廻り始めたもの〜六〜


「な・・・んだ・・・・?」
 刀を手にし、膝を折って動こうとしない龍麻を、京一は怪訝に見た。
「龍麻君?」
 美里が、龍麻にもっと近寄ろうとする。
 それを、横から伸びてきた腕が止めた。
「――寄るな」
「え?」
 美里は、自分を遮った秀麗な男子学生を見上げる。
 如月は、龍麻に目を置いたまま厳しい声で言った。
「今の龍麻は危険だ」
「――どういうことさッ」
 如月が何者なのか不思議に思う余裕もなく、小蒔が如月にくってかかる。
「龍麻がどうしたって――!?」
「落ち着け、桜井」
 醍醐が、彼女を静めるように柔らかく背中を叩く。
 醍醐は如月を向いた。
「分かるように、説明してくれんか?」
「あれは、妖刀だ」
 如月は龍麻の手の中の刀に、すうっと鋭く目を細めた。
 神経を集中すれば、後ろの首筋の辺りがチリチリとする。
 彼にとっては、幼いころから慣れた感覚だった。
 邪悪な、妖気、とでもいうようなもの。それが、その刀から漂ってくる。
「おそらく、先ほどの男はその刀に操られ異形に堕ちたんだろう」
「――そんなッ・・・・」
 美里が悲鳴を飲み込む。
 彼も化け物のようになってしまうのだろうか。
「どうなるって言うんだよッ」
 如月に掴みかかるような勢いで、京一が吼えた。
 龍麻は、もう気に入らない。
 たしかに、一瞬は憎みさえした。
 しかし、命に関わることとなったら、話は別だった。
「分からない」
 応える如月の声は冷淡とも言えるものだった。
 しかし、正直如月にも分からなかったのだ。
 龍麻は黄龍の器、のはずである。
 だが妖気を全て跳ね返せるわけではないだろう。その証拠に、刀を手に取ってから、彼はピクリとも動こうとしない。
 京一は激しく舌打ちした。
 動こうとした京一の腕を、如月が掴む。
「――危険だと言っただろうッ」
「うるせえ!」
 京一は、如月の腕を振り払った。
「ぶん殴ってでも、正気に返らせてやるんだよ! ――美里ッ!?」
 京一は声を上げる。
 如月はハッとなった。
 美里が、龍麻の前に立ったのだ。
「龍麻君?」
 優しい声で、彼を呼ぶ。
 龍麻が初めて反応したように見えた。ゆるゆると、美里を見上げる。
 醍醐も小蒔も京一も、そして如月も息をつめた。
 今下手に動いて龍麻を刺激すれば、美里がどうなるか分からない。
 誰かが美里を助けるより先に、龍麻の刀が美里を貫くだろう。
「・・・・葵・・・」
 小蒔が小さくそう、呟くことしかできなかった。







 龍麻は美里の顔を見ていた。
 しかし、その目は誰も映してはいなかった。
 刀を持つ手が震える。
 傷つき、打ちひしがれた龍麻――いや、遙の心に、声は変わらず囁いていた。
(壊してしまえばいいわ)
 何を・・・?
 ぼんやりと、問い返す。
(嫌われるのは苦しいでしょ? 憎まれるのは辛いでしょう)
 ・・・・でも、そうしなきゃ。
 京一たちには、仲間には、嫌われていなくちゃいけないから。
 私に負の感情を持ってもらわなくちゃ、本物の龍麻が・・・・。
(でも、イヤだわ)
 嬉しい、わけがなかった。
 自分にとって相応しい罰だと理性は思えても、感情は違う。押し殺した胸の奥で、悲しいと叫んでいる。
 京一も、醍醐も、小蒔も、美里も。
 優しくて、温かくて、大好きだった。
 でもその彼らが皆仲間だったのだ。自分が、嫌われなくてはならない人たちだったのだ。
(大丈夫)
 声は、優しく囁いた。
(壊してしまえばいい。なくしてしまえばいい)
 そうだ・・・・。
 彼らがいなくなれば、自分はそんな辛い想いをすることもない。
(大丈夫)
 大丈夫。
(殺せばいい)
 ふい、と龍麻の目に、目の前の美里の顔が鮮明に映った。





 如月は、顔色を変えた。
 龍麻の、気配が変わった。
 それは、京一にも伝わった。
「――美里ッ」
 もう、刺激しては危ないなど言っていられない。
「危ねぇ!!」
 京一が叫んで、美里に駆けたのと、龍麻が無造作に刀を振り上げたのは同時だった。
 ――間に合わない。
 如月が、分かりたくなくてもそう分かってしまう。
 京一は悲痛な声を上げた。
「――龍麻ぁあああ!!!」
「きゃああああッ」
 美里は、振り下ろされる刀に目を閉ざした。






『龍麻ぁあああ!!!』 
 誰かが、呼んだ。
 ――京一・・・・
(大丈夫、ミンナ殺せばいい)
 大丈夫・・・・
(大丈夫)
 大丈夫。
 龍麻は、泣きそうなまま微笑んだ。
 愛されなくても。嫌われても。
 愛しているから、大丈夫・・・・・





 ザシュリ、と肉を貫く嫌な音がした。
 予感した痛みがいつまでも襲ってこないので、美里は恐る恐る目を開けた。
 そこに。
 自らの足に刀を突き立てている、龍麻の姿があった。
「――龍麻君ッ」
「龍、麻・・・・」
 喘ぐように、京一は彼の名を呼んだ。
 如月は、驚きに言葉をなくしている。
 だが、一番最初に我に返ったのは、その如月だった。
「龍麻」
 止血を。
 そう言いかけて、彼のそばに寄る。
 龍麻は、すぐそばに膝をつく如月の気配を感じた。
 ギリ、と唇を噛み、そして息を整える。
 如月は龍麻に手を伸ばした。
「――触るなッ」
 激しい拒絶に、如月の手が止まる。
 龍麻はグイ、と刀を引き抜いた。
 痛みに、気が遠くなりそうになる。
 しかし、そんな素振りは見せずにただ傷に意識を集中する。肉を締め、血を止める。
「龍麻君ッ」
 美里が、龍麻の血に震える。
 龍麻は、立ち上がった。
 手に下げた刀に、ビシリ、とヒビが入った。
「龍麻、お前・・・」
 京一が、龍麻を支えようとするように腕を伸ばす。
 龍麻の手の刀は、砕け落ちた。
 龍麻は、京一の手を払う。
 冷たい目で、京一たちを見渡した。
「――この程度で、騒ぐな」
「なッ」
 京一は怒鳴りかけ、しかしその怒気はトーンを落とした。
「・・・お前、大丈夫なのかよ」
 京一の目は、龍麻の足へ行っている。
 龍麻は笑った。
 冷笑と嘲笑の間のようなそれ。
「俺をお前たちと同じだと思うな」
 傲慢な声。
 京一たちは――美里でさえ、言葉を無くした。
 龍麻は、彼らの知る龍麻では、もうなかった。
 キリ、と龍麻の胸が痛んだ。
「・・・・・・・・・・・」
 如月は、そんな龍麻をじっと見つめていた。
 彼にとっても、今の龍麻の態度は不快だった。
 さっき初めて龍麻に会った時、木漏れ日を感じた。
 明るく、優しい瞳。柔らかな陽の気配。
 しかし、今の彼は全く違う。
 如月は眉を寄せた。
 ・・・・・暗い、目をしている。
 そう、如月は思った。

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