序章〜弐〜
| 龍麻は佐久間たちに囲まれるようにして、歩いていた。 佐久間の大きな背中を見ながら、必死で自分を落ち着けようとする。 どれだけ強いかは知らないが、この男たちは普通の人間だ。 <力>を持つ者たちと戦っていく自分が、苦戦するわけがない。 古武術を習ってほんの数ヶ月だったが、<力>が龍麻を急激に強くしていた。事実、道場で戦った選りすぐりの者たち相手でさえ、龍麻には全くかなわなかった。 いきがっていようと、ただの不良。 龍麻にかかれば、本気を出すまでもなく勝負は見えていた。 それなのに。 「・・・・今さらビビッたって遅いんだよ」 体育館裏についた佐久間は、振り返るとニヤッっと笑った。 龍麻の目に隠せない恐怖を認めて、佐久間は楽しくてしかたがない。 龍麻は答えなかった。 理性では必ず勝てることが分かっているのに、自分の胸の奥が震えているのを自覚してしまう。 龍麻は自分の中に染み込んでいる臆病さを、心の中で罵った。 彼女であったころ、戦いも――もちろん喧嘩さえも、遠いものだった。それにいつも、そばに支え守ってくれる腕があった。彼女はただその背中に、時には胸に、守られていればよかった。どんな危険も彼女を害することはできなかった。 嫌悪と後悔と罪悪感。思い出した「彼女」へのそれで、龍麻は顔を歪ませた。 「転校早々病院送りとは、ついてねーなー?」 佐久間の手下の嘲笑に、龍麻はハッと我に返る。 「・・・・・・・」 震えるんじゃない。 そう、自分を叱咤する。 佐久間たちから発せられる剥き出しの敵意や、どす黒い憎しみ、そして歪んだ愉悦。それが、龍麻を怯えさせていた。 道場でどれだけ強い者と戦っても、彼らは龍麻にそんな感情を持ってはいなかったからだ。どれだけ手合わせしていても、それは試合でしかない。 初めての実戦。初めて受ける感情に、気圧されていた。 その時。 「よお。転校生への悪ふざけにしちゃあ、ちょっとばかり大げさじゃねーか?」 声が、龍麻たちに降ってきた。 龍麻は、声のほうを見上げた。 木の上に、京一の姿があった。 京一は身軽く、龍麻の隣に飛び降りた。 「く、蓬莱寺!」 「――五月蝿くって、サボってゆっくり昼寝もできねーぜ」 「京一・・・・・」 突然現れた彼を、龍麻は見上げた。 京一はそんな龍麻に、笑ってみせる。 「大丈夫か? だから気をつけろって言ったろ?」 まだ戸惑いながらも、龍麻はそれに頷いた。 京一と佐久間が火花を散らす。 龍麻は、半ば強引に京一の背に押しやられた。 彼の背中に、一瞬違う人の背中を見てしまう。 そして、以前と変わらない甘えた自分に、愕然となった。 龍麻は、助け手に一瞬ほっとしてしまった自分を責めた。 何を、しているんだ・・・・・。 甘えることも、頼ることも。そんな資格は自分にはないはずだろう? 「龍麻! 俺のそばから離れるんじゃねーぞ」 京一の声が届く。 龍麻はキッと顔を上げた。 俺は緋勇龍麻だろう? 強くなければならないはずだろう! ――俺は・・・・。 「この人数差で、誰か庇って戦おうなんて甘いんだよ!」 佐久間の嘲りに合わせるように、不良たちが京一と龍麻をさっと囲む。 京一は舌打ちした。 前からの攻撃は庇えても、後ろからではどうしようもない。 「・・・・・・・・」 龍麻は京一の背に背を向けた。 自分の前の不良を見据える。 「龍麻!」 京一が一歩下がってきた。彼の背中が、背に軽くあたる。 京一の囁きが聞こえた。 「俺が正面の奴を沈めるから、そこを走り抜けて壁際まで走れ」 壁際に龍麻をつけて、自分の背に庇うつもりなのだ。 龍麻は、静かに息を整えた。 「その必要はないよ」 「龍麻?」 意外な言葉に、京一は龍麻を振り返りかける。 その京一に、さっきまで怯えていたはずの龍麻の、冷静な声が届いた。 「後ろはまかせる」 龍麻は言って、目の前の不良に向かって拳を突き出した。 素早いが、軽い拳。しかし、不良の腹にそれが当たった、瞬間。不自然なほど強く、その不良は吹き飛んだ。 地面に倒れて、ぴくりとも動かない。 龍麻は内心動揺した。 氣が・・・・・。 「――強すぎた、か・・・・?」 かなり手加減したつもりだったのだが。 その龍麻の呟きを、京一は聞き逃さなかった。 京一の口元に、子供が面白い玩具を見つけた時のような、笑みが浮かぶ。 京一は、目の前の不良に木刀をつきつけた。 「行くぜぇ!」 5対2。 しかし龍麻と京一が二人ずつ倒すのは、一瞬だった。 京一ならともかく、龍麻にまで手下を簡単に倒された佐久間は唖然としている。 「さてと。どうするよ?」 佐久間の前で、京一はそう言う。 それは佐久間に言っているようでもあり、傍らの龍麻に言っているようでもあった。 龍麻は、佐久間を見た。 「――やめるなら、もう行かせてもらうけど」 龍麻の言葉に、京一は驚く。 いや、言葉ではない。その調子に、だ。 一方的に因縁をつけられたようなものなのに、その声には優しさがあった。 決して馬鹿にしているのではなく、龍麻が本当に佐久間に気を使ってやっているのが分かる。 「俺は転校して来たばかりだから、この学園のことも君のことも何も知らなかった」 龍麻はそう言って少し、目を伏せた。 自分が戦うのは彼らじゃない。 それに、龍麻には、普通の人間相手の喧嘩は卑怯なことに思えた。自分が強いのは、<力>があるからだけなのだ。 「だから、気に障ったなら謝るよ」 「・・・・てめえ・・・」 佐久間の押し殺した声に、龍麻は少し困る。 佐久間はいい人とも思えなかったが、酷く悪い奴かどうかも分からない。 できれば、自分の<力>で、彼の自尊心を傷つけるようなことはしたくなかった。 「えーと。それに、美里さんのことだけど、俺は――美里さんのほうもだろうけど、そういう感情は全然ないし。佐久間・・・君が、気にすることは何もないから」 一生懸命に言う龍麻に、京一は嘆息した。 人がいいのは、分かった。 しかし、龍麻には分かっていないのだろうが、それは佐久間のような種類の人間にとって挑発にしかならない。 京一の思った通り、佐久間は怒声を上げて龍麻に飛び掛った。 「うるせえんだよッ!!」 「龍――ッ」 京一の身体が動くよりもはやく、龍麻は佐久間の腕をくぐりぬける。 ひゅっと空気を吐き。 龍麻はとん、と佐久間の肩に手のひらを添えた。 氣を放つ。 佐久間の巨体が、空を舞った。 どう、と彼が地に倒れた時、龍麻は佐久間が飛び掛る前と同じようにただそこに立っていた。 龍麻は、短い口笛に視線を上げる。 さも楽しそうに、京一が笑っていた。 「お前、結構やるな」 「・・・・京一こそ」 「俺が出てくる必要なかったみてえだな」 「いや。助かったよ。ありがと――」 「くそ!」 佐久間の声が、二人の会話を遮る。 龍麻と京一は、むくりと起き上がった佐久間を見た。 「あん? まだやるってのかよ佐久間」 「・・・・・・・・・」 「――そこまでだ」 睨みあう京一と佐久間の間に、声が割って入る。 龍麻は声を振り返った。 佐久間以上に体格の良い男が立っていた。 京一が彼に笑顔を見せる。 「よお、醍醐」 「・・・チッ」 反対に、佐久間は嫌そうに舌打ちした。 醍醐はそんな佐久間を見る。 「佐久間。そんなに身体を動かしたければ部に出て来い」 「――るせえんだよ。邪魔しやがって」 「助けてもらったの間違いだろ」 京一が、そう口をはさむ。 「龍麻が手加減したのに気づいてねーのか?」 「んだと!」 「やめろ! 佐久間、今日はもういいから帰れ。京一も、挑発するな」 醍醐は疲れたように言う。 佐久間はしばらく三人を睨んでいたが、地面に唾をはくと肩をいからせて去っていった。 こちらに駆けてきた美里と小蒔を見て、一瞬だけ足を止める。だが、何も言わずに彼女たちとすれ違って行った。 醍醐は、息をついてから龍麻を見た。 「緋勇龍麻――だったな。佐久間が失礼なことをして悪かった」 「いや。俺も、もうちょっと上手に振る舞えればよかったんだけど」 「そう言ってもらえると助かる。アレでもレスリング部の部員だからな」 レスリング部? そう聞く龍麻に、醍醐ではなく京一が答えた。 「そーそー。こいつってレスリング部の部長なんだぜ」 「お前も剣道部の部長だろうが」 「え、京一、部長なのか? 部長が部活サボっていいの!?」 龍麻の驚いた顔に、京一はうなる。 優しい笑い声がして、美里が現れた。その後ろには小蒔の姿がある。 「京一、だから部活ぐらいちゃんと出たらって言ってるだろ」 「るせーぞ、小蒔」 「龍麻君、大丈夫だった?」 心配そうに自分を見る美里に、龍麻は優しく笑んだ。 「ああ。心配かけてごめんな」 「そうだよー。美里ったら、龍麻が危ないってすっごく慌ててたんだから」 小蒔の言葉に、醍醐も頷く。 「うむ。だが、杞憂でよかった。俺は醍醐雄也、同じクラスだ。今日はジムに行っていて紹介できなかったな。とにかく、よろしくな緋勇」 醍醐はそう言って、龍麻に手を差し出した。 龍麻は、その手をとらない。 「よろしく、醍醐。よければ龍麻と呼び捨ててくれ」 「ああ。・・・・?」 「龍麻は野郎に触られるのは嫌いなんだと」 茶化すように京一が笑う。 醍醐は戸惑ったように、そうなのか? という目で龍麻を見た。 龍麻は少し困ったような顔をした。 「別に、男でも女でも同じなんだけど。触ったり触られたりするのが苦手なんだ。ごめんな」 「いや・・・うむ・・・」 納得したようなしないような様子で、だが、醍醐は差し出した手を下ろした。 「まあ。人それぞれだろうからな」 「野郎はともかくオネーチャンもダメとは、人生終わってるなあ!」 「――そんなのは京一だけだろ!」 小蒔が、京一にそう突っ込む。 美里が、微笑む。 醍醐と京一と、小蒔が楽しそうに笑う。 龍麻は、眩しげに目を細めた。 失った、そして2度と手に入らないだろうもの。 それがそこにあった。 龍麻は、彼らに気づかれないように目をそらせた。 手に入らないだろうどころか、求めることさえ許されないことだ。 龍麻はそう、自分に言いきかせる。 彼らは愛すべき同級生で、守るべき人たち。大切な、暖かい人たち。 だが、それだけだ。 「・・・・・・・・・・」 ――暖かさや優しさは、ただ心の上を滑らせていけばいい。 庇護する対象。 龍麻に必要なのは、ただ、それだけだった。 |
END