衣川地域と  南部神楽

 管理人が、現在も学びの場とさせていただいている、衣川地域(旧岩手県胆沢郡衣川村・現岩手県奥州市衣川区)の南部神楽を紹介します。

※「衣川の位置」「衣川の歴史」以外は別ページです。
もくじ
「衣川」の位置 衣川地域の南部神楽 ころもがわ神楽まつり 三好京三氏について(準備中)
「衣川」の歴史 現在の伝承団体の紹介 独自の演目(準備中)
「衣川」の位置

 岩手県奥州市衣川区は、岩手県の南部、内陸に位置します。宮城県から北上すると、古川(大崎市)、栗駒(栗原市)を過ぎ、岩手県に入って最初の中規模都市である一関市を過ぎ、平泉町の先になります。
 現在は奥州市ですが、かつては胆沢郡衣川村でした。北は奥州市前沢区、東は一関市、西は秋田県東成瀬村、南は一関市と接していて、農業・酪農などを主な産業としています。
 東側には衣川に沿って平野が広がっていますが、西側は秋田県につながる山地となっており、衣川が南北に分かれ、その周辺に集落があります。中心に位置する、役場のある古戸地区に公共施設が集まっていますが、東側の国道4号線と接する地域が、比較的開けています。地域へは、国道4号線のほか、花巻方面、栗駒方面とも県道で結ばれています。
「衣川」の歴史

 
衣川地域についての歴史、史跡を簡単に紹介します。
 衣川地域は「胆沢郡」の一部になりますが、南に接する平泉町は「西磐井郡」になります。つまり、衣川を挟んで南北では行政区域が分かれていたということになります。これは、中世の時代の勢力区分に由来があり、平泉以南とそれより北では、統治するにあたっては、違った意味を持ちます。
 「前九年の役」において源頼義は、奥州統一を目指して北上しますが、平泉以北、つまり衣川より先に兵を進めることに大変苦労したといわれています。衣川付近には「衣の関」があり、この先が「奥州」とされていました。
一首坂

←「一首坂」のようす
説明板には「互いに歌を詠み合った」とあるが、解釈は諸説ある

「前九年の役」では、衣川において最後の戦いが行われ、源頼義の子、義家と、奥州の安倍貞任が対面し、
「衣の舘は ほころびにけり」
と義家が話しかけたところ、貞任が
「年を経し 糸の乱れの苦しさに」
とかえしたといわれています。このやりとりがあったとされる場所は、「一首坂」と名付けられ、衣川区古戸地区に存在します。
 このやりとりは、安倍氏を地方の武将だと見下していた源氏に対して、「話しかけられたことを即座に歌にしてかえした」という安倍氏の教養の高さを物語るものです。このとき義家は、貞任の実力を目の当たりにし、この場での勝負は止め、一旦逃がしたといわれています。
 この様子については「古今著聞集 巻九」に記されています。中央の勢力と互角に向き合った安倍氏に対し、地域では特に大切にされています。
 南部神楽においても、このやりとりを含んだ演目「夕日の衣川」が創作されており、地域の神楽として、時折、上演されています。
衣川関

 衣の関は、奥州の入り口として衣川近くに存在したといわれています。「前九年の役」では、ここを落とされたことで奥州が源氏の手に落ちました。奥州においては重要な関所であったといわれています。
 現在は東北自動車道がとなりを走っており、管理用道路の近くに記念碑だけがあります。特に痕跡がなく、草むした裏山のような状態です。中尊寺のある平泉町と近い位置にあります。
安倍館跡

 奥州の武将、安倍氏が居住したといわれる館があったとされる場所です。
 現在は道端に樹木と石碑があるだけで、見過ごしてしまうような状況です。
 安倍氏は、教養があり地域住民を気遣う姿勢があったことから、信頼が厚く、戦のときには地域が一体となって支援したといわれています。

 前九年の役のときには、対する源氏よりも兵力が少ないながらも同等に戦うことができたのは、地域の支援があったからといわれています。宿や食料の提供などが兵力の維持に大きく貢献したといいます。現在でも安倍氏は地域の誇りとして大切にされています。
 このように、衣川地域は歴史上で重要な位置を占める場所であったことがわかります。このときに様々な出来事は、南部神楽においても創作神楽として表現されています。「夕日の衣川」「夏草の賦」など、神楽まつりで上演されています。地域の歴史を知ることは、神楽の演目の理解にもつながります。