Lord


痛みは、僕を強くしてくれる。
 悲しみは、僕の甘えを教えてくれる。
 苦難は、僕の義務を忘れずにいさせてくれる。


だから。


きっと、僕は、幸せだ。



「大丈夫だ」
 シンビオスは、自分を心配そうに見つめる騎士に少し笑って見せた。
 コムラードの死から一週間とたたない今も、シンビオスには立ち止まる時間がなかった。
 それを心配してか、側にいるダンタレスが、時々痛そうに自分を見ていることにシンビオスは気づいていた。
 今日の行軍も厳しいものだった。
 深夜とはいえない時間だが、すでに皆疲れはてて眠っているのだろう。天幕の外は物音一つしなかった。
「・・・・本当に、大丈夫だよ」
 ランプの炎に照らされる、ダンタレスの顔は納得しているように見えない。
 シンビオスはそんなダンタレスに、うん、と頷いて続けた。
「・・・それは、もちろん、父上を・・・・父を助けられなかったことは辛い」
 辛い、などと生易しいものではなかった。
 もう一歩で届く。この手を伸ばせばきっと。
 そう思って、必死で・・・・・。
 それでも、間に合わなかった。どんどん冷たくなっていく身体を、父を抱きながら何もできなかった。ただ、父が死んでいくのを見ているしかなかった。
「でも」
 シンビオスは、言葉を切って、そしてダンタレスを見て笑った。
「僕は、恵まれているから」
「・・・!」
「父を失って辛いのは・・・・」
 こんなにも胸が痛いのは。
 叫びだしたいほどに苦しいのは。
「僕が、幸せだったからだ。父の息子に生まれて、僕は、幸福だったから」
 この痛みは、幸福だった証。
 シンビオスは、震える胸にそう言い聞かせ、父の死を思い出した悲しみの衝動を抑える。
「シンビオス様・・・・」
「それに、僕にはダンタレスが・・・ダンタレスたちがいてくれる」
 シンビオスは、簡易机の上に目を落とした。
 そこには、読み終わったばかりの手紙が広げられていた。羊皮紙に滲んだインクは、書き手の涙に思える。
 それは、山道ですれ違った行軍中の部隊をシンビオスの部隊と知って、共和国の商人が直訴したものだった。
 戦乱によって道が絶たれ、商品が届かない。何よりも、買い付けに行った一人息子が行方不明だと。捜したくても財はもうなく、どうしようもないと。
 その商人は、戦いの起こった原因を知らない。そして、どんな理由も関係ない。
 ただ戦争が起こっていること。それによって、財をなくしたこと。家族を、失ったかもしれないこと。恐怖、焦燥感、そして何もできることがないという絶望。
 羊皮紙には、戦いをやめてくれと、・・・・先の町に行くことがあれば、息子の情報をくれと書いてあった。
 シンビオスには何もできなかった。
 できるだけ早く戦いを終わらせる、と自分でもどうしていいか分からないことを約束して見せ、町へ商人の息子のことを伝言させることしか・・・・。
 自分はなんて無力なのだろう、と思う。
 この商人は、多くの人々の姿だった。いや、彼はまだ羊皮紙やインクを持っているが、もっと酷い状態の者も多くいるだろう。今この瞬間も、どうすることもできず死んでいく人がいるに違いない。
「僕は恵まれている」
 仲間がいる。
 そして。
「僕にはしなければならないことがある」
 それは。
 それは、きっと救いだろう。
 シンビオスはすっと目を上げた。
「何もできずに、苦しんでいる人はたくさんいる。でも、僕は、やるべきことを与えられている」
 共和国を、皆を守る。
 必ず、平和を手に入れる。
 一人でも多くの人が、穏やかに暮らせるように。
 そのために、今は、戦う。
 それが、義務。
 義務が、自分を立たせてくれる。
「だから、大丈夫だ」
 痛みは、弱い自分を強くしてくれる。
 悲しみは、甘えた自分を教えてくれる。
 苦難は、自分の義務を忘れずにいさせてくれる。
 シンビオスは、拳を握り締めた。
「大丈夫・・・」
「あなたはッ」
 ダンタレスは怒鳴り、そして我に返ったように、シンビオスから目をそらし声のトーンを落とした。
「――あなたは、まだ、16なのですよ・・・・!」
 ダンタレスの拳は、強く握り締めすぎて震えている。
 シンビオスはそんなダンタレスを見、そして顔を背けた。
「――もうすぐ、17だ」
「それでも・・・ッ」
「共和国では14を過ぎたら子供じゃない」
 名目上はそうだった。
 ダンタレスはそう言われてしまえば、子供だ、とは言えない。
 しかし、彼は黙らなかった。
「大人は涙がありませんか。大人は傷つきませんか。大人には、苦しむ心がないというのですか」
「・・・ダンタレス」
「あなたは立派です、シンビオス様。指揮官としても領主としても。兵の前で、領民の前で、あなたの今の態度は非の打ち所がない。ですが、ここにいるのはわたしだけです。あなたは、指揮官で領主で、共和国の実質のリーダーであると同時に、一人の人間です」
 ダンタレスは、シンビオスの肩を掴んだ。
「いつも公人である必要などないッ」
「ダンタレス、僕は・・・」
「――どうして泣かないんだッ・・・!!」
「ありがとう」
「シンビオス様・・・!」
「心配かけてすまない」
 シンビオスは、穏やかに笑った。
 そしてシンビオスは簡易机の手紙に目をやり、それを巻き直しだした。
 ダンタレスが辛そうにそんな自分を見ていることに、シンビオスは気づかなかった。
 
                              
   END