雄勝   法印神楽

 法印神楽は、「法印」と呼ばれる修験者たちが在地化して集まり、神社の例祭に祈祷として神楽を奉納しているものです。この系統の神楽は、宮城県石巻市周辺に伝承され、数団体があります。
 ここでは、そのうちのひとつ、雄勝法印神楽について解説します。南部神楽も本来は修験者が伝えたものであり、その形態を知る上でも注目すべき神楽といえます。
お知らせ

 2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)により、雄勝法印神楽の伝承される石巻市雄勝町は、壊滅的な被害を受けました。犠牲になられた皆様には、心よりご冥福をお祈りいたします。また、被害に遭われた皆様には、お見舞い申し上げます。
 このページおよび雄勝法印神楽に関する記述、画像は現状とは大きく異なる状況であり、神楽の伝承活動も例年とは大きく異なっております。しかしながら、神楽の存続に向けて地域では努力が続けられており、10月以降は、支援を受けながら活動を再開しています。
 雄勝法印神楽では、今後の伝承活動に向けて、「復興支援募金」を開設しました。貴重な伝統芸能の存続のため、皆様のご協力をお願いいたします。 ←詳しくは左のバナーをクリックしてください。
もくじ
雄勝法印神楽の由来 特色 演目の詳細(別ページ) このページの作成にあたっては、雄勝法印神楽保存会のご協力で、ご提供いただきました資料をもとにしています。
衣装・道具 舞台
雄勝法印神楽の由来

 雄勝法印神楽の伝承されている雄勝町は、三陸海岸の南、宮城県石巻市の一部になります。市域の北東部に位置し、半島になっています。硯の産地として有名なほか、沿岸には小さな集落が点在し、漁業が盛んです。これらの集落での祭典に、雄勝法印神楽は欠かせない存在です。
 歴史は600年以上にもなり、「法印」と呼ばれる修験者たちが在地化して集まり、近隣に神社の祭典で神楽を奉納しています。このため「法印神楽」という名称になっています。
 雄勝の法印神楽は、修験者とゆかりのある町内の数人に伝わってきたのが最初です。現在ではあまり見られなくなった湯立て神事など、伝統を厳しく守り、現在に至っています。
 現在は雄勝町内の14地区の例大祭において、奉納神楽を舞っています。(すべての地区が毎年行っているものではありません)
←雄勝半島の先端、白銀岬付近の風景
特色

 三陸沿岸部に伝わる法印神楽には本山派系と羽黒派系があり、雄勝法印神楽は羽黒派系に属します。
 太鼓(宮太鼓)を二台と横笛を一本で、囃子を構成します。太鼓二台で二人で同じ調子を打つので、自己流にならずに正確に伝承することができます。
←「道祖」の一場面です。右に太鼓(胴取り)が見えます。笛は舞台の外(控え室付近)にいて、こちらからは見えません。
衣装・道具

 男性の装束は、白衣を脱ぎ垂れとして、その上に千早を着ます。頭部は上にザイを付け、役によっては烏帽子や鳥兜をかぶり、面をつけます。
 女性は、襦袢に小袖、上に女千早を着ます。帯は前で結びます。頭には天冠をつけます。
道具は、採物として
白扇鉾鈴(錫杖)
太刀
弓矢
見剱(1メートル半の唐竹
)切子の鯛
岩戸の台
蛇頭
産屋用の稚児頭など
囃子としては
太鼓二台笛一本
ほかに神楽面があります。
←「岩戸開」においての天鈿女命尊です。右手に錫杖、左手に白扇を持っています。後方にあるのが岩戸の台です。
舞台

 祭典の行われる神社の境内、または宮守宅(各集落の中心、代表的な役割を持つ家)の庭に、角材を組んで二間四方から二間半ほどの舞台をつくります。
 床は畳になっています。四隅に柱を立て、天上には十字に二本の角材を渡します。周囲には忌竹を付け、しめ縄を張ります。
 この舞台は何度も組んで使えるようになっており、祭典のたびに組み立てます。
 なお、宮守は世襲のため他の家が引き継ぐことはできず、常に同じ場所で舞台が組まれることになります。宮守宅は、庭の他に座敷も楽屋として使用されるため、建物に応じた構造の舞台になります。
←この画像の舞台の場合は、右手に出入り用の渡し板があり、ここが宮守宅の座敷に直接つながっています。また、神輿を左手に配置し、舞台側には祭壇が設けられ供物が置かれています。
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