| たしかなもの |
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ゆるやかに、いま夜が明ける。 |

| トリスタン皇子―いや、もう王と呼ぶべきかもしれない―の部屋から退出したエルリアは、いまだに続く祝宴の、広間に戻る回廊の途中で足を止めた。開け放しの大きな窓に近寄る。 朝日はまだ見えないが、空の向こうが淡く明るくなりかけていた。 エルリアは柔らかく瞳を細める。 エルリアの髪を、風が揺らした。 優しい風だった。 「よ、勇者殿!」 明るいよく知った声に、エルリアは振り向くことなく笑った。 「広間にいたんじゃなかったの、カノープス」 「いつの間にかお前と皇子の姿が見えなくなったから、出てきた。女性陣はもう広間に残ってないしな」 カノープスはエルリアの傍らに立つと、大げさに肩をすくめる。 「野郎だけで飲んでいてもつまらないだろ?」 「まだ飲むつもりなの? もう朝よ?」 あきれたようにそう言うエルリアに笑ってから、カノープスはすっと表情を改めた。 「で?」 「何?」 「エルリアはこれからどうするんだ? 皇子は何て言ってた。―その話だったんだろ」 「・・・将軍の一人として、仕えないかって」 「・・・そうか」 カノープスはなぜか、ほっとしたように頷いた。そして軽く笑う。 「で、もちろん受けたんだろ」 「ええ。皇子・・・陛下の力になりたいからね」 「ふ〜ん」 「・・・何よ、その含んだような目は」 「皇子のため、だけかねぇ」 「う・・・」 エルリアは言葉につまる。カノープスの視線にあせったように、エルリアは声を上げた。 「そうだわ! 陛下といえば、結婚式もあげるそうよ」 「ラウニィーとか」 「そうよ」 明るく言ってから、エルリアは空に目を戻した。 空は紫から茜色へと変化しだしている。 「・・・少し、うらやましいわ」 小さなその呟きに、カノープスは片眉をあげた。 「エルリアでもそんなこと思うんだな」 「それは、私だって女だもの。・・・戦争も終わって、もうリーダーでもないしね」 「そうだな。もうエルリアも、リーダーを終えてエルリア個人に戻れるべきだよな」 カノープスの目はエルリアの背後に向けられている。エルリアは不思議に思って振り返り、そこに立っている男を見て声を上げた。 「ランスロット!?」 ランスロットは複雑な顔で笑った。 「すまない。・・・盗み聞きするつもりではなかったのだが」 「いつからいたの?」 「最初っからだよな?」 カノープスが意地悪そうにそう言う。ランスロットは所存なさげに視線を泳がせた。 「その・・・声をかけそびれてしまって・・・」 「さて、と。俺はまた広間にもどるぜ」 わざとらしくそう言うと、カノープスはランスロットの肩をすれ違いざまに軽く叩いてからその場を去った。 回廊にはエルリアとランスロットだけが残される。 「その・・・すまない」 「気にしないで。別にたいした話じゃないんだから」 エルリアはくすりと笑って言う。ランスロットはじっとそんなエルリアを見つめた。 立ち聞きしてしまった事とは別に、ランスロットは先ほどのエルリアの言葉が気になっていた。 大きなショックだったといってもいい。 ランスロットは何度もためらってから、言葉を絞りだした。 「エルリア。・・・あの、あまり、気にしないほうがいい」 「え?」 「君は、その、充分、魅力的だ。陛下がラウニィー殿を選んだのは、君の気持ちを知らなかったからだ。だから・・・」 しどろもどろに続けるランスロットに、エルリアはあぜんとなる。 そして、息をついた。 「・・・一つ聞いてもいい?」 エルリアはランスロットに人差し指を立てて見せた。 「私が好きなのは誰でしょう」 「エルリア・・・」 「ランスロット! 私以前貴方に好きだって言ってたはずよ。まさか、忘れたの?」 その時にランスロットもエルリアを好きだと言ったのだった。 もしかしてあの「好き」は、仲間としての「好き」だなんて言わないでしょうね。 エルリアはその考えに怖くなる。 ランスロットは無意識に安堵の息をついた。 「忘れるはずがない。・・・すまなかった、馬鹿なことを言って・・・」 少し考えればわかりそうなものなのに。 ランスロットは自身に苦笑した。 自分はよほど動転してしまっていたらしい。 エルリアは息をつくと、ふわり、と微笑む。 ランスロットはエルリアの肩を抱いた。 二人はしばし無言で、昇ってくる太陽を眺めた。 ランスロットが口を開く前に、エルリアはぽつりと言った。 「―ずっと一緒にいるって約束が、うらやましかったの」 結婚がうらやましかったわけではない。 何の誓約書もいらない。 でも約束が欲しかった。 一言でいい。 「約束や誓いで相手を縛ったり、それにすがるなんて最低かもしれないけど・・・っ」 エルリアの肩が震える。 「・・・怖いの。私たちが無事で、戦いも終わって。今日から一緒に普通の毎日が始まって。・・・これは夢なんじゃないかって、思うの。私はつごうのいい夢を見てるんじゃないかって・・・!」 こんな血と罪にまみれた私が。 「こんなに幸せになれるわけがないのに・・・っ」 堪えきれず、ランスロットは後ろから彼女を抱きしめた。 「夢などではない、エルリア。わたしはここにいる。君もここにいる」 腕の内の愛しい娘に、ランスロットは繰り返す。 「大丈夫だ。夢じゃない。今日も明日もその先も、これから続いていくんだ。」 「ランス・・・」 「ずっと君のそばにいる。約束する」 本当はランスロットこそがそれを望んでいたのだ。 「・・・一緒になろう、エルリア。君もそれを望んでくれるのなら」 エルリアは瞳を閉じた。 あたたかい、と思う。 ランスロットの体温が、エルリアに伝わってくる。 都合のいい夢かもしれない。ずっとなんて、あるかどうかもわからない。 けれど今。 たしかなものがここにあった。
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