映画『男はつらいよ』全48作を見終えた。
『寅さん』を初めて見たのが昨年の初夏だった。

48作も続いているがゆえに「『男はつらいよ』なんてどうせマンネリだよ」と見もせずに決め込んでいたのだが、まさかこんなにも魅力があるとは…
マンネリだよと決め込んでいたことをいたく反省し、知らずに過ごしていた数十年を後悔した。

映画『男はつらいよ』が始まったのは1969年。私が2歳のときだ。
渥美清は生きていれば今年76歳、うちの“おっかあ”(義母)と同じ年。
そんな“おっかあ”は昔から『寅』を好きで、テレビ放送のビデオ録画を我々夫婦に頼んでいた。おかげで『寅』と出会えたのだ。なんとありがたいことか。

で、私のとくに好きな作品と『寅』の魅力について書いてみた。

 
 
   

第1作「男はつらいよ」 マドンナ:光本幸子

さくら(倍賞千恵子)の美しさに感激し、ポロッと目から水が… 人は美しいものを見ると涙腺が緩むものなんだ。

映画版第1作、20年ぶりに柴又へ帰ってきた寅は、ヒリヒリしている。作品にも緊張感がある。

さくらのお見合いでの寅の態度に「イヤだよぉ」と怒りつつ大笑いし、さくらと博の恋や、屋形船の中での
寅と博のやりとりにワクワクと心ときめき、さくらと博の結婚式に感涙。さくらと博はめでたしめでたしである。一方、失恋した寅はあまりにみじめで心が痛む。
… などなど、1本にこんなに見どころがあるのか!というほど中身が濃い。

♪殺したいほ〜ど〜惚れてはいたが〜 指も触れずに〜別れたぜ〜、
と寅が劇中で口ずさむ歌[喧嘩辰(北島三郎)] が印象に残り、後日CDを買ってみたが、サブちゃんが歌うとあまりに人間臭く、“殺したいほ〜ど〜”という歌詞が重たい。渥美清の歌声はアッケラカンとした軽みがあってよかったのだけれど。

 
 
   

第2作「続・男はつらいよ」 マドンナ:佐藤オリエ

寅が自分を捨てた産みの親(ミヤコ蝶々)と会う。
『寅』の魅力のひとつは、渥美清をはじめとする出演者のテンポよいセリフの美しさだ。そこには活き活きとした生命力が宿っている。
とくにミヤコ蝶々とのかけ合いには「おっ、芸人!」と絶賛し、拍手してしまう迫力がある。

 
 
   

第6作「純情篇」 マドンナ:若尾文子

マドンナとの交流とはまるで関係のない序盤の場面だが、寅が旅先で出会った娘(宮本信子)と父(森繁久彌)の存在感がいい。
ここまでで、もう1本の映画を観てしまったような充実感がある。

見どころは博の(働くとらやの裏の印刷工場からの)独立騒ぎ。寅を巻き込んだこのいきさつが滑稽で楽しい。
そして、一件落着した後、江戸川を小〜〜さな船で川下りするシーンが牧歌的で素敵だ。
あんな川下りしてみたいね〜。歌うたいながら。

 
 
   

第10作「寅次郎夢枕」 マドンナ:八千草薫

これはとにかくしあわせな感じが満ち溢れていて好きだ。
マドンナのお千代坊(八千草薫)とさくらを相手に、調子に乗って楽しそうにしている寅を見ているのは楽しいものだ。
『寅』の魅力のもうひとつは、
すぐに調子に乗る寅だ。これを見ていると嬉しくなっちゃって、活気が出てくるのだ。

悲しんでいるお千代坊をなぐさめようと寅が歌をいくつか歌うシーンに、思いやりと滑稽さが混ざり合う。最後に歌う「♪チイチイパッパ、チイパッパ、パッ、パッ、パ、パ、パ… 」で滑稽さとせつなさが頂点に達する。私の好きなシーンだ。どうも、笑わされると泣いちゃうのだな。


「私、寅さんといると、生きてる〜って感じがするのよ」と言うお千代坊。私も調子に乗ってる寅を見てると生きてる〜って感じがするのよ。

 
 
   

第15作「寅次郎相合い傘」 マドンナ:浅丘ルリ子

『寅』の魅力のひとつである、渥美清をはじめとする出演者のテンポよいセリフ。それは“とらや”の面々との会話に際立つ。それは活気に溢れ、美しい。まるで音楽を聴いているようでもある。
そんな“とらや”の面々とメロンの切り分け方で大喧嘩する。いい大人が真剣に争っている内容のくだらなさと、ポンポンポンとはずむセリフが素晴らしい。

リリー(浅丘ルリ子)はマドンナとして4回出演している。彼女は寅の悪いところを充分に知っているうえに、寅に対してキッパリと物事を言い放つ。
的確でかっこよいので、スカッとする一方、観ている私も自分の弱さを突かれたようにドキリと胸が痛くなる。
寅にとってはありがたい存在であるリリーだが、最後は別々の道へ… 意地を張っているような二人のやりとりに「ばか!」と思いつつも涙が溢れる。

 
 
   

第17作「寅次郎夕焼け小焼け」 マドンナ:太地喜和子

太地喜和子がかっこいい。軽妙なキレのよさ。若くして亡くなってしまったことが残念でならない。
数々のことがあり、最後の最後、「でも私、譲らへん」ってセリフのキリッとした美しさ。不思議なことに、あんなセリフひとつに涙が出るのであった。

 
 
   

第28作「寅次郎紙風船」 マドンナ:音無美紀子

『寅』の魅力のもうひとつは、絵の美さだ。町並み、山里、駅、港、神社、歓楽街、旅館、店先、住宅… など私好みの、ということを越えて、私が見たかった風景が美しく存在しているのだ。

マドンナではないが、家出娘の岸本加世子(若い!)もはつらつとしていて魅力的。私の好きな小沢昭一も死にそうなテキ屋役で出ている。

私は“とらや”のおばちゃん(三崎千恵子)が大好きだ。ふくよかな体型は、見ているだけでホッと安らぐ。夏に汗をにじませ、かき氷を作っている光景はとても力強くセクシーだ。
笑ったり、泣いたり、気を揉んだり、ごはん作ったり、掃除したりと大忙しなおばちゃんに、生活の生命力を強く感じる。若い青年を見て「いい男だねぇ」なんて言ったり、優しくされて浮き浮きしているところはチャーミングでいとおしい。
この作品では「あの人(マドンナ)の泣き声は笛の音で、おばちゃんの泣き声はチャルメラだぁ」と寅にからかわれ、勢いよく泣いてしまう。おばちゃんの魅力が炸裂する瞬間だ。

 
 
   

第29作「寅次郎あじさいの恋」 マドンナ:いしだあゆみ

好きになった、だからといって、おつきあいしたり結婚したりするということではないような、“どうにもならない”ことが人にはあると思う。そんな“どうにもならなさ”を描き過ぎることなく描いている。描き過ぎることがないゆえに、見ている者の心にしみるのだ。
せっかくのデートだというのに、結局なにも話すこともせず帰ってきた二人(甥のミツオも連れて行ってしまったので本当は三人)、「おじさん、電車の中で涙こぼしてたよ」というミツオのセリフに号泣。(ここに寅が泣いているシーンが無いところが、いいんだよね)
寅とマドンナの“どうにもならない”関係の表現も『寅』の魅力である。

この『寅』は私が生まれて初めて見た『寅』だ。先代の片岡仁左衛門が出演していると知り、それを見たくて見たのがきっかけだ。『寅』にはこんな魅力があったのだ。と感銘した。
この映画が封切られたのは私が高校生の頃。クラスには盆と正月には家族揃って『寅』を見に行くのが恒例だ、という友人もいた。
友人は『寅』の話をよくしていたけれど、その頃はピンとこなかった。
36歳にしてようやく出会い、夢中になっている。いや、36歳だからこそ心にしみたのかもしれないぞ。

 
 
   

第31作「旅と女と寅次郎」 マドンナ:都はるみ

映画の冒頭には旅先で居眠りしている寅が見る「夢のシーン」がある。おとぎ話だの時代劇だの洋ものだのやりたい放題。
この作品の夢のシーンは時代劇だ。そのうえ、見慣れた歌舞伎座らしき舞台上でのお芝居の様式をとっている。とにかくふざけているのだけれど、歌舞伎好きの私は大興奮し、初めて夢のシーンで涙が出た。

都はるみ演ずる京はるみという大物演歌スターが仕事から逃げ出し、たまたま居合わせた寅と旅をする、まるで『ローマの休日』のような話。筋書きを先に知ってしまった私は、そんな内容にあまり期待はしていなかったのだが、ところがどっこいであった。
仕事から逃げ出したはるみも、そんなはるみを気遣う寅も、ちゃんとそこに居るという感触があったのだ。

リアリティを表現するのには“そうそう、そいうことあるよね”ということを描くのではなく、そんなことから離れた何かを描くことなのだ、と改めて感じさせられた。
ありえないことを見せながら、実感を感じさせる、という表現に出会うと、人の心は揺さぶられるのではないか。

 
 
   

第32作「口笛を吹く寅次郎」 マドンナ:竹下景子

シリーズの中盤はしみじみとした味わいの漂う『寅』だが、この作品は初期の『寅』に際立っていた“テンポの良さ”“コメディ色”が再び色濃くある作品だ。
寅がニセ坊主になるというだけで滑稽なのに、その寺に法事のために訪れた何も知らないさくら、博、ミツオを驚かせる、というのがなんとも楽しい。
また、寅が15歳の時に初めての家出をした際のエピソードを語るところのテンポと口跡のよさは、耳と心をわくわくさせる。

寅の恋が成就しないというのが『男はつらいよ』の常だが、それでもマドンナが寅に好意を寄せている作品が私は好きだ。

 
 
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そんな『男はつらいよ』もシリーズの終盤になると、魅力であった渥美清の張りのある声が彼の老化と共にかすれて、弱々しくなっている。
同じく老いてきたタコ社長と若い頃のように喧嘩をするシーンは痛々しいほどだ。
甥のミツオを主人公にしたゴクミシリーズ(後藤久美子をマドンナにしたもの)は、登場人物のあり方にツギハギ感があるうえに、説明的で、『寅』の味わいが薄れている。 ミツオのナレーションが入るのにも大きな違和感がある。(ミツオは純くんではないのだから…)
また、へんな挿入歌が流れてくるのも、薄っぺらい感じで見ていて気恥ずかしくなる。まあ1990年前後というのはそんな薄っぺらで気恥ずかしい時代だったのかもしれない。いや、私の1990年前後が薄っぺらで気恥ずかしいものだっただけか。
確かに、このあたりの作品だけを観たのであれば、味わいの薄さゆえに「マンネリだよ」と感じてしまうのかもしれない。
愛しの『寅』であるがゆえに、そんなケチをつけてもみるが、シリーズ全体を見渡すと、一作一作にそれぞれの味わいがある。
 
   

『男はつらいよ』に魅了された我々夫婦は、DVDを全編揃えることを決意し、これまでに25本集め、晩酌時にたびたび観ている。
『男はつらいよ』に漂うのどかで豊かな空気を味わい、時には
大笑いし、時には不覚にも涙を流したりしている。
そうして観ているうちに活気が出て、爽快で楽しい気分になるのだ。

「思い起こせば恥ずかしきことの数々…」
毎回最後の場面で、旅先の寅から“とらや”に届く便りに書かれた、この言葉が読み上げられる。
思い起こせば恥ずかしきことの数々…
、私にもそんなことがたくさんあるなぁ、などと思い起こしながら画面の『終』の字を眺めるのである。
             

 
 
   

〈終〉