1967
      生まれる。
   

1972

幼稚園入園。自由時間にはひたすら絵を描いている子だった。幼稚園指定の「おえかきちょう」をかなりの数消費したらしい。どんなものを描いていたのか見てみたい。残念なことにもうそれはない。
   
1974
小学校入学。近所の「お絵かき教室」に通 う。
   

1980

中学校入学。勉強!勉強!!の杉並区。「お絵かき教室」を惜しまれつつも辞める。(惜しまれていたということは最近になって知った)美術とはまるで縁のない日々。
   

1983

明星学園高等部入学。 なんとなく美術部に入ってみようかと昼休みに部室を訪ねるが、「ボール遊びをするのに人が足りないからおいでよ」と友達に誘われ、部室をあとにする。以来、美術とは縁のない高校生活。
初のアルバイトは郵便局。その後、伊勢丹のハム屋、西友のハム屋、元肉屋のパン屋で働く。「肉」づいている。

   
1986
文化学院文学科入学。 文章をきわめようと思っていたのでアルバイトはずっと出版社。
   

1987

文化学院には文学科と建築科と美術科があり、なんだか美術科の人たちをうらやましく思う日々。
   

1988

授業の提出物で「絵本のようなもの」を作って提出し、誉められた。ある感動を言葉で表現しきれなかったので絵にしてみたのだ。 文章をきわめようとしていたが、言葉では表現できないものがあるという思いが強くなる。絵を描きたいと思う。
美術科の友人に絵の先生を紹介してもらう。幼稚園でこどもに教えている先生だ。私も幼稚園に通い、こどもたちと絵を描く。「構図」と「色彩」を大切に教える先生でした。 学校に行かないで絵を描く日々。そのせいか今でもたまに単位を落とす夢にうなされる。
   

1989

文化学院文学科卒業。 銀座の画廊で働く。そして絵を描く日々。この頃はもっぱら水彩画を描いていた。
   

1990

銀座の画廊で働く。そして絵を描くが「スランプ」。
   

1991

自分が絵を描いていて、画廊で働く、ということがきつくなってきた。でも、展示や額装や梱包のコツを教わったり、そしていろんな作家さんたちと出会ったり…とても貴重な経験でした。
外で食事をしたり呑んだりすることが増えてきた。そういう店のまばゆさを感じ、急に飲食店に目覚める。有楽町のとある飲食店で働きはじめ、料理教室にも通った。
制作は引き続き「スランプ」。飲食店で一緒に働くアルバイトに多摩美の建築科の学生さんがいた。いつも課題に追われている様子がうらやましくなってきた。彼に「どこかいい学校ない?」と聞いたら、「美学校」という答がかえってきた。 即「美学校」を覗きに行く。これが実にあやしげなところだった。得体の知れないような空気に吸い込まれるように…。
   

1992

美学校造形基礎に通う。「表現とはなんぞや」を探求する楽しい日々。私がずっと続けている「触りながら描く」ということもここでの授業からヒントを得た。酒と食欲の日々でもあった。
8年間も働き続けることになる「青汁スタンド」でアルバイトを始める。

   

1993

「美学校」でもいい出会いはたくさん。酒宴の席にいた作家さんに「個展がしたい」と云うと画廊を紹介してくれた。ギャラリー檜だ。はじめての個展に踏みきる。
個展・ギャラリー檜 /東京
   

1994

新たに「しゃぶしゃぶ屋の厨房」でのアルバイトを加える。私には一生かかっても食べきれないほどの牛肉を切る日々。またもや「肉」。
従業員15人くらいの食事(「まかない」という)を作る担当にもなる。ここでは本当に料理の勉強になりました。初心者のへたくそな料理をコックさんたちにも食べてもらっていたのかと思うと恥ずかしくなる。
そして、仕事が終わるとお店で朝まで呑む日々。いちばん呑めた時代。本当にお世話になりました。
個展・喫茶ドマン/東京、ギャラリー檜 /東京
グループ展「WHITE HEAT」:神奈川県民ホール/横浜
   

1995

我々の仕事後の呑みすぎがたたったせいか、しゃぶしゃぶ屋がつぶれる。今度はうどん屋で働く。
個展・ギャラリー檜 /東京
グループ展「LOVE ME DO ONE+ONE」:VA西荻/東京
   

1997

うどん屋がつぶれる。今度は洋食屋で働く。食器や道具の洗い方、扱い方、調理のちょっとしたコツや料理を作る者とそれを手伝う者の「あうんの呼吸」など、のちのちためになることをみっちり教わった。銭湯通いで貧乏な日々。ビールを買うか銭湯に行くかで真剣に迷うようなこともあった。
個展・大気堂画廊/横浜
   

1998

細々とやっていたイラストの仕事が順調に入るようになり、ちょっと潤いのある日々。よく呑んだ。
個展・ギャラリー檜 /東京
イラスト展・喫茶ドマン/東京
   

1999

だんなとの同居生活が始まる。毎日の食事作りがまばゆく楽しい。友達も乱入してきたりの宴会の日々。
グループ展「版による」:ギャラリー檜 /東京
個展・Za Gallrey/東京
   

2000

だんなの実家である群馬県で暮らすという話がもちあがる。「東京を離れる」「両親と同居」さまざまな不安が襲ってくるが、そういう苦労は「作品を作り続けるということ」に比べれば大したことではないだろうと思い、決断をする。
個展・バー・ギャラリーとき/東京
グループ展「アートと暮らす新世紀」:Za Gallrey/東京・横浜
   

2001

群馬県に引っ越す。なんと両親が肉牛の畜産をやっている農家だ。ああ、やっぱり「肉」づいている。しゃぶしゃぶ屋であんなにたくさんの牛肉を切り刻んでいた私は、300頭を越える肉牛たちと暮らすようになったのだ。
環境がガラリと変わってしまったせいか、制作に戸惑う。スケールの大きな荒々しい自然に圧倒されて困っている状態。「規則正しい生活」と都会と比べて「不便」なことにも困ってしまう。
個展・ギャラリー檜 /東京
グループ展「アートと暮らす新世紀」:Za Gallrey/東京・京都
   
2002
車の運転免許を取得。高校を卒業すれば誰もが車を運転する群馬県。これで私もやっと「真の群馬県人」だ。
ようやくこの町もADSL化され、安心して快適なインターネットを楽しめるようになった。いろんなホームページを見て「私も面白いものを作ってみようじゃないか」と奮い立つ。
この環境の中で制作をしていくのには、もう少し「なにかを暖めて」でないとならないような気がしている。今年はうろうろ歩き回る感じで生活をみつめようと思う。よって「道草を喰う」ということになった。

 

長々と読んでいただき、ありがとうございました。HOMEへもどる