Knight



――この世界の全てよりも。



 コムラードの死から一週間とたたない今も、シンビオスには休む間もなかった。
 それが、ダンタレスには心配だった。
 夜、天幕で自分のシンビオスを見る目がよほど心配そうだったのか、シンビオスは少し笑った。
「大丈夫だ」
 大丈夫、なはずがない。
 そうダンタレスは思う。
 そんなダンタレスに、シンビオスは繰り返した。
「・・・・本当に、大丈夫だよ。・・・それは、もちろん、父上を・・・・父を助けられなかったことは辛い。・・・・でも」
 シンビオスは、言葉を切って、そしてダンタレスを見て笑った。
「僕は、恵まれているから」
「・・・!」
「父を失って辛いのは・・・・僕が、幸せだったからだ。父の息子に生まれて、僕は、幸福だったから」
 ダンタレスの胸が痛んだ。
 どうしてこの人は、こうも「聞き分けのいい人間」であろうとするのだろうか。
「シンビオス様・・・・」
「それに、僕にはダンタレスが・・・ダンタレスたちがいてくれる」
 シンビオスは、簡易机の上に目を落とした。
 そこには、読み終わったばかりの手紙が広げられていた。 
 それは、山道ですれ違った行軍中の部隊をシンビオスの部隊と知って、共和国の商人が直訴したものだった。
 ダンタレスも内容は聞いていた。
 戦乱によって道が絶たれ、商品が届かない。何よりも、買い付けに行った一人息子が行方不明だと。捜したくても財はもうなく、どうしようもないと。
 シンビオスはとても胸を痛めていた。
 それも、彼の美徳だ。
 それは分かる。しかし、ダンタレスは思わずにはいられないのだ。
 どうしてそこまで、彼が傷つかなくてはならないのかと。
 何もかもを、背負おうとする。自分の苦しみだけでなく、人の重荷まで背負おうとする。
 コムラードが、彼をそう育てたのだ。しかし、それはシンビオスの気質なしに有り得なかっただろう。
「僕は恵まれている。・・・僕にはしなければならないことがある」
 シンビオスはすっと目を上げた。
「何もできずに、苦しんでいる人はたくさんいる。でも、僕は、やるべきことを与えられている。・・・だから、大丈夫だ」
 ダンタレスは苦しかった。
 それは、重荷だろう、と叫びたくなる。
 やるべきことを与えられている、となぜ簡単に言えるのか。
 望みもしない重荷を背負わされただけではないか。
 父親を失って、泣くことも許されない。仇をとるために憎しみを燃やすこともできない。
 なぜ自分だけがと喚いてもいいのだ。
 切ないのを通り越して、腹が立った。それはシンビオスに対してかもしれないし、彼をこんな状況に立たせた運命にかもしれない。
 だから、シンビオスの不自然なほど静かな
「大丈夫・・・」
 という声に、反射的に怒鳴ってしまった。
「あなたはッ」
 そして我に返ったように、シンビオスから目をそらし声のトーンを落とした。
「――あなたは、まだ、16なのですよ・・・・!」
 ダンタレスの拳は、強く握り締めすぎて震えている。
 シンビオスはそんなダンタレスを見、そして顔を背けた。
「――もうすぐ、17だ」
「それでも・・・ッ」
「共和国では14を過ぎたら子供じゃない」
 名目上はそうだった。
 ダンタレスはそう言われてしまえば、子供だ、とは言えない。
 しかし、彼は黙らなかった。
「大人は涙がありませんか。大人は傷つきませんか。大人には、苦しむ心がないというのですか」
「・・・ダンタレス」
「あなたは立派です、シンビオス様。指揮官としても領主としても。兵の前で、領民の前で、あなたの今の態度は非の打ち所がない。ですが、ここにいるのはわたしだけです。あなたは、指揮官で領主で、共和国の実質のリーダーであると同時に、一人の人間です」
 いつからだろう、とダンタレスは思う。
 昔、そう遠くない記憶の中で、シンビオスは感情が豊かで泣いたり怒ったり笑ったりしていた。
 それが、いつからか、泣かなくなった。
 わがままを――それさえ笑って許せる範囲のことだったが――言わなくなった。
 ――声を上げて笑わなくなった。
 明るい笑い声のかわりに、穏やかな笑みを浮かべるようになった。やわらかく感情を隠すようになった。
 そのどれもが、コムラードが指揮官――領主として教えたことであった。
 ダンタレスは、シンビオスの肩を掴んだ。
「いつも公人である必要などないッ」
「ダンタレス、僕は・・・」
「――どうして泣かないんだッ・・・!!」
 分かってしまった。
 ダンタレスは、自分がすでに共和国の騎士ではないのを知った。
 シンビオスに楽になってほしい。シンビオスが幸せになってほしい。
 たとえそれで、他の何かが壊れるのだとしても。
 世界よりも国よりも、ただ、シンビオスを守りたかった。
 しかし、シンビオスは泣かなかった。
「ありがとう」
「シンビオス様・・・!」
「心配かけてすまない」
 シンビオスは、穏やかに笑う。
 そしてシンビオスは簡易机の手紙に目をやり、それを巻き直しだした。
 ダンタレスは固く拳を握り締めた。
 どこにも逃げ場を作らず、ただ強く立ち続けるシンビオスが、いつか壊れてしまいそうで怖かった。
 自分は、シンビオスだけの騎士なのだ。
 ――俺は。
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
 俺は、貴方がどうあろうと・・・・・あなたの味方なのですよ、シンビオス様。
 そのダンタレスの言葉はしかし、声となることはなかった。
 
 
                              
   END