| 西遊記 |
|
|
|
| (何もないじゃねーか) 悟空は三蔵がなぜ固まったのか分からず、再び三蔵を振り返る。 三蔵の目から、パタ、と涙が零れ落ちた。 悟空はぎょっとする。 「な、な、なんだよ、お前!」 「・・・・ごめんね」 悟空をそう見てから、三蔵は悟空の背に広がる大地に向かって手を合わせた。 山賊たちと、そしてここまで一緒に来てくれた護衛の男たちの魂の安穏を祈る。 悟空は軽く舌打ちした。 「オレがやりすぎたみてーじゃねーかよ」 山賊たちを根絶やしたことを遠まわしに責められているようで、悟空は少々くさる。 胸に不満を持つのではなく、そのまま口に出して言うところがこの少年らしかった。 三蔵は驚いたように、悟空を見た。 「ち、違うわ」 そして、目を伏せる。 山賊たちの死も、たしかに胸は痛い。彼らとて、きっとどこかに人間らしい心を持っていたに違いないとも思う。けれど、彼らが今までたくさんの人を殺してきたのは事実だろうし、何よりもここで助かれば改心してくれると思えるほど三蔵は楽観主義者でもなかった。それに、悟空がいなければ自分も殺されていた。 もし自分に護衛としてついてくれていた男たちと自分自身とを護る力があったならば、この少年のように山賊を倒す力があったならば、自分もきっと自分たちの身を護るために山賊たちを殺しただろう。 この手で、倒しただろう。 けれどそれは、とても辛いことだった。 (そんな酷いことを、私は悟空にさせてしまったんだわ) 「ホントなら、私が・・・私がこうしなきゃダメだったのに、悟空にかわってもらって。私のかわりに、悟空にしてもらって・・・・。だから。ごめん・・・」 「あん?」 三蔵の心の動きが、今ひとつ悟空には理解できなかった。 自分は強い。こいつは弱い。――強い者が戦うのは至極当たり前に思える。 「何言ってんだ、お前。お前は弱っちいんだから、それが当然だろ」 「で・・・でも・・・・・」 「じゃあ、強くなるこった」 さらり、と悟空は言う。 だが、ニヤリと笑って付け加えることは忘れない。 「まあ、オレの足元まで来ようと思えば、お前の寿命じゃとてもたりないけどな」 「そ・・・・・か・・・。そうだよね。うん、私、強くならなきゃ・・・・」 三蔵はキュッと唇を噛んで、痛む足で立ち上がった。 その手に、錫杖を握る。 「これから、天竺まで行かなきゃいけないんだもの」 「は? 天竺だぁ?」 「うん。観音様に、天竺来なさいって夢で言われたの。この錫杖を持って、来なさいって・・・・。私は詳しいことは分からないんだけど、長老様や皇帝陛下の使者様がおっしゃるには、ここしばらく続いている天災を静めるために必要みたい」 「へー。いきなり来いってなあ、観音のヤツ、相変わらず偉そうだよな」 「ご、悟空・・・!」 驚いて声を上げる三蔵に、悟空はへッと笑った。 「ま、とりあえず頑張りな。じゃあな!」 「え・・・あ、うん・・・・」 三蔵は悟空に背を向けられて、急に太陽が翳った気がした。 悟空の足元に雲のようなものが集まる。 「―――久しぶりの自由だぜ!!」 心底嬉しそうに少年は両手を空に上げる。ウキウキとしたその心に、もはや三蔵のことなど一欠けらも残っていないことが分かる。 なぜだか急に辛くて悲しくて、三蔵は泣きたくなった。 悟空は、炎気の輝きを持ったその雲に、身軽く飛び乗った。 (行ってしまう) (行かないで!) 思わず呼び止めたくなる自分の心に、三蔵は驚いた。 その時。 『お待ちなさい、悟空』 声が響いた。 眩しく、だが暖かな光が虚空に集まる。 「――てめえは!」 悟空は叫ぶと、雲からとんと地面に降りた。雲はふいと消える。 「観音か!?」 構えて、嫌そうに吼える。 その悟空の声が消えぬ間に、光は収束し観音菩薩が現れた。 「か、観音様!」 三蔵は慌てて膝を折る。 観音は優しく三蔵を見てから、悟空を見た。軽く眉を寄せる。 『悟空。三蔵を守るように言ったはずですよ』 「――だから、助けてやっただろうが!」 『お前が、天竺まで三蔵を守るのです』 「はあ!? 冗談じゃねえ!! 誰が人間なんかを守って、んな所まで行くかよ!」 『しかたありませんね・・・・。オン・アロリキヤ・ソワカ』 「うわああああーーーー!!」 「悟空!?」 三蔵は驚いて、悟空を見た。悟空は頭を抱えながら、地面をのたうち回っている。 「ご・・・悟空・・・・ッ」 『――三蔵。孫悟空がお前を天竺まで守ります。悟空が言うことをきかなければ、先ほどの呪文を唱えなさい』 「呪文・・・? あの、オン・アロリキヤ・ソワカ、ですか?」 再び、凄まじい悲鳴を悟空は上げた。 三蔵は驚く。 「え!? あ!」 『お前が唱えたときにだけ、悟空の頭の輪がしまります』 焦る三蔵に言葉をかける観音の声は、静かだった。 「え! 輪が!? そ、そんな」 『三蔵。神将を集めて、天竺の大雷音寺に来なさい。その錫杖がお前を導いてくれます』 「か、観音様!?」 観音は現れた時と同じように、さあっと光になって消える。 「くそ!! 観音のヤツめ!!」 その声に、三蔵は我に返った。悟空は、頭を振ると、立ち上がる。そして、頭にはめられた黄金の輪を、必死にとろうとしていた。 「くそ! 外れねえ!! 畜生!!」 「・・・・悟空・・・・・」 「畜生! せっかくやっと自由になれたってのに!!」 「悟空」 「!? な、なんだよ」 警戒と敵意。 それに満ちた目に、三蔵は頭を下げた。 「ごめんね。さっき、私、輪をしめちゃって・・・・」 「オレは脅しになんかのらねーからな。唱えたけりゃ唱えれば――」 「唱えないから、安心して」 「?」 悟空は多分に間の抜けた顔で、三蔵を見た。 三蔵は、自分を奮い立たすように少し笑う。 「私、一人で行くわ。悟空は来なくてもいいよ」 本当は、不安で、どうしようもないけれど。悟空にそばにいてほしいけれど。 (こんなに自由を愛してるみたいな人を、私の勝手で連れて行けない。縛り付けるなんて、ダメ) 「私がいいって言うんだから、観音様だって無理はおっしゃらないわ。だから、大丈夫」 (ちゃんと、笑えてるよね) 不安が表にでないように気をつけて、弱気に気づかれないようにして。 三蔵は、手を合わせた。 「悟空、ありがとね」 「・・・お、おう」 はやくこの場所から、彼から離れなければ、彼を縛り付けてでも一緒に行きたくなりそうで、三蔵はくるりと身をひるがえした。 体中が、ズキズキと痛んだ。 今ごろになって、あちこちの傷が痛み出していた。 極度の疲れと、痛みに身体を引きずっていては、やはり日が落ちる前に人家までたどり着けなかった。 しかたなく、三蔵は野宿することにした。 小さな火を、おこす。 そこに手をかざして、地面に座った。 日が落ちていく。 「夜に・・・・なっちゃう・・・・・」 三蔵は膝を抱えた。 来る、だろうか。 寺を降りて、こんなに人気のない夜なら、必ず現れる気がした。 虫の音が消える。 「!」 (―――来た!) ゾクリ、と背筋が冷たくなる。三蔵はぎゅっと錫杖を胸に握りこんだ。 周りの夜の闇よりも暗い、闇が漂ってくる。 命を奪われるわけではないと、三蔵は自分に言い聞かせる。それでも、身のうちから湧き上がるどうしようもない恐怖で、ガタガタと震えた。 邪が、纏わりついてくる。 「・・・・!」 嫌悪感と脱力感に、三蔵は目を閉じた。ただ、身体を硬くする。 (――怖い!!) 胸が痛いほどの、恐怖。理由もなく、ただ、どうしようもなく怖かった。 (助けて・・・・長老様!・・・・) 邪の闇は、三蔵を包む。 がさり、と茂みが揺れた。 「・・・・おい」 びくり、と三蔵は顔を上げる。 そこに、悟空がいた。悟空は目を見張り、ついで、ひどく苦々しい不快な顔をした。 「ごく、う」 「チッ」 悟空は不機嫌なまま、彼女にずんずん近寄った。 彼の纏う炎気を嫌ってか、邪はさっと散った。 |