Calling 




「お兄ちゃーん! お兄ちゃーん!」
『サラ!』
『どうしたサラ、泣いてるのか?』
「お兄ちゃん」
『泣かないでサラ、もう大丈夫だ』
『お兄ちゃんがついてるから』
「でも、でも、ロブが・・・」
『お兄ちゃんの方が強いよ、大丈夫』






『おいでサラ』
「だって、お兄ちゃん・・・そっちはロブが」
『チッ。またロバートか。あいつまだサラに・・・』
「・・・お兄ちゃん・・・」
『ああ、大丈夫。サラに怒っているんじゃないよ』
『お兄ちゃんがこうやって手をつないでてあげるから』
『怖くないだろう?』
「うん・・・」
『何も心配いらないよ』
『お兄ちゃんがサラを守ってやる』






「もう、ジャッキー! 大丈夫だってば!」
『いいから、サラ』
「きゃ? だから、もう、どいてよジャッキー!」
『おまえはじっとしてろ』
「背中にかばってもらわなくたって、これぐらいの奴等」
『オレにまかせろって』
「私一人で大丈夫なの!」
『おまえは見ていればいい』
「よくないわよ! もともと私にからんできた奴等よ!?」
『・・・・・・』
『サラ』
「な、何よ」
『ここは兄貴の顔をたててくれよ』
『な?』









「馬鹿ジャッキー!」
『あー?』
「もう! どうして蹴りを止めたのよ!?」
『・・・・・・』
「本気で相手してって言ったでしょ!」
『寸止めだって、立派な試合だろ』
「嘘ばっかり! 全然まともに相手してくれないじゃない!」
『・・・・・・』
「ジャッキーが私を相手にしてる時、何考えてるかあててあげましょうか」
『サラ』
「どうやったら怪我をさせないだろう、痛い思いをさせずにすむだろうってね!!」
『サラ』
「どうしてよジャッキー! 私だってもう一人前のジークンドーの・・・・・・きゃあ!」
『じっとしてろ』
「なにするのよジャッキー! 下ろしてよ!!」
『おまえ、さっきの試合で足くじいただろ』
「・・・・・・」














「ジャッキー」
『どうしたサラ。最近顔色が悪いぞ』
「・・・うん。何だか最近、誰かにつけられてるみたいで気持ち悪いの」
『またロバートの奴か? あいつも懲りない男だな』
「違うわよ。ロブなら、先週きっぱりふってやったわ。そうじゃなくて・・・何だか変なの」
『・・・・・・オレがいるよサラ。オレが守ってやる』
「ジャッキー兄さん・・・・・・」











ジャッキー!!
ジャッキー兄さん!
兄さん!
大丈夫よね!?
こんな事故ぐらいで、兄さんが・・・・・・!










どうしてこんなにくらいの?
みえない
なにも
わからない

むちゅうでよんでいるの
だれかをよんでるの
だれかが よんでいるの














 雪・・・・・・。
 サラはぼんやりと、ベッドの上に落ちてくる雪に手を伸ばした。
「・・・ジャッ・・キー、兄さ、ん・・・」
「サラ?」
 白衣を着た金髪の男が、サラの様子に気づいて近寄る。
 小さく開いていた窓を閉めると、男はサラの目の前で軽く指を左右に振って見せる。そのアングロサクソン系の男とは別の、黒髪のモンゴロイド系の男が傍らのトレイに載った注射器に手を伸ばした。
「サム、もう1本打っておくか?」
「そうだな・・・。意志が戻ったわけではなさそうだが」
 サムと呼ばれたアングロサクソン系の男は、そう言う間も上半身を起こしているサラの腕をとったりその瞳を調べたりと手を休めない。
「1度でも完全に正常に戻ると、せっかくの洗脳がパーになるぜ」
「そうなるとまた最初からか。そんな事になったら翠斌様が・・・」
「ツーワン、ホンロンのお偉いさん方に俺たちも消されかねないぜ」
 サムはそう之望に笑ったが、その目は真剣だった。
「やっぱり一応、ツイヴン様に対応を仰ぐか」
「しかし翠斌様にいちいちお伺いをたてるのも、ご不興を買うのでは?」
「それは杞憂ってやつだな、ツーワン。ツイヴン様は随分とサラにご執心だから、嫌な顔はなさるまいよ」
「サム!」
 不敬な口の聞き方に、之望は眉をひそめる。
 裏の世界で1,2を争う組織である皇竜の次期頭目(タイクン)候補の一人、皇翠斌。
 その美貌、頭脳、どれをとっても最も有力な頭目候補だ。銃の扱いはもちろん、自らの拳法の腕もかなりなものだった。
 つい1年前に翠斌の配下になったサムと違い、之望はまだお互いが少年の時から彼に仕えていた。
 そんな之望に、サムは大げさに肩をすくめて見せる。
 之望は息をつくと、壁際のインターホンに向かった。ここのホンは直通で翠斌の執務室に繋がっている。
「翠斌様」
 数秒の時間の後に、静かな声が返った。
「どうした之望」
「サラのことで、お伺いしたいことがあるのですが」
「・・・・・・。待っていろ」
 短く、切れる。
 しばらくして、空気が漏れる音とともに扉がスライドして開いた。
 そこから、皇翠斌が姿を現す。
 切れ長の瞳、漆黒の髪。秀麗なおもて。十代のころまで長かった髪は、拳法に邪魔だとばっさりと切り落としてしまっている。
 翠斌は之望とサムの間を通り越して、サラに近づく。自然に足を運んでいるようなのに、靴音が響く床のはずがまるで裸足で歩いているように全く音がしない。
 翠斌は之望とサムを振り返った。
「話を聞こうか」
 翠斌は微笑を浮かべた。サムはそれにゾクリとする。アルカイックスマイルのようでいて―それにしては洗練されすぎているが―全く異質なもの。悪魔的な微笑みとはこういうものなのだろうと思う。
 一見ヤワそうな男なのに、この発せられる圧迫感はなんなのか。
 翠斌と同じく拳法をやっている之望と違って武道では素人の自分でさえ、ただ普通に立っているだけの翠斌から「何か」を感じる。じわじわと胃の内側を蝕むような生理的な恐怖に、サムは耐えられず目をそらした。何度対峙しても、サムは決して慣れることはできなかった。
 その間も、之望がサラの様子を説明している。
 翠斌はそれに頷くと、静かに口を開いた。
「わかった。・・・しばらく席をはずしていてくれ」
「はい」
 之望が姿勢を正す。サムも内心ほっとしつつ頷いた。
 二人が姿を消してから、翠斌はサラに向き直った。
「サラ?」
 彼女に顔を寄せる。
「わたしが分かるか」
「・・・はい、ツイヴン様」
 サラの唇から、抑揚のない声がはっきりとする。
 サラの意志ではない。自分が何を応えているのかも、サラには分からなかった。
 翠斌はサラの髪を撫ぜる。
「―いい子だ」
 これなら薬の必要はないだろう、と翠斌は思う。
「君を皇竜のものになどするものか」
 翠斌は皇竜の頭目の座を誰にも譲るつもりはない。しかし頭目が多大な力を持つように見えて、実は皇竜を本当に動かしているのは竜頭(ロンタイ)と呼ばれる七人の長老なのだ。
 七竜頭を排除してこそ、真の皇帝となれる。
 竜の頭は一つでいい。
 翠斌は皇竜という巨大な竜の、ただ一つの頭になろうとしていた。
「君は誰にも渡さない。君はわたしの・・・大切なモノだ」
 今はまだ未完成だが、いずれ完全なものになる。
 そう、最高の兵器に。
 それは自分に、世界を与えてくれるだろう。
「お前は俺のモノだ」
 そうささやく。そこに、いつもの静の気配はかけらもない。むしろ野望にぎらつく瞳には、獰猛な光さえあった。
 しかしそれはすぐに、冷たく静かなヴェールに隠される。
「そうだろう、サラ?」
「・・・はい、ツイヴン様」
「―美しいよ、サラ」
 翠斌は人形のようなサラに口づけた。ひやりとした感触に、うっとりと翠斌は目を細める。
 サラは身じろぎ一つしない。
 意識の焦点があわない。何も考えられなかった。
 形があるのは、意味もないままただ深層で繰り返す名前だけ。
「・・・・・・・・」
 かすかに動く唇。
 翠斌は優しく彼女のその唇を指でなぞった。
「また、ジャッキーかい?」
 翠斌の薄い唇には、笑みが形作られている。
 しかしその瞳は危険なものをはらんでいた。
「・・・あわてなくても、すぐにお前の手で殺させてやろう」
 サラはビクリと反応する。
 意識がその衝撃をきっかけにして、深淵から這い出そうともがき始める。
「・・・・・あ、あ・・・・ジャッ、兄さ・・・」
「・・・・・・」
 翠斌は傍らのトレイに目を動かした。こうなると薬は必要だ。
「そうすれば、すぐに本当に完璧になれる」
 翠斌は傍らから注射器をとると、サラの腕をとった。薬が注入されサラの上体が一度だけのけぞるが、その腕は翠斌に強く握られて動かない。
「こんな無粋なものもいらなくなる」
 サラの意識が、再び拡散していく。翠斌の声は聞こえるが、その言葉の意味がつかめなくなっていく。
 浮かんだのは、兄の眩しいほど明るい笑顔。
 兄さん・・・・・。



この手を握って。
いま。
大丈夫だって、笑って見せて。



 叫びたいほどに苦しくて、だが、その苦痛さえも遠くなっていく。
 ジャッキー・・・・・・タスケテ・・・・・・
 サラのガラスのような瞳は、窓から見える、静かに舞い落ちる雪さえすでに映してはいなかった。


                                                                      
 
 end