父、母、夫、私の4人家族。
昼食は両親を交え4人での食事。 夕食は夫婦のみの食事である。
昼食は忙しい農作業の合間にサッと食べる、味には保守的な両親のことを思った料理。
夕食は夫婦でゆっくりと酒を呑みながら食べるので酒の肴でもある料理だ。
二つの台所を行き来し、二つの食事の傾向を行き来している。
 
 2006/1月
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  新年が始まりました。今年もよろしくお願いいたします。  

1月6日      

週末に東京の友人宅で新年会をすることになった。野菜の価格が高騰していると聞いたので、群馬の旨い野菜をお土産にしよう、と畑へ出かけてみて驚いた。大根やねぎの地上に出ている部分が凍っている。群馬の冬は5年目だが、こんなことは初めてだ。
S家の牛たちから産出された堆肥を使っている野菜農家から、今現在では高級品になっているレタスをたくさんもらったので、新年会にはこれを作ってみよう。

●雪見鍋

 

1月10日      

東京では二夜連続の深酒をしてしまった。内臓は大変なことになったが、心身ともに古いものを放出しきった感があり、すがすがしい気分だ。
ようやく私の新年が始まる。からっぽになったところで、新しい気持ちでキャンバスに向かうのだ。

●鶏肉のパプリカ蒸し焼き

 

1月11日      

去年、長い時間を費やして描いてはいたが、結局失敗に終わったキャンバスを塗りつぶした。
今、そこに再び新しく描き始めている。描いているうちに、去年のそれらがなぜ失敗だったのかということに気づいた。気づいたことを今後活かせるかどうかはわからないが、“気づいた”ということがとても嬉しい日だ。

●厚揚とねぎのさっぱり鍋

 

1月12日      

去年はたくさんの小林旭の唄を堪能した。そして、今年もまた買ってしまった、小林旭のCDを。
本日入手したのは『アキラ4』。(大瀧詠一が監修したテーマ別のCD『アキラ1』〜『アキラ4』のうちのユーモアソング集) コミックソングが15曲。 あのキラキラ輝く映画スター、アキラさんが、よくもこのような楽曲をレコーディングしたものだ。これが『さすらい』や『十字路』や『月の砂漠』を唄っている人だろうか。鈴木清順映画で任侠役を演じている人だろうか。なんと愛嬌のある、懐の深く広い人だろう。1960年代の歌謡曲のコテコテした演奏なのに、すがすがしく爽やかな曲に感じるのは、アキラさんの歌声の力であろう。
そして、かすれてもいい、ハズれてもいいのだ、という覚悟で繰り出される高音に、今年もまたまた痺れてしまった。
そんなわけで、本日は制作に身が入らず、♪ショーがないね。

●かぶのとろ煮

 

1月14日      

近所の農家から鶏卵をもらった。産みたての鶏卵には鶏糞がしつこくこびり付いている。鼻を近づけると鶏糞独特のツーンとした匂いがする。殻を割る前にこれをきれいに洗い落とさなければならない。水回りは寒いが、お湯を使うわけにはゆかず、水で洗い落とす。20個ばかり洗ううちにすっかり手がかじかみ、体が芯から冷えきった。
この厄介者の鶏卵だが、なかなか割れない固い殻、ぷるっと弾けるような白身、オレンジ色の鮮やかな黄身である。よくかき混ぜた納豆にのせ、卵は軽くほぐすだけにして、醤油をひとたらし。炊きたてのご飯にかける…なんと旨いこと! 美味しい食べ物は数々あるが、“納豆卵かけご飯”ほど旨くいものはない! と食べるたびにいつも思う。原価は安いというのに、これ以上ないようなめくるめく贅沢さを感じるので、なるだけ食べないようにしている。貧乏性である。

●鯛の香草詰め塩焼き・にんにくオリーブオイル味

 

1月15日      

“塩らっきょう”が好きである。そういえば、私はらっきょうがあまり好きではなかった。よくよく思い起こすと、あれは“甘いらっきょう”が嫌だったのである。同じらっきょうでも“しょっぱい”か“甘い”かでは雲泥の差である。ところが、このあたりの店では“塩らっきょう”を扱っていない。“甘らっきょう”ばかりである。残念だ。生協の宅配で、ごくたまに“塩らっきょう”の取り扱いがある。そんな時は多めに注文するのだ。次のらっきょうの収穫時期には、お母さんの畑から分けてもらって、漬けてみようと思う。

●ひき肉とかぶの葉のスパゲッティ

 

1月16日      

厳しい寒さをこらえる日々だ。そのせいか、すぐに眠くなる。体に力が入らない。
大相撲テレビ観戦9日目。今場所は見応えのある取組が多く喜ばしい。が、ついつい興奮してしまうせいで、疲れが出てきたのだろうか。
夕食は焼き魚と鍋。味は美味しいが、体の芯からエネルギーが湧いてこないようである。「肉を食べたい!」とふと思うのだった。

●ぬるぬるきのこ鍋

 

1月17日      

…と思っていたら、今日、お父さんが市場で牛肉を買ってきてくれていた。サーロインステーキ肉だ。10枚もある。
さっそく昼食に、にんにくと塩コショウで焼いた。調理中はフラフラの体だったのに、食べたとたんに力が湧いた。驚いた。
「こんな風の強い日に畑へ出るバカがいるか」というほどの寒風の吹きつける中、畑での作業も爽快だ。
夕食も牛肉。塩コショウをして、ガスレンジのグリルで焼き、大根おろしとポン酢醤油で食べた。脂が落ちるのですいすい食べることができる。
白鵬も美しく勝ち、とたんに元気になる。

●厚揚げのしょうがあんかけ

 

1月18日      

しつこいほどに「寒い」「寒い」と言ってはいるが、この冬はまだ風邪もひかないし熱も出していない。おととしの秋から飲んでいる漢方薬のお陰だろうか。ありがたいことだ。数年ぶりの元気な冬である。
「雪」の心配をしてくださるお便りやメールが来るが、ここは関東平野のはじまりで、雪も雨も降らないのである。風が強いので、乾燥が厳しい。そのせいか、地言葉もカラッとしているし、ここに暮らす人々の性分もカラッとしているように感じる。

 
 

いつもこんな晴れ渡った空

       

一月場所も国技館に行く機会に恵まれた。国技館で相撲を観るのははこれで3度目である。
館内に足を踏み入れると、いつもふわぁーっと体が暖かくなる。私をそうさせるのは、土俵の照明から発せられるオレンジ色の光、力士たちと観客から伝わる熱気、湿度、そして、なんといっても“匂い”であろう。匂いとは鬢付け油の甘ーい匂いである。

初めて国技館に行ったのは2000年の一月場所。館内に充満するこの匂いに魅了されてしまった。ちょうどその頃、私がアルバイトをしていた店に当時はまだ幕下だった力士がお客さんで通っていた。彼はいつもその甘ーい匂いを漂わせていた。ある時、鬢付け油はどこで買えるのか、と尋ねてみたが、はっきりとした回答は得られなかった。きっと相撲関係者でないと入手できないような希少なものなのだろうと思っていた。

が、今回、館内の売店をぐるーっと一周している時に(全ての店を回ったのは今回が初めてだった)それらしきものを発見した。
店員さんが「お相撲さんが使っているのと同じですよ」と言う。“おぉ、ここにあったのか!”と感激した。さらに「中身を嗅いでみてもいいですよ」と言う。フタを開け、鼻を近づけて嗅いでみた。すぐさまクラクラした。これだ!
あったのだ。国技館に売っていたのだ。憧れの鬢付け油が。

もちろん買ってきた。
家に帰ってから、時折フタを開けて匂いを嗅いでいる。深く吸い込むと、オレンジ色の光と熱気と湿気がよみがえり、ふわぁーっと体が暖かくなるのである。数々の印象に残る取組も見えてくるのである。
次回からテレビ観戦する際に、これを嗅いでみると臨場感が増すに違いない。

 
 

やっと巡り会えた

1月23日      

東京の実家に滞在中に母の作っていたポトフを食べた。寒さと飲みすぎで弱った体にとてもやさしい食べ物だった。普段、どうしても和風の料理を作ってしまう傾向があるので、ポトフの存在はすっかり忘れていた。
うちでも作ってみよう、とさっそく土鍋でたっぷり作ってみた。土鍋を食卓に置き、フタを開けると、見ただけで暖かくなる光景だ。そして「ポトフ」という名前がこれまた暖かそうでありがたみがある。食べると実際に暖まる。
実家とはいえ、よその家で食事に預かるというのは視野が広がっていいものだ。
実家では仕上げにドライトマトとオリーブ入りのナチュラルチーズを薄く切ったものと香草(シャンツァイ) をかけていてが、ここにはそんなハイカラなものはない。

●ポトフ

 

1月24日      

先週のサーロインステーキ肉も食べきらないうちに、お父さんがまたステーキ肉を買ってきた。今度は牛ヒレ肉だ。7枚もある。
私の働くS家の台所は寒く、お母さんの働く牛舎はそれとは比べものにならないほどにもっともっと寒い。体の冷えきった二人で「今日は冷えるねぇ」などと会話しながら、牛ヒレ肉のステーキを食べた。食べ終わってしばらくし、二人がほぼ同時に「あ、背中のあたりが急に暖まってきたね」と言った。顔を見合わせて笑った。

いつものように東京では画材を仕入れてきた。帰ってきてからすぐにでも制作に取りかかりたかったのだが、興味深い本を見つけてしまったので、この2日間は読書をしていた。深澤直人さんという工業デザイナーの書いた『デザインの輪郭』(TOTO出版) である。デザインと美術は違うものだが、“かたち”を造るという人間の在り方、立ち方、感じ方について、とても興味深いことが書いてある。
私が近ごろ漠然と思っている、“直接の自分のやりたい仕事ではないこと(楽しいことかもしれないし、むしろ嫌なことかもしれない)をちゃんとやる、ということにはとても大事ななにかがあるのではないかということに関わることにも触れられている。
昨年夢中になって読んだ、保坂和志さんの『小説の自由』(新潮社) もそうだったが、“これはこうだからこうですよ”という断定的な内容でないことが、かえってとても現実味を持って、身にしみるように伝わってくるのである。

近所の商店で出会ってしまい、つい買ってしまったこれが今晩のメインディシュだ。
●白子ポン酢

 

1月26日      

めずらしく夫が風邪をひいてしまった。用心のため、家の中でもマスクを着けることにした。顔が布に覆われるうっとうしさを軽減するため、マスクの裏に鬢付け油を少し塗ってみた。とても快適になった。

年の初めの新年会にて、料理上手で大酒呑みという頼もしい友人がサラッと作ってくれた“芹と豚肉の炒めもの”の目の覚めるような旨さを思い出し、我が家では鴨肉で作ってみることにした。そういえば、新選組筆頭局長の芹沢鴨という人は大酒呑みだったそうだ。

●芹と鴨の炒めもの

 

1月27日      

畜産農家であるS家に出入りしている業者さんから生ラーメンをもらった。20食もある。
このあたりの農業関係の人はやることが豪快である。
お父さんとお母さんはあまりラーメンを食べたがらないので、きっと夫と私の二人で食べることになるのだろう。
弟子や使用人や受験生がいないのが残念である。
ただラーメンとして食べるだけでは味気ないので、肉団子と白菜の鍋の仕上げに使ってみることにした。

●肉団子と白菜の鍋

 

1月28日      

隣町の農家から、またまたレタスをたくさんもらった。S家の牛たちの堆肥で育ったレタスだ。お父さんとお母さんはサラダを食べる習慣がないので、違った食べ方を考えた。茹でたレタスの食感とわかめの食感の合体がなんとも不思議な一品ができた。

●レタスとわかめのおひたし

この冬、我が町にも『TSUTAYA』ができた。本日はDVD『幕末太陽傳』を借り、晩酌時に鑑賞した。
約50年前に制作された、幕末の品川宿の遊郭を舞台にした映画だ。古い映画はセリフが聴き取りづらく困るものだが、見始めてすぐにそんなことは気にならなくなった。幕末の人々の暮らしぶり、肌合いをすぐそこに感じ、まるで自分もタイムスリップして幕末の品川宿に居るかのようになっていた。あっけらかんとした登場人物たち、小気味いいテンポ、ほどよいタイミングで出てくる芝居調のセリフまわし、生活の中にある音…それらが絶妙に絡みあう。活き活きした楽しい映画だった。
貸し出し期間は1週間。明日は夕食を完全なる和食にして、より一層、幕末の品川宿にどっぷり浸かってみよう。

●ポトフ

 

1月29日      

3月下旬の小品展のための準備を始めている。展示スペースや価格設定に決まりはあるが、そのうえで、頭も体も柔らかく、制作に取り組みたい。

昨年末から、制作を始めるときにCD『Chichipio』(Buenos Aires Session vol.1)をよく聴いている。「さあ、これから、あたらしく始めよう」という状態に気持ちよく響くのだ。実際にはどうだかわからないが、演奏者たちが“こうしよう”とも“こうしたい”ともなにも目指さずに音を出しているような不思議な感じが魅力だ。軽やかで白いような透明のような、なんでもない無な空気が漂っている。

今夜は徹底した和食で、幕末の品川宿にどっぷり浸かる。鬢付け油の匂いをときおり嗅ぎながら。

●厚揚とねぎのさっぱり鍋