西遊記

両界山〜壱〜




 三蔵一行は両界山の麓にさしかかっていた。
 覚悟していたよりも、道は厳しい。山歩きに慣れていない三蔵は、既に息が上がっていた。
「三蔵様」
 護衛兵の男が、彼女を気遣って振り返る。
「少し、休みましょうか?」
「いいえ」
 三蔵は、荒い息をなんとか静めながらにこりと笑った。
「気にしないで下さい。日が暮れないうちに、人家のある場所まで行かなくては」
「そうですな。ここらは夜は物騒です。山賊もいるかもしれません」
 もう一人の男が、そう頷く。
 三蔵が気にしているのはその物騒さだけではないのだが、彼女は口に出しては別のことを言った。
「はやく、山を抜けましょう。遅くてごめんなさい」
「いいえ」
 お気になさらず、とは男は続けられなかった。
 かわりに、ヒュル、と息が漏れる。
 自分に何が起こったのか、この男には分からなかっただろう。
 三蔵は悲鳴も上げられずに息を呑んだ。
 男の首筋に刺さった矢。
 男は笑顔を張り付かせたまま、どう、と倒れた。
「あ・・・・ああ・・・・」
「三蔵様!!」
 突然のあまりな出来事に動けずにいる三蔵を、もう一人の護衛兵が乱暴に突き飛ばした。
「あ!」
 三蔵はその勢いのまま、地面に倒れる。その痛みに、三蔵は我に返った。
 男を振り向く。
 男は弓矢を構えていた山賊に小刀を放っていた。それは、狙い違わずに山賊を倒す。
 弓を扱うのはその者だけだったのか、ほかの山賊たちは手に手に刀を持ってじりじりと迫っていた。
「く・・・・」
 男は大刀に持ち替えながら、歯軋りした。
 残りの山賊は5人。数だけなら自分にはたいしたことはない。
 けれど。
「おい・・・見ろよ、坊主がいるぜ」
「食っちまおう」
 山賊が口々に、言う。
 護衛の男は、三蔵を背にしながら顔を歪めた。
「・・・妖怪め・・・!!」
 猫の頭を持った人型の妖怪が、3人いた。
 普通の屈強な男よりなお力強く、さらにやっかいなことに訓練されたそこらの兵よりも素早かった。そのことを知ってる護衛の男は、三蔵を振り向かずに怒鳴った。
「お逃げください!」
「あ・・・で、でも・・・」
 三蔵は痛みにふらつきながら立ち上がると、男の背中を見た。
 男は、繰り返す。
「お逃げ下さい、三蔵様!」
 三蔵は逡巡した。
 この人一人では、助からない。
 かといって、自分がいても何の助けにもならないことも三蔵は分かっていた。
 三蔵は唇を噛んだ。
 その三蔵の目に、すでに事切れているもう一人の護衛兵が映った。
 ズキリ、と胸が痛む。
 どうして、自分は武術の一つも修めなかったのだろう。そう、思う。
 こんな足手まといにしかならないのが、涙がでるほどに悔しかった。
 こみ上げる涙を、なんとか抑える。
「ここは私が! 三蔵様、おはやく!!」
「・・・・・・」
 自分が逃げなければ、二人とも殺されるだけだと分かっていた。
 けれど。
 激しい後悔が、三蔵の胸を焼く。
 どうして自分は、一人で来なかったのだろう!
 そうすれば、少なくとも犠牲は自分一人ですんだのだ。
 そう思い、そしてハッと三蔵は顔を上げた。
 三蔵はすっと男に並んだ。
「!? 三蔵様!?」
「・・・私を食べたいの?」
 震えそうになる声を、なんとか平静に保とうとする。
 三蔵が隠そうとする恐怖を見透かしてるように、山賊達は嘲笑を浮かべた。
「おうよ。坊主を食えば、寿命が延びるってえ話だ」
 圧倒的に有利だと確信している山賊たちは、急ぐ気もないらしく殊更鷹揚に頷いて見せる。
 三蔵はギュッと錫杖を握る手に力を込めた。錫杖が小さく音を立てる。
「――では、殺すのは私だけにしてもらえませんか」
「三蔵様!?」
「この人を殺しても、何の得にもならないでしょう?」
 金品を剥ぐのが山賊たちの狙いのはず。
 抵抗しないなら殺す必要もないはずだった。
 頭であろう山賊が、ニヤリ、と笑う。
「ほう。さすが坊主だ」
 その山賊は三蔵に近づく。
「寄るな!」
「うるせえ!!」
 三蔵を守ろうと動きかけた護衛の男を、山賊は一喝で黙らせる。
 男は山賊に気圧されて動けなかった。
 山賊は三蔵の顎を掴んだ。
「よく見れば、キレイな顔してるじゃねーか」
 山賊は、この僧を食らうのと売るのとどちらが得かを計算しだす。
「この人を助けて下さい」
「・・・・・・三蔵様・・・」
「そんなに、こいつの生き死にが気になるかい?」
「当たり前でしょう」
 怒ったように、三蔵は言った。
 その瞬間、完全に三蔵の目から怯えが消えている。
 山賊は面白そうに目を細めた。
 その手が、何かを合図するように振られる。
 三蔵の傍らで、くぐもった悲鳴が漏れたのはその時だった。
 え、と三蔵は首を巡らす。
「ぐ・・・三・・・・さ、お許・・・・」
 ゆっくりと、男が三蔵の目の前で倒れていく。その背中に深々と刺さった剣が、男が倒れるのに合わせて引き抜かれていく。
 血が、散った。
 その血が、三蔵の頬を濡らす。
「あ・・・・」
 三蔵の顔が歪む。
「ああ・・・あああああぁ―――!!!」
 嫌、嫌、嫌!!
 初めて会って数日と過ぎてはいなかった。特に親しくなっていたわけではない。けれど、そのことが三蔵のショックを和らげてくれるわけではなかった。
 喉の奥から悲鳴を上げ続ける三蔵に、そんな悲痛な悲鳴を聞きなれているのだろう山賊はむしろ可笑しそうに言う。
「これで、余計に気にするモンはなくなったろ?」
 感謝しろとでも続けそうな軽い口調に、三蔵は狂気に近い淵から立ち戻る。胸の奥から絞り出るような悲鳴は、途切れた。
 三蔵は、信じられない目で山賊を見る。
 何を、言って?
 そして、三蔵は山賊の目に心底面白がる色を見て、理解した。
 山賊がただ、三蔵の心を傷つけるために。ほんの悪戯でもするかのように、それを面白がって男を殺したのだと。
 今度こそ、堪えられない涙が溢れた。
「ど・・・して・・・・」
 どうして?
 苦しくて、悔しくて、悲しくて、涙は零れつづけた。
「どうして!? どうして、こんな酷いことができるの!?」
 ―――どうしてなの―――!!
 同じ人間ではないか。妖怪もいたが、彼らとて同じように生きてる者ではないか。
 切られれば痛いだろうし、悲しければ泣くだろうし、仲間を思う心とてあるだろう。
 それなのに何故、こんな酷いことが出来るのか。
「――どうしてよ!!」
 その時。
 シャラン、と錫杖が高い音をたてた。そこから、爆発的な光が放たれた。