父、母、夫、私の4人家族。
昼食は両親を交え4人での食事。 夕食は夫婦のみの食事である。
昼食は忙しい農作業の合間にサッと食べる、味には保守的な両親のことを思った料理。
夕食は夫婦でゆっくりと酒を呑みながら食べるので酒の肴でもある料理だ。
二つの台所を行き来し、二つの食事の傾向を行き来している。
 
 2004/4月
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    3月の終わりに雨が降った。
夜、たっぷりと降っている雨の音を部屋の中で聞いていると、冬の間に乾ききった地面が、ごくごくと水を呑んでいるように聞こえた。
 
 
    4月に入り、届いた新聞の一面を見て、一日の始まりを暗鬱な気持ちで迎える日が続いた。
『米民間人の遺体損傷・衝撃映像に米動揺』『スペイン軍発砲、19人死亡』『米軍ヘリ、シーア派攻撃』『シーア派、伊軍と交戦、15人死亡』。
そして 『米軍、モスク空爆』。
信仰の場であるモスクを攻撃するなんてどういうことだ。より一層、アメリカ側に対してテロを起こしたくなる気持ちを増殖させるではないか。この先、どうなってしまうのだろうと、暗く嫌な思いになった。

その翌日、
『日本人誘拐・自衛隊撤退を要求』。
戦争に暗鬱な気持ちになってはいても、何もしないで新聞を読んだりテレビを見ているだけの私たちではなく、実際に行動した人たちが命の危険にさらされている。何もしていない恥ずかしい私だが、他人事ではない思いになった。「早く帰ってこないかな」と思うその数日は、食事も味がしなかった。

そのうえ、どういうことだ、その後に起きた『自己責任』『自業自得』という言葉を乱用したバッシング。
国は「国のために民がいる」という認識なのだろう。
そして「国のすることにたてついた」と彼らや家族を非難する人らがいることに驚いた。
いやらしい感じだ。
たぶん「私だったらしない」「彼らは私たちとは違う」という感覚が、彼らを非難することをもたらすのだろうが、そんな感覚を持ったとしても、そんな感覚で人を非難することは、最後には自分の首を絞めることになるのではないか。
いつか「国が一丸となって△△しているのに、あいつは○○している」というようになってしまうのだ。
息苦しい感じだ。
私は「民がいて、そのために国がある」と思う。

そんなふうに、気持ちが沈んだり、怒ったりしているうちに4月は終わろうとしている。

 

4月25       東京は葛飾・柴又へ行って来た。
街を歩くとおなじみの風景が次から次へと目に飛び込んでくる。柴又駅、帝釈天の参道、帝釈天、川甚、江戸川… 今にも寅やさくらや源ちゃんが飛び出してきそうだ。

ふと『男はつらいよ』は山田洋次の創作物で、実のところ寅さんなんて実在しないのだ、と気づき、不思議な気持ちになってしまった。私を含めあの街を歩く人たちは、寅さんの存在を感じながら歩いている、ということを感じたからだ。
すばらしい映画のもたらす、強い力を感じてしまった。→ 私の寅さん

柴又の飲み屋で鰻串をつまみに飲んでいると、携帯電話が鳴った。画廊からの電話だ。
個展をすることが決まった。6/28〜7/3、銀座はギャラリー檜にて。
 

4月28       今日は強い日射しの晴天。風があきれるほど強く吹き、うるさい。流れる雲は白く光っている。紺色の雲もある。空気は痛いくらいに冷たい。いったい今が4月なんだか5月なんだか、10月なんだか11月なんだか、いつなんだかわからなくなるような、不思議な日だ。
届いた夕刊に目を通す。『ファルージャ大規模空爆』。あぁ〜あ。

4月の『S家の食卓』では、小松菜の菜の花を茹でたのが大活躍だった。裏の竹やぶには少しずつ筍が姿を現している。ふきも生えてきた。
豚モツとねぎの塩炒め
に、
トウチ醤(中華黒豆みそ)を加えると旨いことに気がついた。