「恋の受難にようこそ」 正直なトコロ、可愛いもんだ…と思ったのだ。 未だ成長過程にあるしなやかな細身の身体は、自分より頭ひとつ分低い。明るい紺青の 瞳は和やかで、マイナス要素が見当たらない優しげな面立ちと相俟って、穏やかな雰囲気 を醸し出している。 あどけなさが残る少年の口調や立ち居振舞いは、とても微笑ましく思えるものだった。 人懐っこい印象そのままに、笑顔で話し掛けてくる。 周りの空気までも柔らかい色に染め上げるような。間違いなく、彼はヒトを惹き付ける 力を持っている。 まぁ、どんなに第一印象が良くても同姓であることには間違いないし、取り立てて他人 に興味も無いのだが…揶揄って遊ぶ相手としては適当かもしれない。 ののみもすぐに懐いたようだし、彼女の良い遊び相手になればそれに越したことは無い だろう。 その程度だったのだ。瀬戸口にとっての、速水の認識は。 暮れかかる陽が長く影を描き出し、禍々しいほどに空を赤く染め上げている。 どこから調達してきたのか、既にすっかり錆びてしまっている二階に続く外階段を昇り ながら、瀬戸口はやれやれ…とばかりに溜め息を吐いた。 重い足取りは、何も仕事のしすぎで疲れてしまっている為だけではない。 ハンガーに入るのは…正直、あまり気が進まない。一歩足を踏み入れた途端、士魂号の 嘆き悲しむ声が、否応なしに脳裏に響いてくるからだ。 纏わり付いてくる様々な念や邪気を振り払い…遣り過ごすことには慣れている。けれど だからといって、それらを快く感じている訳では決してない。 結末を望み…解放を願う声が、瀬戸口に訴えかけてくる。 ……もう、終わりにしたいと。 戦いに長けたお前が、お前こそが戦場に立ち、剣を振るうべきではないのか…と。 うるさい…と、そう思う。否応無しに過去を思い出させて、死を呼ぶ舞踏を舞わせて… これ以上、何の重責を自分に負わせようというのか。 そんな埒も無いことを考えてしまわないように…せめて陽が高い間だけでも、安心して 呼吸が出来るように。 だから瀬戸口は、細かい整備品のストックを漁りに行く以外は極力ハンガーに入らない ことにしている。 本当は、仕事だって訓練だって…誰かの息の根を止める為の能力なんぞ、今更磨きたく もない。 だが、前線の小隊に配属されオペレーターという任を請け負ってしまった以上、最低限 の整備くらいはしておかないと、何か合った時に後味が悪い。 ヒトは簡単に死に至る。それを見るのは決して気持ちの良いものじゃない。ましてや、 顔見知りの輩であるなら尚更だ。 階段を昇りきり、暗幕をくぐる。聞こえてくる雑音を表情すら動かさず綺麗に無視して、 さっさと済ませてしまおう…と大きく足を踏み出したところで、眼界を掠める異質な煌き に、瀬戸口はふと顔を上げた。 そこには…士魂号の前にひとり佇み、熱心に仕事をしている速水の姿があった。その背 に、夥しい光の粒子が集まっている。 天井から降り注ぐ陽の加減だろうか、極色彩に色を変える輝かしい白銀の幻。 ──羽根が、見えた。 否、第六世代にとって力翼は何ら珍しいものではない。ヒトの目に見えることは無いが、 誰の背にも存在するものだ。 ふとした拍子に、ヒトには見えないものが見える。それは瀬戸口にとって極当たり前の 事実で、今更驚くにも値しないことだった。……だが。 神々しいまでの光の結晶が描き出す、その羽根の数が。 普通…というか、ほとんどの者は二枚なのだ。枚数が多くなるにつれ、それを持ち得る ヒトが造り出される確率も減っていき…珍しいを通り越して、稀有で奇跡的な存在として 嘱目されるようになる。 瀬戸口は目を眇め…唇を引き結ぶと、ゆっくり彼の元へと歩いていった。 速水の背を飾る羽根の数は、十二。 ここまでくると、珍しいどころの騒ぎではない。 「よ、お疲れ」 「…ぅ、わ…っ!」 近付いても一向に気付かない速水の頬に冷えたミルクティーのペットボトルを押し当て る。本当は、ののみの為にと買ったものなのだが…まぁ珍しいものも見せてもらったし、 その御礼ということで。 「一息付けば?…随分、根詰めてやってるみたいじゃないか」 驚きと戸惑いが綯い交ぜになった表情のまま固まっている彼に紅茶を渡して、瀬戸口は 自分の分の缶コーヒーを取り出した。 呆然としていた速水はプルトップを引く音でようやく我に返ったらしい。今更のように あたふたと慌てる姿は、なかなか微笑ましいものだった。 有難う、といつもと変わらない笑顔。それにウインク付きの微笑みで返して、瀬戸口は 珈琲を口にした。 手摺りに背を預け、ついでに士魂号を見上げる。責め立てる声は、いつまでも止むこと が無い。 どんなに…捨ててしまいたくても。 歩んできた過去を、犯してきた罪を切り捨てることなんて出来ない。それは既に、己の 一部として…現在の自身を造り上げているものだから。 「瀬戸口くんって、良いヒトなんだねーっ」 唐突に感動するような口調で言われて、思わず噎せてしまった瀬戸口を不思議そうに見 遣る、紺青の瞳。 予想外の言葉に、深淵に沈み込むばかりであった思考が寸断される。 「……お前さん、面白いこと言うな」 呆れた口調に苦笑を滲ませれば、そうかなぁ?と、のんびりした声。 どこか焦点がずれている…というか、何というか。 「…僕、すっかり瀬戸口くんのことが気に入っちゃったよ」 照れたように頬を染め、嬉しそうに笑みを深める。 「このミルクティーのお礼は、必ずする」 「随分と大袈裟だな」 「だって、凄く良いタイミングだったんだもん。本当、嬉しかった」 有難う…などと、何度も礼を言われる程のことでも無いと思うのだが。 瀬戸口は「はいはい」と頷いて、柔らかそうな群青の髪を見遣った。 速水が、三号機のパイロットとして…幻獣を狩る者として、どれほどの適性があるか、 どれほどの活躍をするか…なんて、知ろうとも思わなかったけれど。 光彩が形作る夥しい数の羽根を見て、気が変わった。 力翼の数は、そのまま潜在的な能力を指し示している。ヒトの上に立つべき能力を持つ 者の証であるという話も、聞いたことがある。 彼が…もし芝村に感化されて、絢爛舞踏を目指すようなことがあれば。 有り得そうな未来だ、と瀬戸口は心の中で舌打ちした。 芝村の末姫である舞と速水は、同機のパイロットということもあってかとても仲が良い。 恋人…といえるのかどうか、本人達にしても微妙なラインに立っているのだろう。 それは別に構わない。若い者同士、大いに青春を謳歌してくれ…と思う。相手が芝村で なければ、もっと…何の問題も無く喜ばしいことだと、手放しで応援出来るのだけど。 瀬戸口は密かに溜め息を吐いた。 自分は、速水に何を言ってやれるだろうか。 …過ちを、二度と繰り返さないように。 「ごちそーさん、美味かったよ」 「お粗末さまでした」 くすくすと機嫌良く笑いながら、速水が珈琲を出してくれる。 食べ終わった食器を手際良く片付けていく後ろ姿を見ながら、瀬戸口は表情を和ませた。 まったく、甲斐甲斐しいというか、小忠実というか。 さすが、小さい頃はお嫁さんになりたかった…というだけはある。これも一種の才能っ ていうんだろうな、とか考えたら、自然と笑みが零れた。 放課後、仕事が一段落付くのを見計らっていたかのように「ご飯でも食べに来ない?」 と速水に誘われ、瀬戸口はその有難い申し出を受け入れたのだ。 速水は家事に長けている。手製のサンドイッチを何度か分けてもらったことがあるが、 見目も味も結構なもので、普通のオンナノコでは到底太刀打ち出来ないだろう。 住宅街の一角にあるごく有り触れた借家は小奇麗に整頓されていて、家主の性格を良く 現していると思う。 力翼を見たあの日以来、速水と瀬戸口の仲はより親密さを増した。以前よりずっと話す 機会が増えたのは、互いが互いを気にしているからだろうか。 食器の合わさる音と跳ねる水音を聞きながら、ぼんやりと珈琲を口にする。 香りを楽しみながら半分ほど空けたところで、ふわりと眠気のような…気怠さにも似た 感覚が、急激に瀬戸口を押し包む。 何故だか、ゆっくりと音が遠くなり……そこで唐突に意識が途切れた。 肌寒さ…というか、ぞわりとした感覚が肌を撫でる。 不快な感触に眉を潜め、重い瞼を押し上げてみれば…聞き覚えのある声がやけに近くで 聞こえた。 「…あ、気が付いた」 鮮やかな群青の瞳が細められ、のほほんとした笑顔になる。 「良かったぁ。僕、意識の無いヒトをどうこうするのって、あんまり好きじゃなくて、」 どうせなら反応ある方が楽しいしね、とにこやかに言われても。 瀬戸口は真上にある速水の顔を見詰めたまま、何度も瞬きを繰り返した。 何が何やら、良く解らない。が、どうやらベッドに横たわっていて…シャツの前をはだ けられ、何故だか既に下着ごとズボンを引き抜かれていたりする、この状況は。 「ちょ…、ちょっと、待て…っ、」 開かれた胸元のシャツを掻き合わせ、覆い被さっている速水の下から抜け出そうと必死 にベッドをずり上がる。女のような行動だ…と頭の片隅で思いつつも、点滅する危険信号 に、どうしたって逃げ腰になってしまう。 「やだなぁ。そんな風に怯えられると、余計に追い詰めたくなるじゃない」 くすりと笑む、速水のいつもと変わらない表情が、どうにも驕慢なものに思えてしまう のは、どうしてだろう。 「……何の、真似だ」 窮地に立たされているとは思いたくない。男の矜持に掛けて…というより、根本的且つ 一般的な前提…というか常識が崩れていると思うのだが。 「やっぱり、初めては彼の家で…って思うじゃない?」 ちょっと待て、何の話だ。 どうにもこの…突拍子も無い現実が認め難くて、再び組み敷こうとする速水に抵抗する にも戸惑ってしまう。 というか、大体、日々訓練を怠らない速水と自分では、基本的な能力値が違いすぎるの だ。あっという間に先程と同じ体勢に持ち込まれ、あまつさえ腰に回された腕にそろりと 背筋を撫で上げられ、身体の震えを押さえ切れない。 「ねぇ、瀬戸口くん」 にっこり微笑むその裏にある真意なぞ、解りたくもなかった。意に反して恐れる気持ち ばかりが胸に押し寄せる。 「お前さん…相手を間違えてないか?」 それでも、何とか平静を保って問えば「僕は瀬戸口くんのことが好きだよ?」という、 答えになっているのかいないのか、良く解らない言葉が返ってくる。 「お、俺は男だぞ?」 「知ってるよ?」 そろりと中心に指が伸び…やんわりと握り込まれ、絡み付く指の動きが望まぬ熱を引き 摺り出していく。今更ながらに驚いて身を捩ろうとしても、そこは速水の腕の中で…抱き 締める力が強まり、呻きさえ封じるように唇を塞がれた。 「……ん、…ぅ…ンっ…」 舌を絡め吸い上げる動きは慣れたもので、下肢を弄る手の動きと相俟って、ゆっくりと 意識が蕩けていく。 そう、感じているのは紛れも無い快楽だ。感じやすいこの身体は、いとも簡単に追い詰 められてしまう。 「…これ、って……」 絶え絶えの息を吐く、その唇に頬に…目元に、幾つもの口付けが降ってくる。掠れがち な己の声に眉を潜めつつ、瀬戸口は途方に暮れたように続く言葉を口にした。 「強姦って、言わないか?」 一瞬、速水の手が止まる。 きょとんとした顔になって…それから「言わない言わない」と楽しそうに相好を崩した 彼は、あくまでのほほんとした雰囲気を崩さない。 「だって、合意の上じゃない」 合意した覚えはこれっぽっちも無いのに、どうして断定形なのだろう。 そう思ったのだか、今はそれをとやかく言える状況には無かった。 「……くッ、あぁ…っ!」 先端を抉るように強く擦り上げられ、思わず上がった声に瀬戸口は悔しそうに唇を噛み 締めた。 酷く扱われるのが好みなら、そうするけど…?と小首を傾げながら問う速水に、慌てて 首を振る。今だって心身ともに随分無体を働かれていると思うのに、これ以上負担を掛け られたら堪らない。 速水はくすりと笑みを洩らし、触れるだけのキスを寄越した。 「大丈夫、大人しくしてれば、悦くしてあげるから」 面倒だから抵抗しないでね?などと笑顔で念を押され、瀬戸口は言葉すら失くして身を 竦めた。 「…ふぁ…、あッ、あぁ…っ…」 丹念に肌を弄られ、ぼんやりと意識に霞みが掛かってくる。 堪えようと躍起になっていた声も、もう押さえることすら叶わない。寄せては返す波の ように、絶え間なく押し寄せる快楽に晒され、すっかり思考力が奪われている。 速水は決して先を急がず、手荒なことも一切しなかった。その先を止めようと反射的に 伸ばした手をやんわりと退け、肌のそこかしこに口付けを落としていく。 自分を好き勝手にしているのが、あの十二の力翼を持つ年若い少年である…という事実 が未だに信じ難くて、瀬戸口は目を瞑り必死に顔を背けた。 濡れそぼつ中心に顔を埋め、あからさまな濡れ音を立てて嬲られる。 「あ…っ、ああああ…ッ」 咥え込んだ花芯にやんわりと歯を立て、根元からゆっくりと滑らせていく刺激に、びくん と爪先までを緊張させて、瀬戸口はまた震えながら達した。 何度耐え切れずに熱を迸らせたか解らない。羞恥と快楽とが綯い交ぜになって、まるで 魘されているかのように、頭を打ち振るい…身を捩る。 解放してもなお、身の内に蟠る熱が引かない。 「……ん、…」 汗に張り付く髪を掻き上げる指の動きに、ふと意識が戻る。ぼんやりと見遣れば、滲む 視界に鮮烈な青が見えた。 「可愛いね」 羽根が触れるように目元に口付けてくる。その時ようやく…自分が泣いているのだと、 そこで初めて気付いた。 襞を掻き分け…奥を探る指の動きに、自然と腰が揺らめく。 「もぉ…っ、はや、みぃ…」 瀬戸口は必死に縋り付いて、喘ぎが入り混じった呼吸の合間に、意地の悪い少年の名を 呼んだ。 「ん?…欲しいの?」 耳に吹き込まれる囁きにさえ、肌を粟立たせずにはいられない。 もうどうにかして欲しくて…深く考えることもせず、訳も解らないまま夢中になって頷 けば、速水はゆったりとその青い瞳を和ませ、悲鳴を上げて仰け反る身体を抱き寄せた。 朝の目覚めは、爽快というには程遠いものだった。 散々無理を強いられた身体が軋みを上げているのが解る。痛みで目が覚めるほどなのだ から、受けたダメージは計り知れない。 溜め息を吐きながら、瀬戸口はゆっくりと上体を起こす。苦痛と共にまざまざと蘇って くる醜態に、本気で頭を抱えたくなった。 いっそ夢だったら良いのに…と、そう思わずにはいられない。だけれど、見慣れぬ部屋 の風景が、断続的な痛みを訴える身体が、夕べの嬌態が現実であることを知らしめる。 「おはよっ」 音も無く静かに開いた扉に目を向ければ、輝かしい陽の光のように、にこやかな笑顔と 明るい声が、瀬戸口の鬱積に追い討ちを掛けた。 差し出されるマグカップからは、柔らかな珈琲の香りが立ち昇っている。瀬戸口は溜め 息を吐いて…片目を眇めたまま、恨めしそうに速水を睨め付けた。 その視線にもまったく動じることなく、彼はくすりと笑みを零す。 「僕は…欲張りなんだ」 触れてくる手を敢えて払い除けずに珈琲を口にする。乱れを直すように、形の良い指が そっと髪を梳いた。 「欲しいものは必ず手に入れる。その為の努力なら厭わない。それが、僕の選択…かな?」 にっこり、と。 いつもと変わらない柔らかな笑みを見せ付けながら、速水は不敵に言い切る。 漲る力が宿っている、強い言葉。それこそが、彼が選び…勝ち取った結論なのだろう。 煙る湯気の中、静かに目を閉じる。 ……手に入らないものだって、ある。どうしても叶わない願いがあるように。 喉元まで出掛かった言葉を胸に封じ込め、瀬戸口は促されるままに顔を上げた。 穏やかな表情を崩さないまま、そっと口付けてくる。運命すら…望むまま拉げてしまえ るような、強い意志でもって。 「…だから、瀬戸口くん。僕のものになってよ」 速水は静かに笑みを深め、愛してるよと囁いた。 |
'01.06.02.脱稿
どっちつかずな(爆)小泉様、済みませんでした……(切腹)
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