父、母、夫、私の4人家族。
昼食は両親を交え4人での食事。 夕食は夫婦のみの食事である。
昼食は忙しい農作業の合間にサッと食べる、味には保守的な両親のことを思った料理。
夕食は夫婦でゆっくりと酒を呑みながら食べるので酒の肴でもある料理だ。
二つの台所を行き来し、二つの食事の傾向を行き来している。
 
 2006/6月
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太陽の姿の見えないどんよりとした日が続いている。気温も低く、いったい今がいつなのだかわからなくなる。
6月なのである。実感がない。
今にも雨の降りそうな曇りの日には、力が湧かず眠くて効率が悪い、そんな日が多い。

ずいぶんと更新を怠ってしまった。

秋に個展をする鎌倉の画廊で6月下旬から開かれる常設展に小品を出すことになった。せっかくならば新作を出品したいと思い、せっせと制作していた。
ふと目の前に“しめきり”が現れるのはよいことだ。こういう機会がやって来たことに感謝である。

 

6月8日      

3月に亡くなった義理の伯母の衣服の形見分けをした。義理の母、義理の姉、私の3人であれやこれや言いながら服をあてがってみる。とはいえ、亡くなった伯母は享年82歳、私が着るようなものは少ない。それでも、ブラウス1枚、ウールのスカート1枚、そして伯母の編んだカーディガンを1枚いただいてきた。
カーディガンに袖を通してみると、肘の所に干からびたご飯粒が数粒はりついていた。伯母さんに再び出会えたような気持ちになった。

●レバにら炒め

 

6月9日      

明け方に強い雨の音で目が覚める。たっぷり降っている音だ。関東地方は今日から梅雨入りだそうだ。

制作が佳境に入ってきたうえに夫が留守なので、夕食は手っ取り早い一皿ものにした。
あっという間に作った。そしてあっという間に食べ終えてしまった。こんな時にはいつも向田邦子さんの著書にあった『一人暮らし(一人の食事)を長く続けていると食べる所作が汚くなってしまう…』という記述を思い出す。思い出しながらも、せかせかと食べてしまう。
食事作りと食事に15分もかからなかった。

ゆでたうどんの水気を切って平皿にのせ→にんにくを利かせて炒めた挽肉をのせ薬味(ねぎ、大葉、みょうが)をのせ生卵の黄身をのせつゆをかける

 

   

  6月に入ってから、S家のまわりの乾ききっていた地面に徐々に水が張られてゆき、いつの間にか田植えもすっかり終わっている。

苗がまだ小さい頃の水田は鏡のようにまわりの景色を映す。水があると風を呼ぶのだろうか、田んぼの近くを歩くと気持ちよい。
この時季ならではの、とても好きな光景だ。

夜になると、大勢のカエルの鳴き声があたり一面に響く。地面から発しているはずなのに、まるで空から降っているように感じる神秘的な音である。
 

6月13日      

食べ物の好き嫌いはほとんど無いのだが、しいていえば甘酢漬けのらっきょうが苦手だ。ところが塩らっきょうは毎日食べたくなるほど好きなのである。
塩らっきょうは残念なことに店ではあまり売っていない。今年は塩らっきょうを自分で漬けてみることにした。
砂付きのらっきょうを洗い、根を切り落とし、薄皮を剥いていると、らっきょうの旨そうな香りが漂ってくる。むしょうにビールを飲みたくなった。まだ昼間だったのでホッピーだけを飲んで我慢した。

●ゆでキャベツの梅肉和え

 

   

目の前に“しめきり”が現れると集中力が増す。
近頃は描いているときに体の中心がきゅーっと絞られるような気持ちよさがやってくる。そういう状態がやってくるようになると、物理的にはキャンバスと絵の具でしかない作品に、生命力が宿ってきたように感じるのだ。

 

6月19日      

鎌倉の画廊へ新作2点を届けに行った。久しぶりの晴れ空で気温も高く、緑が眩しい。 一仕事を終えてさっぱりした気分だ。


 ●竹屋画廊 常設展
  6/22〜7/4(水曜日休み)
  鎌倉市雪ノ下1-5-38(小町通り沿い)
  0467-24-6387

  夏期休暇の後、9月にも引きつづき常設展があるそうです。

 

6月20日      

NHKの連続テレビ小説『純情きらり』、舞台は昭和14年になり、いよいよ思想統制の色が濃くなってきた。間違っているんじゃないかと思うことを間違っているんじゃないかと言うことの出来ない世の中、いいものをいいと言えない世の中、個人が個人として居られない世の中、嫌だなぁ。見ているうちに悲しくなってしまって、気づいたら家族の前で泣いてしまった。

寝不足と飲み過ぎの日が続き、体が重く感じていたので、車で15分ほどの伊香保温泉に浸かりに行った。近くにいくつも温泉がありながら、温泉に浸かるのは久しぶりである。
帰宅後、軽くなった体にビールを注ぎ入れる。そして昼寝。夢も見ずに泥のように眠った。こんな時間の過ごし方は久しぶりだ。

●新たまねぎとわかめの酢のもの

 

6月21日      

今日は夏至だが、あいにくの曇り空だ。残念である。夏至の日や冬至の日に太陽の沈む位置を確認するのが何故だか好きなのだ。

●にら玉(しいたけ入り)

 

6月22日      

「絵を描きたい!」
数日ばかり制作できなかったので、朝早くにそんな高ぶった気持ちで目覚めてしまった。今月は新作を仕上げた。たった2点だが、作品を完成させて発表すると「さあ次だ!」とがぜん意欲が湧くものだ。
が、S家の畑からも採れるようになったらっきょうを漬けたり、生長著しい庭の雑草をむしっているうちに一日が終わってしまった。

●にんじんのタラコ炒め

 

6月23日      

S家の裏の道の雑草をむしり、落ち葉を掃いた。いつもは竹箒ぼうきで掃くのだが、今日は義母の薦めもあり、熊手を使ってみた。とても簡単に作業は済んだが、仕上がりがどうしても雑になる。納得がいかなかったので、結局、最後に竹ぼうきを使って美しく仕上げた。気持ちよい仕上がりだ。
気温が高くなってくると創作意欲が増すが、草むしりや野菜の収穫などの作業も増えるのだ。

 
 
畑のじゃが芋を少しずつ収穫している。
スコップで掘りおこし、湿った黒い土の中から姿を現すじゃが芋は、金色に光っているように見える。宝石を発掘した気分だ。


今年のじゃが芋の品種は“きたあかり”だ。
男爵よりも黄色みがあり、しっかりしたじゃが芋の味がある。火の通りも早いような気がする。

●ポテトサラダ
 

6月24日      

久しぶりの爽やかな晴天だ。洗濯をして、たくさんの洗濯物をバランスよく干して、それが太陽の下で風に揺れている姿を見るのはこのうえなく気持ちいい。そして、カラッと乾けば喜びがやってくる。

今週の連続テレビ小説『純情きらり』にはずいぶん涙した。これは悲しみだけでなく、怒りの涙なのだと思う。物語中ではこれから戦争に向かってゆく時だ。そんな時のお上の押しつけが、人の暮らしを押さえ込んでゆく。そして、悲しい思いをすることにつながる。人は戦争をするために生まれてきたんじゃないんだ。人生で悲しい思いをすることはあるものだが、国の事情でそんな目に遭うのは本当に嫌だ。口惜しいではないか。
なんて感じながら、宮崎あおいさんや寺島しのぶさんの素晴らしい演技に「こんなものをご飯を食べながら連日見られるなんて贅沢だなぁ」とうっとりする。

一ヶ月ほど前に食べたタイ料理の“青いパパイヤのサラダ(ソムタム)”のおいしさがずっと印象に残っている。家でも作ってみたいと思っていたが、青いパパイヤが手に入らない。ふと思いつき、もやしを使ってそれらしきものを作ってみた。

●もやしのソムタム風サラダ

 

6月25日      

今夜の晩酌は、泉邦宏さんの新作CD『Hu He Ha』を聴きながら過ごした。とても楽しく気持ちよい音だ。昼になったり、夜になったり、空になったり、平原になったり… 聴いている部屋ごとどこか気持ちのよい場所に出かけているような気分になる。おかげで酒がくいくい進み、「もう一回」「もう一回」と、3回くらい繰り返し聴き、よく食べよく呑み夜は更けた。

入れる具の少なくてすむポテトサラダを思いついた。

●かんたんポテトサラダ

 

6月26日      

S家の畑では例年よりも早く立派なきゅうりが採れるようになった。きゅうりを持った手を跳ね返すような張りがあり、つやつやに輝いている。
S家の畑のきゅうりは本当に旨い。甘味があってちゃんときゅうりの味がする。「都会のきゅうりはきゅうりの形はしているけど味がない」とよく夫と話している。東京に住んでいた頃は、きゅうりを梅肉と和えたり、ザーサイと和えたり、キムチ味に調理していたけれども、S家のきゅうりはそんなことをする気が起きない。塩もみする程度がいちばんきゅうりの味が活きるのだ。

●豚肉の肉じゃが

 

6月28日      



近所の田んぼに鴨がいた


朝から気温が高い。絵を描く部屋に敷いていたホットカーペットを片づけた。
畳の表面積が増え、見た目も足の裏も気持ちよい。昨日までより少し自由になった気分だ。


●冷や奴(梅ねぎ)


 

6月30日      

今日の連続テレビ小説『純情きらり』は見ていて身震いがした。箸を持つ手は止まり、タオルを顔に当てて15分を過ごした。普段はビデオに録ったものを何回か繰り返して見るのだが、あまりに悲しく、重みがあり、もう一度見ることができなかった。でも、素晴らしかったのでいつかまた見よう。

●スモークサーモンのポテトサラダ