父、母、夫、私の4人家族。
昼食は両親を交え4人での食事。 夕食は夫婦のみの食事である。 昼食は忙しい農作業の合間にサッと食べる、味には保守的な両親のことを思った料理。 夕食は夫婦でゆっくりと酒を呑みながら食べるので酒の肴でもある料理だ。 二つの台所を行き来し、二つの食事の傾向を行き来している。 |
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2004/1月 | |
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新年です。本年もどうぞよろしくお願いいたします。 |
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1月12日 |
ひる |
自転車でS家へ向かう途中、道路に一把のチンゲン菜が落ちていた。 |
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よる |
「屠蘇風呂」という入浴剤をもらった。数種類の漢方が、紫地に白抜きの手拭いのような生地でできた布袋に入っている。まずこの姿が美しい。風呂場に充満する芳香に身も心もキリリと引き締まり、極上の気持ちよさだ。これをくれた友人のお母さんはこの「屠蘇風呂」をお年始の贈り物にしているそうだ。なんと粋なことでしょう。 |
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1月13日 |
ひる |
S家の食卓で私の座る席の真正面には南に面した大きな窓がある。昼食を食べながら「穏やかな晴天だなぁ」と眺めていると、急に窓の外が茶色になった。突然強い風が吹き、砂埃が舞ったのだ。午後からはこれ以上のものがあろうかというほどの強風が吹きっぱなしだ。漕いでも漕いでもまるで進まない自転車には、我ながら笑いが止まらない。通り過ぎる自動車を運転する人の気の毒そうな視線を感じながら、自転車を押して歩いて帰った。案の定、干していた洗濯物は飛ばされていた。 |
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よる |
こう寒いと毎夜のごとく「鍋」である。 |
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1月15日 |
ひる |
養命酒を飲みはじめて一週間が経つ。体調の悪いときは自分の体の中心からまるで力が湧かずに、寒さに完全に降参していた感覚があったが、ここ数日は体の中心から少しずつ力が出ているように感じる。どうやら効果があるようだ。 |
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よる | この冬のS家の畑では、ほうれん草の発育が悪い。2週間に1度、おひたし1回分をやっと収穫できるかできないか、という状況だ。 がっかりしている母が、スーパーでほうれん草を買ってきた。ところが父は、一口食べただけで見向きもしない。母は「都会の人が田舎の野菜をおいしいと言っている訳がわかったような気がする」と言っている。そのほうれん草は、頼りない味なのだ。 同じ頃、友人から「都会の野菜には生命力がない」という言葉を聞いた。そうかもしれない。 畑から店頭に並び、台所にたどり着くまでの間に鮮度が落ちるからなのだろうか。または、商品として成り立つように姿形の整った野菜を作る段階で、野菜の生命力が弱まってしまう、なんていう、あたかも人間にもあてはまるようなこともあるのだろうか。 自家用畑の野菜は泥まみれで形が不揃いだ。ていねいに洗ったり形を整えたりと、調理を始めるまでに時間と手間がかかる。 都会から越してきた当初は、手間のかかる泥まみれで不揃いな畑の野菜には戸惑ったものだ。しかし、迫力のあるこたえられない旨みがあることは確かだ。 ●ほうれん草のおひたし ●ゆでブロッコリー ●モツ煮込み ●銀むつの香草焼き(参考●鯛の香草詰め塩焼き・にんにくオリーブオイル味) |
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1月16日 |
ひる |
スライスしたしょうがを入れたフライパンで、さばを蒸し焼きにする。たっぷりの大根おろしとポン酢醤油をかける。柔らかくさっぱりとしているので、食が進む。 |
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よる | 強風の中、畑へ出かけた。もう何日も雨が降っていないので、うんざりするような砂埃だ。作物はかわいそうに干からびているように見える。が、それは表面だけなのである。もう死に絶えたかのように縮こまっているキャベツの苗は、いつか雨が降りもう少し暖かくなると息を吹き返すらしい。 葉の半分が干からびてきている大根でも、予想以上に水分を含んでいる。 ●おろし豚しゃぶ鍋 乾燥した惨憺たる光景の畑で、ひときわ元気そうに空に向かって伸びているのが長ねぎだ。この寒さで甘味が増し、いっそうおいしくなっている。 ぶつ切りにしたねぎを網で焼く。焼け目がついたら、酢醤油に漬ける。 ●焼きねぎの酢醤油漬け ●厚焼き卵 |
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