流れ始めたもの

 シンビオスの目が、膝をつくガロッシュをとらえた。
 彼が危ない!
 敵の剣を受けながら、シンビオスは叫んだ。
「ダンタレス!!」
 敵の剣とシンビオスの剣が押し合ってギリギリと嫌な音をたてる。
「行ってくれ、ダンタレス! 彼を助けるんだ!!」
 ダンタレスは躊躇した。だが、敵に囲まれ膝をついているガロッシュを見て、彼の方へと駆け出す。
 シンビオスは鋭い気勢とともに、敵兵を押しやった。
 息が上がる。
 鍛錬をつんできたつもりだったが、シンビオスは自分の力のなさを思い知らされていた。
 先ほどの街の中での戦い―それは戦いと言えるほどのものではないが―と違い、今度は兵たちを指揮しながらの戦闘なのだ。
 今だ経験の浅いシンビオスは、自身の想像以上に疲労していた。
 それでもただ勝利するだけならば、シンビオスは鮮やかに敵を一掃することができただろう。シンビオス自身は気づいてはいなかったが、彼はすでにそれだけの能力があった。
 けれど敵に囲まれたヘイワードとガロッシュを救うために、かなりの無茶な進撃をしなくてはならなかった。
 とは言っても、二人を救うために麾下の兵が犠牲になるのでは本末転倒である。シンビオスはダンタレスやマスキュリンたち少数の精鋭で、敵に切り込んだ。しかしもちろん、シンビオスは他の麾下の兵たちの動きも指示しなければならない。
 ダンタレスはガロッシュの方に向かいながら、後ろ髪をひかれる想いでちらりとシンビオスを振り返る。
 少数精鋭で切り込む作戦に否やはない。けれどそれに指揮官自身が加わる必要があるのか。
 ダンタレスはシンビオスの将としての能力を、微塵も疑ってはいない。けれど、シンビオスにはどうしても経験が不足していた。初陣に等しいこの戦いで、いきなり自身が切り込みながら全体を見渡しつつ指揮をするというのは、危険だった。
 敵からシンビオスの軍に助けられたヘイワードに、グレイスは治癒の魔法をかけた。
 グレイスも内心、シンビオスが気がかりでならない。
 突然何もかも出来るようになるわけではない。
 生来真面目過ぎるところがあるシンビオスだが、幼い頃から厳しく育てられたせいか、どうも力を抜く・・・というか要領良く、というのが苦手な面がある。
 自分たちはそんな彼を愛しいと思うのではあるが、それでも。
 グレイスはふうと息をついた。
 ―お恨みしますわ、コムラード様。
 こんな時には、シンビオスを厳しく育てたコムラードに、文句の一つも言いたくなる。
「シンビオス様!」
 マスキュリンの悲鳴があがった。
 ダンタレスはハッと振り返る。
 シンビオスは孤立させられていた。
 シンビオスは敵の一人を倒し、積み上げられている荷箱を背にした。
 ダンタレスは必死で応戦しているガロッシュを見、そしてシンビオスを見やる。
「―どきなさいよ!!」
 マスキュリンが彼女の行く手を阻む邪教僧を魔法でなぎ倒した。
 だが彼女の前に、別の敵が立ちはだかる。
「―っ・・・・・・!」
 ダンタレスは踵を返した。
 シンビオスは盾ごと、敵を押し返した。体勢を崩した敵を切り倒す。
 その彼に、別の敵兵が襲いかかった。
 シンビオスは剣を振り払う。だが、その敵兵は、盾で疲れに鈍くなったその剣を勢いよく叩き落とした。
 しまった!
 シンビオスはそう思うが、盾もなく、丸腰になってしまった彼に術はない。
 敵兵の勝ち誇った顔が、シンビオスの眼前に迫った。
 ―殺(や)られる!!
 くる衝撃を予感して、シンビオスは反射的にぎゅっと目を閉じた。
 身体を貫く嫌な音がして・・・・・・だが、シンビオスには痛みは訪れなかった。
 そっと目を開けた先に、良く見知った背中。
 あらい息を繰り返して、その肩は上下している。
 ダンタレスは倒れた敵兵から槍を引き抜くと、シンビオスを振り返った。
「ご無事ですか、シンビオス様」
 言う彼の額に、汗が散っていた。少々青ざめた顔は、ダンタレスが受けたショックの名残だった。
 まさに間一髪、だったのである。
 シンビオスは無意識にほっと息をつき、そしてハッとガロッシュの方へ目を向けた。
「・・・あ・・・」
 彼の視界に、赤い血溜りに倒れたガロッシュが映る。
 ちょうどマスキュリンが最後の敵を魔法で倒したところだった。
 シンビオスはガロッシュに駆け寄る。
 おそるおそる触れてみるが、すでに彼は息絶えていた。
「ああ・・・」
 かみ殺せない震える息が、シンビオスの唇から漏れた。
 ―助けられなかった!!
 涙は流さない。
 だがその肩が震えていた。
 つい、さっきまでガロッシュは生きていた。
 シンビオスの目の前で生きていたのだ。
 悲しみというには激しすぎる感情が、シンビオスの胸に渦巻いていた。
 なぜ、なぜ、助けられなかった・・・!!
 彼の恋人だと言っていた、幸せそうな娘の笑顔が脳裏に甦る。
 僕は・・・!!
「・・・シンビオス様・・・」
 ためらいがちに声をかけるダンタレスを、シンビオスは発作的に振り返った。
「どうして戻ったんだ!! 彼を助けろと言っただろう!!」
 悲鳴のような声だった。
 叩きつけるようなその言葉に、ダンタレスはだが逆らわなかった。
「申し訳ありません」
 シンビオスの胸の痛みを想い、目を伏せる。
 シンビオスはハッと我に返ると、激しく首を振った。
「違う! 違うんだ、ダンタレス・・・っ」
 泣いてしまいそうだった。
 だがシンビオスは涙をこらえ、酷い言葉を言ってしまったダンタレスの首を抱く。
「ごめん。・・・ごめん・・・そんな事思ってない、本当だ・・・っ」
 ダンタレスが悪いのではない、自分が悪いのだ。
 僕が弱いから。
 もっと強かったなら。
 自分がもっと強かったなら・・・・・・!
「・・・ごめん、ダンタレス・・・ごめん」
 そう小さく謝り続けるシンビオスの背中に、ダンタレスの手がそっと添えられる。
「・・・分かっております、シンビオス様」
「シンビオス」
 ベネトレイムの厳しい声が、近づく。
「何をしている。兵は指示を待っているのだ」
「・・・・・・」
 ダンタレスはベネトレイムを振り返った。シンビオスも顔を上げる。
 ベネトレイムはシンビオスの側に立った。
 ダンタレスは穏やかならざる目で代表国王を見る。
「・・・ベネトレイム様。それはあまりにも」
 酷い言いようではないか。
 憤りのこもった声は、だが続かなかった。
 シンビオスの手が、ダンタレスの腕を柔らかく掴んだのである。
「いいんだ、ダンタレス。僕が悪い」
 静かに言う。
 弱さを見せるな。
 それは、父コムラードがシンビオスによく諭していた言葉だった。
 麾下の兵に弱さを見せるなと。
 いつも側に仕えるダンタレスやマスキュリンたちは違うかもしれない。だが他の多くの兵は弱さを見せる将にはついては行かないと。
 強い将であれ。
 自分の苦しみは見せるな。
 そして弱さや惑いを見せ兵に不安を与えるのではなく、兵の苦悩をその身に代わりに受け取れる、惑いを消してやれる揺るがぬ姿であれ。
 それが兵を率いる者の務め。
 それは全て、シンビオスが父親に幼い時から教えられていたことだった。
 泣くな!
 シンビオスは、ともすれば嘆きに震える自らの心を叱咤した。
 ガロッシュを助けられなかったのは自分の責だ。
 だが今皆の前で嘆いて見せて、彼が生き返るわけではない。
 それはただ、力の足りなかった自分を哀れんでいるだけではないか。
「・・・シンビオス様」
 ダンタレスやマスキュリンたちが心配そうにシンビオスを見つめている。
 自分が悲しみを表せば、幼なじみでもある彼らは気づかい、優しく慰めてくれるだろうことをシンビオスは分かっていた。
 だからこそ。
「・・・もう、大丈夫だ」
 にこり、と笑って見せる。
 強くなりたい。
 そう、シンビオスは思う。
 心も、身体も、もっと強くなりたかった。
 悲しみも苦しみも自分一人で抱えられるように。
 一人でも多くの人の、命と心を守れるように。
 そしてシンビオスはベネトレイムに強く頷いてから、麾下の兵たちを振り返った。
「これより、邪教徒たちを追撃する!」
 部隊の兵たちが、それに応えて声を上げる。
 突然自分たちが置かれた状況に不安を隠せなかった兵たちが、シンビオスにはっきりと方向を示唆されその顔から迷いと不安が消えていた。
 シンビオスの軍はそうしてサラバンドを発った。
 運命は流れ始める。
 今は1000に満たない兵をあずかるシンビオスだが、やがて彼は共和国そのものの命運をその肩に背負うこととなる。
 ―だがそれを知り得る者は、まだどこにもいなかった。





 END