映画『男はつらいよ』全48作を見終えた。 |
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第1作「男はつらいよ」 マドンナ:光本幸子 |
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第2作「続・男はつらいよ」 マドンナ:佐藤オリエ |
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第6作「純情篇」 マドンナ:若尾文子 |
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第10作「寅次郎夢枕」 マドンナ:八千草薫 これはとにかくしあわせな感じが満ち溢れていて好きだ。 |
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第15作「寅次郎相合い傘」 マドンナ:浅丘ルリ子 『寅』の魅力のひとつである、渥美清をはじめとする出演者のテンポよいセリフ。それは“とらや”の面々との会話に際立つ。それは活気に溢れ、美しい。まるで音楽を聴いているようでもある。 |
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第17作「寅次郎夕焼け小焼け」 マドンナ:太地喜和子 太地喜和子がかっこいい。軽妙なキレのよさ。若くして亡くなってしまったことが残念でならない。 |
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第28作「寅次郎紙風船」 マドンナ:音無美紀子 『寅』の魅力のもうひとつは、絵の美さだ。町並み、山里、駅、港、神社、歓楽街、旅館、店先、住宅… など私好みの、ということを越えて、私が見たかった風景が美しく存在しているのだ。 マドンナではないが、家出娘の岸本加世子(若い!)もはつらつとしていて魅力的。私の好きな小沢昭一も死にそうなテキ屋役で出ている。 |
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第29作「寅次郎あじさいの恋」 マドンナ:いしだあゆみ 好きになった、だからといって、おつきあいしたり結婚したりするということではないような、“どうにもならない”ことが人にはあると思う。そんな“どうにもならなさ”を描き過ぎることなく描いている。描き過ぎることがないゆえに、見ている者の心にしみるのだ。 |
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第31作「旅と女と寅次郎」 マドンナ:都はるみ 映画の冒頭には旅先で居眠りしている寅が見る「夢のシーン」がある。おとぎ話だの時代劇だの洋ものだのやりたい放題。 都はるみ演ずる京はるみという大物演歌スターが仕事から逃げ出し、たまたま居合わせた寅と旅をする、まるで『ローマの休日』のような話。筋書きを先に知ってしまった私は、そんな内容にあまり期待はしていなかったのだが、ところがどっこいであった。 |
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第32作「口笛を吹く寅次郎」 マドンナ:竹下景子 シリーズの中盤はしみじみとした味わいの漂う『寅』だが、この作品は初期の『寅』に際立っていた“テンポの良さ”“コメディ色”が再び色濃くある作品だ。 |
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そんな『男はつらいよ』もシリーズの終盤になると、魅力であった渥美清の張りのある声が彼の老化と共にかすれて、弱々しくなっている。 同じく老いてきたタコ社長と若い頃のように喧嘩をするシーンは痛々しいほどだ。 甥のミツオを主人公にしたゴクミシリーズ(後藤久美子をマドンナにしたもの)は、登場人物のあり方にツギハギ感があるうえに、説明的で、『寅』の味わいが薄れている。 ミツオのナレーションが入るのにも大きな違和感がある。(ミツオは純くんではないのだから…) また、へんな挿入歌が流れてくるのも、薄っぺらい感じで見ていて気恥ずかしくなる。まあ1990年前後というのはそんな薄っぺらで気恥ずかしい時代だったのかもしれない。いや、私の1990年前後が薄っぺらで気恥ずかしいものだっただけか。 確かに、このあたりの作品だけを観たのであれば、味わいの薄さゆえに「マンネリだよ」と感じてしまうのかもしれない。 愛しの『寅』であるがゆえに、そんなケチをつけてもみるが、シリーズ全体を見渡すと、一作一作にそれぞれの味わいがある。 |
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『男はつらいよ』に魅了された我々夫婦は、DVDを全編揃えることを決意し、これまでに25本集め、晩酌時にたびたび観ている。 |
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〈終〉 |
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