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輝印 |
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海上都市サラバンド。 シンビオスたちは共和国にわりあてられた寄宿舎を出た。 「それにしても、大っきい町だよね〜」 「ええ、本当に」 素直に感嘆の声を上げるマスキュリンにグレイスは静かに頷く。 彼女たちの前を歩いていたシンビオスとダンタレスの足は止まった。 共和国の少年兵が、彼らに近寄って来たのだ。 「なんだ?」 ダンタレスのその問いに、若い兵は顔を上気させた。 「あ、あの、騎士ダンタレス様でいらっしゃいますか」 「そうだが・・・」 一口に共和国兵と言っても、それぞれの領主に属する兵たちから成っているため規模は大きい。さらに任地はもちろん各々の領地であるため、同じ共和国軍でも顔をあわせる事のないことも多かった。 その兵は緊張に上ずった声で続けた。 「あ、貴方のご高名は聞いておりますっ。貴方にお目にかかれて光栄です」 「・・・・・・」 シンビオスはかたわらのダンタレスを見る。だが彼はこういうことに慣れているのか、照れる様子もあわてる様子もなかった。 ただ力強く笑うと、少年に頷く。 「ありがとう」 少年はぱあっと顔を輝かせると、初めてダンタレスの傍らに立っている青年に気づいた。 端正で穏やかな容貌の彼に、少年は眉を寄せる。 ―どこかで見た顔だ、と思う。 シンビオスは少年―と言っても彼自身とあまり変わらないが―の視線に気づいた。 少年はダンタレスが誰に仕えていたかを思い出した。 コムラード様だ。 けれど今回はその名代として、ご子息の―。 そこで、少年はあせった。 ご子息の―誰だったか? 確か・・・。 「シン・・・シン・・・・・・」 シン・・・なんとか様だったような。 あこがれの騎士の名前は忘れようもなく、高名なコムラードの名は当然覚えている。けれどシンビオスはいまだ一般の共和国軍、共和国民の口にのぼる人間ではなかった。 シンビオスはそれに気づいて、穏やかに笑んだ。 「・・・シンビオスです」 よろしく、と優しく続ける。 少年は焦りと緊張で、あわてて頭を下げた。 「あ、も、申し訳ありませんっ」 「・・・お前・・・」 ダンタレスが咎める声音になる。 うわ〜。 後ろで見守っていたマスキュリンは口に手をあてた。 これは、やばい、と思う。 見た目は冷静・・・少なくとも冷静な役をつとめようとしているダンタレスだが、実はかなり切れやすいのをマスキュリンは知っている。 特に、幼いときから側に仕えていたせいか、シンビオスのことがからむとなおさらだった。 そのことを嫌というほど分かっているのはグレイスも同じで、困ったようにダンタレスを見る。 案の定ダンタレスはぐいと少年に進み出た。 その体躯と威圧感に押されて、少年兵は後ずさる。 本来ならば、年少の者を脅したりしないダンタレスなのだが、ダンタレス自身は脅しているとの自覚はない。 そのダンタレスの腕を、シンビオスはやんわりと掴んだ。 「ダンタレス、僕はかまわないんだから」 「しかし、シンビオス様・・・」 ダンタレスは言うが、困ったようなシンビオスの目に、何も言えなくなる。 「・・・・・・。シンビオス様が、そう言われるのでしたら・・・」 「ありがとう」 シンビオスはダンタレスに頷いてから、少年兵を見た。 あこがれている彼に睨まれて、きっと悲しい想いをしたに違いないと、シンビオスは少年に申し訳なく思う。 「君にも、気まずい思いをさせてしまってすまない」 「そ、そんな、とんでもありません」 少年は恐縮しながらも、この目の前のシンビオスを不思議な人だな、と思う。 シンビオスのような地位にはほど遠い彼の上官だとて、この目の前の青年よりは威張っていた。それにこの半分ほども自分に気を使ってはくれない。 「シンビオス様は初陣もまだなのですから」 グレイスはそうダンタレスをたしなめるようにでもシンビオスを慰めるようにでもとれる口調で、穏やかに言った。 「シンビオス様の名が高まるのはこれからですわ」 「その通りです」 ダンタレスは我が意を得たりと言うように頷く。 それに、シンビオスは静かに首を振った。 「戦場で名を高めるということは・・・もちろん僕にその力があったならという話だけれど・・・戦いが起こらなければならない。僕は、武名なんてあげたくはないよ。それよりも、平和なほうがずっといい・・・」 この人は。 少年は息を飲んだ。 この人は違う、と思う。 少年が知る誰とも。武名に優れた人物も、強いカリスマを持つ将軍も、少年は知っていた。けれど、シンビオスはその誰にもない何かがあった。 ダンタレスは眩しげにシンビオスを見つめる。 「シンビオス様・・・」 「あ、でも、ダンタレスのことけなしてるわけじゃないよ。そういう意味じゃなくて」 あわてたようにつけ加える主君に、ダンタレスは笑った。 「分かっております」 「シンビオス様〜。そろそろ行きましょうー」 マスキュリンがシンビオスの背中に声を上げる。 シンビオスは少し笑って頷くと、少年に笑いかけた。 「じゃあ・・・」 「あ、はい」 少年はそしてシンビオスたちの背中を見送った。 あんな人の軍に入れたなら。 そう思いかけ、少年はそれを打ち消した。 それは思ってはいけないことだった。それに、たしかにその人柄は希有なものだが、戦闘を指揮する能力まで優れているとは限らない。 ・・・・・・。 けれど、少年の瞳はずっとシンビオスの遠ざかる背中を追っていた。 やがてシンビオスたちは戦乱の渦中に身をおくこととなる。そこで奇しくもグレイスの言葉どおり、シンビオスの名は全ての者が知ることとなるのだった。
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