「LOVELY BABY」 何となく…ぽっかりと目が覚めて。 ぼんやりと霞む視界を黄金色の洪水が染め上げる。 その眩さが、在りし日の…昔の記憶でも喚起させたものか。何か思うより先にがばりと 身体を起こせば、途端に鈍い痛みが背筋を駆け抜け、瀬戸口は小さく呻いてベッドに沈み 込んだ。 顰めた顔を枕に埋め、じっと衝撃が過ぎ去るのを待つ。それから今度は、ゆっくりと… 恐る恐る上体を起こしてみた。 そこには、端正な…見慣れた男の顔があった。 男二人では尚更狭く感じるセミダブルのベッドの上、ひとつ布団に包まり…隣に横たわ っている。 関節が軋むような断続的な痛みに気を配りながら半身を捻って見れば、時計は朝の七時 を差していた。 眩い光が静かに部屋を満たしている。きっと今日も一日、良い天気になるだろう。 落ち掛かる髪を掻き上げ、長く息を吐いて…それから瀬戸口は再び傍らに目を遣った。 健やかな寝息を立て、深い眠りに就いている。来須が目覚める気配は、まだ無い。 ……何だか、酷く不思議な気がした。 いつまでも寝汚く布団から抜け出せずに居るのはいつも自分の方で…彼の寝顔など見た ことが無かったから。 穏やかに繰り返される呼吸を…そのぬくもりを、こんなにも間近に感じている。 未だ閉ざされた瞼の向こうにある薄水色の瞳を思い浮べ、瀬戸口は表情を和ませた。 彼の瞳も、その表情も…そして見事な蜜色の髪も。いつも目深に被った帽子に隠されて しまっている。 だが、今は…こうして二人で居る時だけは、それらはすべて秘されることも無く晒され る。無防備な寝顔を拝める者など滅多に居ないことだろう。それが何だか…嬉しいような、 妙に照れくさいような。 「……ぅ、わ…っ、」 不意に来須の手が動き、気付くより先にその腕に抱き込まれる。不覚にも反応が遅れて 対処しきれず、動揺を露わにしてしまう。 鮮やかな手練であっという間に体勢を入れ替えられ、ごろりとベッドに転がされる。 痛みに優る驚きに弾かれるように顔を上げれば、いつもと何ら変わらない静かな表情が そこにはあった。凪いだ湖を思わせる柔らかい水色が、じっと自分を見詰めるばかりで。 ───もしかして。 その瞳を見返しながら、ぼんやりと思う。 寝惚けてんのか、こいつ。 そんな考えが一瞬瀬戸口の脳裏を過ぎり…声も無く、何となく成り行きで見詰め合って しまう。 と思えば、ふと身体をずらし…来須がナイトテーブルへと手を伸ばす。そこにはベッド に入り込んでもなおしつこく飲んでいた、飲み掛けの酒があった。 グラスの氷はすっかり溶け、琥珀色の酒は極端に薄まってしまっている。元より上等な 酒ではなかったが、こうして一晩放置されてしまえば形無しだ。 朝の日差しが、酒気に満ちた惨たる部屋の有り様をくっきりと浮かび上がらせている。 床には幾つもの酒瓶が転がっているし、当然のことながら飲みっ放しで食いっ放しだ。 片付けんの面倒だな…と半ばうんざりして溜め息を吐きかけた時。一際明るい黄金色の光 が瀬戸口の目元を掠めた。 「──ん…っ、」 重なる柔らかい弾力の次に、流れ込んでくる水の感触。 僅かに残っていた薄い氷の欠片が、口の中でじわりと溶ける。促されるまま嚥下して… それでも、多分な水が口端を伝い落ちた。 口移しに与えられた既に酒でないそれは、薄まり過ぎて嫌な苦味ばかりを残す。確かに 喉は渇いているけれど、潤すのなら純粋な真水の方が良い。 「おい…っ、来須…っ」 雫を追い掛けるように辿る舌が、顎のラインをなぞる。 耳元に僅かな吐息を感じて見動いだ途端、薄い耳朶を甘噛みされた。 「…っ、」 駆け抜ける甘い痺れに、瀬戸口は反射的に身を竦める。 思わず上がりそうになった声を堪えることが出来たのは、ほとんど奇跡に近いかもしれ ない。 「…感じたか、」 真顔で何言ってやがるっ、こいつはっっ。 っうか、その低い声は反則だ。柔らかく和む碧も、満足そうに口端を吊り上げる笑みも。 腰を撫で…脇腹をなぞり上げる手の動きに、瀬戸口は眉根を寄せて息を詰め…それから ゆっくりと肺に溜まった息を吐き出した。 もう…それだけで。淫らな情欲の焔が身の内に灯る。殊更に感じやすい己の身体が恨め しい。 「お前…ねぇ……」 震える声を溜め息に紛らわせ、瀬戸口は全身から力を抜いた。 開いた口がふさがらない…とは、まったくこのことだ。 あれだけやっておいて、まだ足りない…とか思っているのは、お互い様だったりするの だろうか。……まぁ意見が食い違うより、欲求が合致している方が、そりゃあ良いだろう けども。 確かめるように肌を滑る来須の手が、的確に弱いところを探り当てる。 指で弄り、ざらついた舌で舐め上げては、そこかしこに口付けを落としていく。ちり… と時折走る灼け付くような痛みの後には、きっと朱色の刻印が刻まれていることだろう。 瀬戸口は溜め息を吐き…困ったように視線を彷徨わせてから、今は胸元の辺りで蠢いて いる蜜色の髪を見遣った。 「……やるのか?」 「…ああ」 それでも一応、一抹の望みを託して聞いてみれば、ほぼ即答に近い形で頷かれる。 …あ、左様ですかい、と思わず白けた雰囲気になりながらも、少しばかり笑みを含んだ 穏やかな来須の表情に「まぁ、いいか」とか、思ってしまうあたり。 ……確かに、酒に酔った勢いもあっただろう。 縺れ合うように二人、ベッドに身を投げ出したのは…真夜中を過ぎた頃。 いつ召集が掛かっても良いように、辛うじて残された一握りの冷めた意識を捨てること が出来ないまま、でも何故だか無性に人恋しくて。夢中になって求めて…溺れた。 まったく、飢えた獣のようだと思う。 手を伸ばして…触れて、抱き合って。一体、何を求めているというのだろう。 世界は既に暗闇から開放され、輝かしい光を帯びているというのに。本当にまったく、 朝から不健全極まりない。 過敏なまでに反応を返してしまう身体を恨めしく思いながら、ふと…何か引っ掛かりを 感じる。 何だろう…、何か大切なことを忘れているような……。 「──ちょっと待った、」 来須の手を押し止め、瀬戸口は考え込むように視線を巡らせた。昼となく夜となく度重 なる戦闘に、日付の感覚が曖昧になっている。 「…今日、もしかして…日曜、か?」 頷く来須に、あ、やっぱり?とか苦笑を返して、 「やっぱ、止め。予定盛りだくさんだわ、俺」 出掛けないと…と、来須をやんわり押し退け、瀬戸口は彼の下から抜け出そうと、なる べく負担が掛からないようにゆっくりと起き上がった。 男として、日頃お世話になっている彼女達と約束を取り付けてあるのは、当然のことだ。 酷使された身体は今も鈍い痛みを訴えているし、寝足りない頭は朦朧としているけれど。 それでも義理は果たさないとな…と床に足を降ろしたところで、再びベッドに引き摺り 込まれる。 それは、結構に強引で…ちょっと予想だにしていなかったことで。 スプリングが抗議するように、ぎしりと音を立てる。 とても近い距離で視線がぶつかる。事も無げな男の表情は相変わらずだが、僅かに口端 を引き上げ…形造られる、静かな笑み。 「……言ったはずだ。…離さない、と」 落ち着き払った来須の声に、思わず絶句してしまう。かぁっと顔が赤くなったのが自分 でも解った。 「な…っ、おい…っ!……ん、ぅ…っ…」 頬を撫でる指が顎を捕らえ、唇が重なる。 口付けで、すべてを封じ込める。抗議の言葉も、葛藤も…何もかも。 逃れることはおろか、身動ぎさえ許さない。何もかも奪い尽くすような激しい口付けに、 意識までもが絡め取られる。 目を眇め、どうにか打破出来ないものかと、最初は懸命にもがいていた…のだが。 肌を弄る指に、ひくんと身体が跳ねる。探る舌の濡れた感触を、やけにリアルに感じて いる。 元より刺激を待ち望んでいた肢体だ。こうなると…もう、自分でも止められない。 ……まいったな。 逞しい来須の背に腕を廻しながら、瀬戸口は密やかに溜め息を洩らした。 何時の間にか…こんな風に。優しい気持ちで諦めてしまえるようになってしまった。 すべてに絶望して孤独であろうとした精神が揺らぎ始めている。彼の元で安らぐ自分が 居ることを、認め始めている。 抱き寄せてくれる腕に抗わず…身を委ねても。その背を思う様抱き締めても、許される のだと。 心ここにあらず…といった瀬戸口の意識を現実に引き戻すように、節榑立った力強い手 が大きく膝を割り広げる。あんまりな格好に羞恥を覚えるより先にぴちゃりと濡れた音が 立ち、瀬戸口は思わずといった体で口元を押さえた。 「……ん、ぁ…っ、」 背筋を駆け上る怖気にも似た感覚を堪え、ぎゅっと目を瞑る。 緩やかに勃ち上がった中心を丹念に舐め取られ、瀬戸口はそれ以上、上がりそうになる みっともない声を必死に飲み込んだ。 押し寄せる快楽に翻弄され…好いように乱されてもなお。身体に満ちる思いは、決して 嫌悪ではなく。 なまじっか自覚があるだけに、性質が悪い。 こうして、来須に抱かれる。そのことこそが、自分が望んでいることなのだ…と。 「──ったく、責任…取れよ……っ!」 半ば自棄になって吐き捨てた言葉に返ってきたのは。 聞いてるこちらが恥かしくなるような吐息交じりの囁きと、労わるような優しい口付け だった。 |
'01.05.09.脱稿
うわあ(爆)ラブってるよ……(倒)
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