約束  後編

 夜明けまであと数刻と迫った時、カノープスはよく知った声を聞いた。
 声はもう一度繰り返される。
「カノープス!」
 カノープスは低空から地上を見回した。すると、そこに明かりが灯された。その明かりに男の顔が揺らぐ。空を来るカノープスを敵かと疑ってランスロットはランプの明かりを消していたのだった。頭上を行き過ぎるのがカノープスなのを認めて声を上げたのだ。カノープスはそこに飛び降りた。
「ランスロット!」
「カノープス、なぜ君がここに?」
「それは俺の台詞だ。・・・・・・お前が率いていた部隊のメンバーはどうした?」
「街に駐留している」
 ランスロットはそして、軍の拠点に戻る途中で街を発見したこと、そこを解放したことをカノープスに説明した。
「朝まで待って連絡を送ろうかとも考えたのだが、エル・・・皆に心配をかけてしまうと思ってね」
「心配するのに決まってんだろ!」
 言って、カノープスはランスロットの頭を殴りつける。
「っカノープス!」
「連絡なら伝令用の鳥でも使えよ! その方がずっと速いだろうが」
「途中で帝国兵の手におちたらどうする。街の場所を知られてしまうだろう」
「・・・・・・。それは分かったが、お前こそ一人で危ないだろうが。お前には俺みたいにもしもの時には空に逃げるって手もないんだぞ。それこそ帝国兵に出くわしたらどうする!? 伝令の鳥が奴等の手に落ちる比じゃねーんだぞ」
「多人数の方が目立つ。それに危険だからこそわたし自身で行動したんだ」
 たしかに、敵と遭遇した場合、部隊の他の兵よりはランスロットの方が切り抜けられる確立は高いだろう。
 しかし。
 カノープスの脳裏に自分を見送るエルリアの顔が浮かんだ。
「お前はもっと・・・慎重でなければならないんだ!」
「カノープス?」
「―とにかく、戻るぜ!」
 カノープスはランスロットの腕を強引につかむと翼を強くはためかせる。
 カノープスはランスロットの体重を持っていても、低空なら飛行することができた。
「カノープス。先ほども聞いたが、君は何故あそこに?」
「お前を捜してたのに決まってるだろ」
 カノープスは前方から目を動かさないまま言った。
「エルリアが、お前の身を案じてる。あいつは皆の前では、平気な顔をするがな・・・」
「・・・そうか。すまなかった、カノープス。ありがとう」
「礼ならエルリアに言えよ。あいつのために、来てやったんだ」
「・・・・・・。彼女はいつも、君のことをとても頼りにしているから・・・」
 そのランスロットの言葉に、カノープスはちらりと彼を見やった。
「・・・あいつは変わった女だからな」
「?」
 ランスロットはカノープスを見る。だが、カノープスはランスロットから顔を背け、すでに前方に視線を戻していた。
「・・・頼りになる男より、放っておけない男の方がいいんだとよ・・・」
 小さなそのカノープスの言葉は、ランスロットには聞こえなかった。



「ランスロット!」
 開け放たれた窓から降り立った二人に、エルリアは駆け寄った。
 エルリアは笑っていたが、彼女の泣きはらしたような瞳に、ランスロットは慎重になれというカノープスの言葉を思い出した。
「な、ちゃんと見つけてきたろ」
「カノープス! ありがとう・・・!」
 頬を紅潮させるエルリアの頭を、カノープスはごく軽く叩いた。
「・・・・・・いいってこと。さ、俺は一眠りしてくるぜ」
 カノープスはそして、ランスロットにニッと笑った。
「貸しだぜ、ランスロット」
「ああ。ありがとう」
 ランスロットはそう頷く。エルリアはカノープスの背中に声をかけた。
「・・・本当にありがとう」
 カノープスはエルリアに後ろ手に軽く振ると、そのまま部屋を出ていった。
 ランスロットはカノープスに言ったのと同じ説明をエルリアにする。その話を聞いていたエルリアは見る間に表情が硬くなっていった。
 ランスロットはカノープスとの問答を思い出し、今度からは決してこういう危険なことはしないとつけ加えた。エルリアはそれに頷き、だが少し迷ったようにしてから口を開いた。
「・・・・・・もし敵と遭遇したらどうするつもりだったの?」
「戦うしかないだろうね」
「敵の数が多かったら?」
「逃走を試みるだろう」
「逃げられそうになかったら?」
「・・・・・・」
 ランスロットは少し考え、そして言った。
「その時は、戦う」
「・・・・・・どうして」
 そのエルリアの言葉に、ランスロットは怪訝な顔になる。多数の敵と遭遇し逃げられない場合、戦う以外どんな方法があると言うのだろうか。
 エルリアは言った。
「降伏して、命ごいするのよ。貴方は名がしれているし、利用価値もあるだろうから・・・」
「エルリア」
「土下座するとか、帝国に寝返るふりをするとか、あるじゃないの」
「エルリア・・・」
 ランスロットは怒るのを通りこして、呆れたような、困ったような顔になる。
「それを、わたしにしろと?」
「そうよ!」
 エルリアの声の強さに、ランスロットは言葉をなくす。
 エルリアはランスロットの胸を叩いた。
「どんなに情けなくても、見苦しくても、卑怯でも、生き延びて!!」
 ランスロットにそのまま触れているエルリアの拳が震えていた。
 目の前で叫ぶ彼女が、今にも崩れてしまいそうで。
 ランスロットはエルリアの肩を抱いた。
「・・・どんなことになっても、敵の手の内でも、あなたが生きているなら」
 エルリアはランスロットの胸に額をつけた。
「私が、助けに行くから!・・・何があっても、どんなに困難でも、絶対に貴方を救い出すわ」
「・・・どうも、立場が逆の気がするのだが・・・。わたしが君を守るものだ」
「私が貴方を守るの! 貴方は貴方の命を守って」
「しかしエルリア、それでは・・・」
 困ったように言うランスロットに、エルリアは顔を上げた。そのエルリアの泣きそうな、だが綺麗な笑顔に、ランスロットの言葉は途切れる。
「貴方が無事なことが、私を守ることになるのよ。だから、約束して。絶対に死なないと」
 すがりつくような瞳。
 エルリアは泣いていた。
 ランスロットは彼女を抱きしめた。
 自分の胸でむせび泣くエルリアを、ランスロットは深く抱き込む。
 自分の命が彼女を支えていることを、ランスロットは知ったのだった。
「・・・君がそれを望むなら、約束する」
 愛しいこの娘の心が、それで守れるならば。
「どんな恥辱にまみれようと、わたしは生き抜こう」
「ランスロット・・・」
 エルリアは瞳を閉じた。
 貴方が生きていてくれるなら、恐れるものはなにもない。
 貴方が無事なら、私は何があっても平気。
「ありがとう・・・」
 どんなことにも傷ついたりしない。
 貴方が私を強くしてくれる。
 エルリアは、きゅっとランスロットの衣を握った。
 貴方の命が、こんなにも愛しい。
 泣きたくなるほどに。
 貴方を、愛してる。
 ランスロットはそんなエルリアを強く抱きしめていた。



End