとひとりで守り続けて、本当は優しい人なんだなぁって」
「優しいから厳しくなっちゃうんですよね」
「ま、堅物には違いないですけど」
「ですね」
「そして、輪をかけて優しい五代さん」
いやいやぁ、と五代さんは手を振った。
「天然記念物並のいいひとですよ」
「それほめてます?」
「ええ、かなり」
「桜井さんはまっすぐで」
いやいやぁ、と今度は俺が手を振った。
「かなりおもしろいですね」
「はぁ」
俺は気を取り直して話を続けた。
「以前はやっぱり肩肘張って生きてましたよ。犯罪者を取り締まって、安全な街にするのが警察官の仕事だと思って

ましたから。もちろんそうなんだけど、それだけじゃだめなんだなって。0号はやっぱり五代さんじゃないと倒せな

かったんじゃないかって思うんです。それでこう思うようにしたんです、俺の仕事はね」
そう言って五代さんの方を見た。五代さんはグラスをじっと眺めていた。
「俺の仕事は、人の命を守ることだって」
五代さんはニッコリしながらこっちを見て、サムズアップをした。
「だから、今日みたいに何もなく定時で帰れた日にはこの街の平和に感謝して飲むんです」
「そうだったんだ」
「ま、自分にごほうびってかんじなんですけど」
「自分にごほうび、いいですね」
「でしょ。だけどいつも行ってる所は満席で、あちこち歩いていたら雨降ってくるし、たどり着いたらここでした」
俺達はグラスに残ってるカクテルを飲み干した。

「もう一杯だけ、飲みましょうよ、ね」
五代さんはそう言ってシェイカー振るのを待っている。
「次は何にしましょうか」
俺がそう言ったとき、店のドアが開いた。
「こんばんは」
「あ、桜子さん」
やって来たのは桜子さんだった。
「明かりついてたから…今日は遅くまでやってるんだね」
「今日は特別。雨まだ降ってる?」
「そういえば降ったよね、もう上がってるよ」
「さ、どうぞ」
五代さんは桜子さんを後押ししながらカウンターの席に座らせた。
「どうしたの?」
「今日は特別メニューがあるんだよ」
「あ、こんばんは」
桜子さんは俺に気がついてあいさつした。
「こんばんは、バイトです」
「スペシャルのバイトさんです。じゃ、あれを」
「はい、かしこまりました」