父、母、夫、私の4人家族。
昼食は両親を交え4人での食事。 夕食は夫婦のみの食事である。
昼食は忙しい農作業の合間にサッと食べる、味には保守的な両親のことを思った料理。
夕食は夫婦でゆっくりと酒を呑みながら食べるので酒の肴でもある料理だ。
二つの台所を行き来し、二つの食事の傾向を行き来している。
 
 2006/4月
●色のついた料理の名前をクリックすると作り方のページに進みます    
 
   

 
 
小品展にいらしてくださった皆様、ありがとうございました
 
4月1日      

久しぶりにピザを作った。ピザ生地が発酵する様子は面白い。
材料をこねてから放置し、しばらく経ってボールを覗くと生地は驚くほど大きく膨らんでいる。まるで生きもののようなその姿を見るといとおしくなる。発酵した生地に触れると強く手に跳ね返ってくる感触があり、気持ちよい。甘いような優しい匂いがするのもたまらない魅力だ。
まるで赤ちゃんの肌のようである。
去年の個展の時、作品を見ていた友人が「うわっ、発酵してるよ…」と笑いながらつぶやいていたことを思い出した。あれは嬉しかった。
発酵は楽しい。

オーブンや電子レンジの無い我が家でも、ピザは焼けるのだ。

●フライパン・ピザ

 

4月2日      

キャンバス張りをした。サイズの違う木枠のタテとヨコを組み替えて張った。見慣れぬタテヨコ比のキャンバスが出来上がり、楽しくなってきた。
このキャンバスに楽しい作品が描けますように…と祈りながら、わくわくする気持ちで張った。合計11枚。明日はきっと筋肉痛だろう。

●ポテトサラダ

 

4月3日      

早朝から荒々しい風の音で目覚めてしまった。
春先のこの地では、風の強い日が多いのだが、今日ほどに風の強い日は珍しい。しかも日が暮れるまで一日中、荒れ狂ったように吹き続けていた。
右の画像、中央やや左の建物の向こうが砂に煙っているが見えるだろうか。この砂煙の中に我が家はある。「あの中へ帰ってゆくのか」と思うと気持ちがへこたれる。

 


奥の山は榛名山

 
風は進行方向から強く吹きつけてくる。
歩いてもなかなか前へ進まない。マルチ(農業に使う大きなビニール)が飛んでいる。顔に砂が当たって痛い。口の中は砂でジャリジャリだ。笑うしかない。

牛乳が苦手な私は日々ヨーグルトを食べるように心がけているのだが、つい食べ忘れてしまう。賞味期限の過ぎたヨーグルトはこのように活用する。

●鶏肉のヨーグルトソース焼き

4月4日      

外へ出てみると春がデンと居すわっているようだった。その中を自転車で走り抜けると「待ってました!」という気持ちになった。本物の春がやってきた。
いよいよ桜も咲き始めた。
畑ではつみ菜がぐんぐん育っている。ポキポキと摘みながら、あとで食べることを想像する。この時季ならではの味、わくわくする。

●菜の花の梅とろろかけ

 

   

この春はいつまでも空気が冷たいので、まだ3月の気分でいる。
しかしもう4月も下旬なのだ。

 

4月17日      

S家の裏の竹藪に筍の姿を見つけた。
「ここにもある!」「あっ、こっちにも!」
お母さんと二人、思った以上に生えているのを見つけては興奮する。
いつまでも寒いのでブロッコリーやつみ菜もまだ収穫される。ニラはここ数日でぐんと伸びてきた。
S家からの帰り道、チンゲン菜畑で働くご近所のおじさんに挨拶をしたら、「菜っぱ食べるか?」と、チンゲン菜をたくさん採ってくれた。自転車のカゴにさっき採ったばかりの筍を2本入れていたので、1本をお礼に渡した。

食に恵まれて嬉しい。見事な春の食卓となった。

●筍とつみ菜の煮びたし(参考●たけのことわかめの煮物
●筍の酢みそ和え

 

4月18日      

昨夜から肩が上がらない。いつものぎっくり肩とも筋肉痛とも違う、初めての感触だ。これがあの四十肩というものだろうか。まだ30代なのに…。
昨日の筍掘りとパネル10枚へのヤスリかけの影響だろう。
以前、年上の友人に「四十肩になったら3日間は意識して動かさないと、そのままずっと痛いままだよ」と教わったことを思い出し、痛みを我慢し、意識して動かしてみた。


うども姿を現した。

●うどの梅煮

 

4月19日      

今日になって、少しずつ肩が上がるようになってきた。友人のありがたい言葉を思い出してよかった。

●うどの皮のきんぴら

 

4月21日      

 

いつもS家へは自転車か自動車で通っているのだが、今日から歩いて通ってみることにした。
1か月ほど前からそうしている夫によると、歩いて通うようになってから脚のだるさが消え、体が軽くなり、腰の痛みも減ったというのだ。
東京では画廊から画廊へ、店から店へなど歩く機会が多いが、田舎にいると自動車に頼ってしまい、意外と歩かなくなるものだ。運動不足である。
…なんておおげさだ、早足で8分の距離なのである。そのくらい歩かないと…

今日は空気の澄んだ気持ちのよい日だった。
歩いている途中、道を横切って地面すれすれを飛ぶツバメの姿を見た。今年初めてだ。かっこよくて惚れ惚れした。あんなふうに飛んでみたいものだ。ゾクゾクするのだろうな。

 
 
       

あさりのそのまま蒸し
NHKの『きょうの料理』で高山なおみさんが作っていた『あさりのそのまま蒸し』作ってみた。あさりを土鍋に入れ、フタをして加熱する、ただそれだけ。塩も酒も入れないのだ。あさりの塩分だけでじゅうぶんに、いや、何かを加えて蒸したときよりもふくよかな味で極上に旨かった。→→4月の『きょうの料理』
番組の中で、料理を作る高山なおみさんが料理の音(この料理の場合、貝の開くカチ…カチ…という音)に耳を澄ませている姿が印象に残った。
私も鍋に耳を近づけて聴いてみた。土鍋の中で響く貝の音はいい音だ。
あさりを食べた後、土鍋に残ったあさりから出た旨みたっぷりの汁で土鍋ご飯を炊いた。これも感激の旨さだった。

 

4月24日      

ふきの葉が繁ってきた。
道沿いに繁ったふきの葉が風に吹かれてふわふわしている様子を、歩きながら見るのがとても好きだ。
ふきが漂っている。そのうちに大群で行進しだすんじゃないか、そんなふうに見えてくる。

●ふきの青煮

   

4月25日      

スーパーで“豚の耳の皮”を売っていた。この辺りでは珍しいことだ。
茹でてから、酢、醤油、にんにく、コチュジャン、すりゴマと和えた。旨い!

●ピーマンとちりめんじゃこの煮びたし

 

4月26日      

制作は3歩進んで2歩下がる。
今日は制作時間がたっぷり取れたが、描いて描いて描いて、消して消しての一日だった。

寒い冬の間枯れたかのようになっていた、我が家のハーブ畑のハーブがよみがえってきた。
繁ってきたフェンネルをさっそく使おう。

●スモークサーモンのポテトサラダ


チェコに住む友人が数種類ものスパイスを送ってくれた。ときおり届くこれらのスパイスは逸品である。まず香りが強い。それだけでなく、香りのきめが細かい。華やかで目の覚めるような香りだ。日本で売っているものとはまるで違う。使うたびに香水を嗅ぐように深く香りを吸い込んでは
楽しんでいる。とてもありがたい贈りものだ。
さっそく、緑・赤・白・黒のコショウの混ざったミックスペッパーをポテトサラダに使ってみた。色味も美しく、クラクラするほどよい香りだ。

 

4月27日      

昼食後、自転車で買い物へ出かけ、裏の竹藪で筍を掘り(7本も収穫)、筍を下茹でし、畑でつみ菜を採り、庭でふきを採り、道ばたで山椒の葉を摘み、我が家の畑にパセリの苗を植え…さすがに疲れた。でも心地よい疲労感だ。

●たけのこの木の芽和え
●たけのことふきの煮びたし
(参考●たけのこの煮もの●ふきの青煮

 

info→   
今からもう14年も前だが、私は美学校の【造形基礎】に通っていた。
美学校の【造形基礎】とはなんなのか、という展覧会が今開かれている。
会期は5月2日(火)まで。

そしてこのたび、公開体験授業が開かれる。

●4月30日(日)13:00-17:00
and Zone(アンドゾーン)
 東京都新宿区四谷4-28-4
  YKBエンサインビルB1
●03-3341-0849
http://www.andzone.com/


造形基礎とは何か。
それを知っていただくために、多彩なカリキュラムのひとつを体験していただくことにしました。
作品はあればあるほど面白い!
気軽に、ご参加ください。
※参加費は無料です。手ぶらでお越しください。
(andZone
のサイトから抜粋)

 
 
   

会場には「造形基礎とはなんぞや」というテーマの「チラシ」があります。
「持って帰れる作品」としての印刷物です。
チラシ(B1サイズ!)には文章、写真、作品などなどさまざまなものが盛り込まれているそうだ。
ちなみに、私が寄せたコメントは下記。

 
 
      「表現することは、もっと色々なことであっていいのです」
「ものを造ってゆくということは、わくわくする楽しいことなのです」
これは、鍋田先生の言葉だ。
1992年、私は造形基礎にいた。
週に一度の授業。週替わりでさまざまなやり方を試みる。
ある日の授業で『自分の耳を、耳を見ないで、耳を触る、それだけで描く』ということをした。
描くものを『見ないで、触る』。
今までにしたこともない体験だ。おもしろそうだ。
教室にいる10数人、みんなイーゼルに向かい、右手に木炭を握り、左腕を頭の後ろに回し、左手で右の耳を触っている。財津一郎みたいな格好になっている。
不思議だった。
見るということにフタをして、触ることに集中すると、おや、なんだが見えてくるのである。
うれしい感触だった。
こんなやり方もあるんだ! わくわくした。楽しかった。
私はその後も絵を描いている。
私の場合、描くときに、どうやら対象を見るだけでは心細いようで、対象を触ったり、時によっては食べたりして(それは舌と胃袋で触るということなのだ!)描いていた。
「触って描く人」と言われてきたが、はじまりはきっと、あの授業のわくわくだったのだ。
あれから14年が経っている。
最近では触ることにこだわらずに描きはじめている。

 

 
   

4月30日、美学校【造形基礎】の公開体験授業に参加してきた。
“耳”を描く。
自分の耳を、耳を見ないで、耳を触って描くというものだ。
午後1時から5時まで。イーゼルにB全サイズの大きな紙。木炭で描く。
木炭を持たない方の手ではずっと耳を触っている。こんなに耳を触り続けることは日常にはない。気持ちよいのだか気持ち悪いのだか…どちらかといえば気持ち悪さの方が勝っていたか…おかしな感覚になった。
集まったのは20人ばかり。しばらくの間、個々それぞれに描いては休憩し、描いては休憩し、という時間が過ぎていた。
が、3時半頃だろうか、誰かの集中が誰かに伝わっていったかのように、集中の空気が大きく広がっていったのを感じた。会場はシーンと静まりかえっているのだが、ビリビリするような熱気が充満していた。
興奮した。めったに感じることのできない、このうえない気持ちよさだった。

私はこのようにして“耳”を描くのは2度目だ。前回は14年前である。
今回は、長年絵を描いているとどうしてもしてしまいがちな“絵づくり”をしないように心がけて描いてみた。メガネをかけていると耳を触りづらいのでメガネを外し、耳を触ることに集中し、描いている画面をあまり見ないようにして描いてみた。
一人でキャンバスに向かっているときにはとても描けないような、思いもよらない作品ができていた。楽しかった。