祈り 後編


血が、舞った。
「・・・あ・・・ぁ・・・」
 ぐらり、と倒れ込むエルリアをランスロットは抱きとめた。
「何故っ・・・」
 そのまま、強く抱きしめる。
 ランスロットの剣に、エルリアの剣は簡単にはじき飛んだのだ。
「何故、剣を引いたのです!!」
「・・・わざと、じゃ、ないわ。本当・・・よ・・・」
「エルリア殿ッ」
 嘘だ、と思う。
 彼女がこんなに弱いわけがない。
 何故・・・。
 ランスロットは、彼女の額に飛び散った血を手で拭った。
 エルリアは呻いた。
「エルリア殿!」
 ぞっとした。彼女を切ったのは自分だと言うのに。
 この胸を締めつける焦躁感はなんなのか。
 この手で彼女の身体から離れる命をつなぎ止められるならと、そう願ってしまう。
 エルリアの震える手が、ランスロットに伸ばされる。
 エルリアの瞳に涙があふれた。
 ランスロットは息を飲んだ。
 愛している。
 エルリアの瞳がそう言っていた。
 彼女の瞳から、切ない想いが溢れていた。溢れ出た真摯な愛が、自分に恋していると告げていた。
 ランスロットは衝撃に打ちのめされた。
 知らなかった!
 何故、気づいてやれなかった!?  
 思えば、ランスロットが辛い時には、必ずエルリアはそばにいた。
 ランスロットの胸に、次々と今までのエルリアの姿が浮かぶ。
 別の作戦行動をとっていた時。本拠地に戻った自分を迎える時の、彼女の安堵した笑顔。
 ランスロットが怪我を負った時の、泣きそうな怒った顔。
 何故気づかなかった!
 苦しい時にはいつも、彼女が手を差しのべてくれた。
 振り返ればいつもそこに、鮮やかな彼女の笑顔があった。明るい日差し。暖かい、救いの光。罪も辛さも、影の全てを和らげてくれた。
 エルリアの頬を、涙が零れ落ちる。
「ラ、ンス」
 ランスロットは頬に触れるエルリアの手に自らの手を重ねた。
 死ぬ。彼女が、死んでしまう。
 永遠に失ってしまう。
 胸が、その恐怖で潰れそうだった。
 ランスロットは彼女の手を握る手に、きゅっと力をこめた。
 エルリアは微笑んだ。
「生き、て・・・」
 ささやくような、彼女の言葉。
 そして。
 エルリアの手から、がくりと力が抜けた。
「・・・エルリア殿?」
 震える声でランスロットはエルリアを呼ぶ。
 その声に応える者はなく。
「―エルリア・・・ッ!!」
 ランスロットはエルリアの骸を抱きしめた。
 声にならない嗚咽が漏れる。
 何故気づかなかったのか。
 きみの私への想いに。
 ・・・私のきみへの想いに。
 エルリアの骸を抱きしめ動かないランスロットに、トリスタンはかける言葉さえ見つけられなかった。




 トリスタンの戴冠式は、盛大にとり行われた。
 暗闇が終わり、明るい前途が開かれたことを感じて国中の民は歓喜した。
「エルリア殿・・・エルリア。陛下の戴冠式は、無事終わりました」
 ランスロットは、小さな花束をエルリアの墓石にそなえた。
 その小さな墓には、名は彫られていない。
「お前が埋葬したのかよ」
 冷たく響いたその声の方を向くことなく、ランスロットは目を伏せた。
「・・・そうだ」
 誰を、と聞くことなくランスロットは答える。カノープスは凶悪な歯ぎしりをした。
 ランスロットの横顔に、巻かれた羊皮紙を叩きつける。
 ランスロットはゆるゆると、地面に落ちて開いた紙を見た。
 よく見知った字に、ずきりと胸が痛む。
「エルリアはな! あの晩、国を出るつもりだったんだよ! たった一人でな!」
 カノープスは震える拳を握りしめた。
 最後に会った、エルリアの姿が思い浮かぶ。
 どうして、お前がこんな目に!
「・・・・・・それなのに、お前たちは!!」
「・・・・・・」
 ランスロットはエルリアの手紙を拾い上げた。
 カノープスは首を振ると、叫んだ。
「あいつはお前を愛してたんだ!」
「・・・知っている」
「なッ。知っててお前・・・っ」
「彼女が息絶える直前に・・・気づいた」
「・・・・・・」
 ランスロットは静かに手紙に目をおとした。
 黙って出ていくことの謝罪。今までの感謝。ランスロットの幸福と国の繁栄と平和を願っていること。
 あたりさわりのない、形式どおりの別れの手紙だった。
 ただ、最後に小さくつけ加えられている言葉。
 “もしも困った事があったり、誰かの助けがいるような時は―”
 ランスロットは手紙を握りしめた。
「どうして、時は戻らないのだろう」
 彼女の気持ちを知っていたなら、自分の気持ちに気づいていたなら。
 きっと彼女を連れて・・・。
「時が戻るなら、今度は決して間違わないのに・・・っ」
「時間は絶対に戻らなねー。俺たちはそれを、嫌って言うほど知ってたはずだろーが」
 カノープスの目は、震えているランスロットの拳を映していた。
 伏せられた彼女の死を知った時、カノープスはこの国を出ていくつもりだった。だが、最期のエルリアの言葉がそれを止めた。
 『ランスロットを守ってあげて』
 それが彼女の唯一の願いだった。
「・・・・・・」
 カノープスはランスロットに背をむけた。
「バカだよ・・・お前は」
 ・・・お前たちは・・・。
 そして、カノープスはその場を去って行った。
 風が、ランスロットの前髪を揺らす。
 “―私を呼んでるって噂でも流して。そうしたら、すぐに行くから。
  どんなに遠くにいても、何をしていても、すぐに行くわ。
  助けに行くわ。”
「戻ってきてくれ、エルリア」
 きみの声が聞きたい。
 きみの姿が見たい。
「私が呼べば、助けに来てくれるのだろう・・・?」
 きみに、触れたい。
 エルリアに名前を呼ばれた気がして、ランスロットはハッと顔を上げた。
 けれど、聞こえるのは風に揺れる木々のざわめきだけ。
「・・・っ」
 ランスロットは堪えきれずに、片手で顔を覆った。
「神よ・・・!」
 彼女の命を返して下さい。
 私が奪った、彼女の命を。
 
 それに応えるものは何もなく。
 ただ乾いた風が、吹いていた。

 

End
                                              





BGM■モデラート/Moderato in G Minor
Copyright (C) 1997 N.Kanesaka

HOME