誓い | |
『調律者メエェェッ』 悪魔の憎しみの声が、胸に響いた。 初めて聞く言葉のはず。 自分に向けられたそれに、何の思い当たることもなかった。 それなのに、まるで何か悪いことを言い当てられたような、この衝撃は何なのだろう。 トリスたちがアメルの祖母の家を捜して、禁忌の森沿いを歩いていた時、それは起こった。 封印が破れ、現れた下級悪魔。 その怨嗟の声は、真っ直ぐにトリスに向けられていた。 「トリス?」 禁忌の森を離れ、しばらくして。 ネスティはトリスの様子がおかしいのに気づいた。 トリスはびくっと小さく身を震わせて、ネスティを振り向いた。 「な、なに?」 トリスはちゃんと、笑ったつもりだった。 けれどそれは完全に失敗していたらしく、兄弟子の眉はさらに寄せられる。 ネスティはすっとトリスの傍に寄った。 「どうした?」 「どうしたって……」 トリスは無意識に目をそらせる。 「なにも、ないけど?」 「…………」 目線を外していても、ネスティの視線を感じてトリスはキュッと拳を強く握り締めた。 二人の様子に気づいて、リューグが声をかけようとする。 フォルテが、そんな彼の頭を軽く押す。 「お、おい」 「ほら、とっとと歩く」 「は、はなせよ、おい」 「はいはい、行った行った」 リューグはトリスたちの横で止まろうとするが、フォルテに後ろからぐいぐいと押されて立ち止まれない。 フォルテは通り過ぎざまに、ネスティに「先に行ってるからな」と言いおく。 「―かげん、離せよッ」 「邪魔すんじゃないって、少年」 「! なんだよ、それッ」 第一、子ども扱いすんなッ。 キれる寸前のリューグに、フォルテはやっと手を離す。 「大人のオトコは、引き際を心得てるもんだぜ?」 「な! なんだよソリャ! それじゃまるで」 まるで。 『ネスティとトリスがそういう仲みたいじゃないか』 あるいは。 『オレがトリスに惚れてるみたいじゃないか』 どちらの言葉を発するつもりだったのか、だが、リユーグは言葉をなんとか飲み込んだ。 かわりに、チッと舌打ちするとずんずんと先に歩き出す。 フォルテはそんなリューグの背中を見送った。 「……若いねぇ」 周りに人影がなくなって、沈黙に耐えられなくなったようにトリスは笑って見せた。 「あ、あたしたちも先進まなきゃ」 「トリス」 「だから、何よ?」 「どうして僕を見ない」 「そ、そんなこと、ないよ?」 トリスは、ネスティを見上げる。 ちゃんとしているつもりなのに、ネスティの自分を見る目を見る限り上手くいっていないようだった。 ネスティは彼女の肩に手を置いた。 「どうし……」 言葉が、途切れる。 触れなければ分からないほど、小さな震え。 明るく元気なこの少女が、時折見せる弱さもネスティは知っていた。 けれどそれでも、これほど彼女が何かに怯えることはなかったはずだった。 「トリス?」 できるだけ優しく、彼女を促す。 迷うように揺れていた彼女の目が、ネスティを見上げた。 「ホントに、何もないんだよ?」 胸の奥が冷たい。 『調律者』 怖い。 コワイ……。 「何も、ないはずなのに」 トリスはネスティの腕の袖を掴んだ。 「あの、悪魔が、『調律者』って……」 「!」 「どうし、よう」 何を。なのかさえ分からない。 何を、どうするというのか。どうしたいというのか。 自分でも訳が分からない。 ただ、言葉が自分の口からついてくる。 「どうしよう、ネス」 「トリスッ」 何も理由がわからず、それでも自らの無意識と血に沈められた何かに恐怖する彼女を、ネスティはたまらず抱きしめた。 「大丈夫だ、大丈夫だから……ッ」 これ以上。 これ以上、関わらせない。 これ以上、近づかせない。 君を。 「大丈夫だ、トリス」 「ネスティ……、ネス、どうし、よう。ネス、ネス……」 「いいから。君は、君はいいんだ」 ネスティは彼女を抱きしめる腕に力をこめた。 君を、この苦しみに落としはしない。 「大丈夫だ」 守りたい。 彼女の、心を、笑顔を。 震えるトリスの唇に、そっと自分のそれをあわせる。 一瞬ビクリと硬くなったトリスの身体が、力を抜くのを腕に感じて。 ネスティはさらに深く彼女に口付けた。 |
End |