2001年12月、BSデジタル・BSC301チャンネル「アートウォーキング・mini」という番組に取り上げられました。
その内容をここに紹介します。

 
 
キャンバスに油絵の具で、モチーフを「触りながら」描いています。
モチーフは花、植物、くだもの、野菜、食べ物です。 食べられるものは、 食べながら描くこともあります。
なぜ、「触りながら」描くようになったのでしょう。
料理が好なのですが、料理をする時は、手で実際に食材に触れていきます。その手応えが「気持ちいいなぁ」と感じて、関心をもったのが始まりでしょうか。
そして、私の「目の悪さ」です。 乱視と弱視で、ものを見るのに、少し時間がかかって「たよりない」のです。 人は、物を見るのに視力だけを使うのではなくて、感覚や経験や記憶を総動員して見るんじゃないでしょうか。 私は視力が弱点なので、物を「触ってみる」ことによって、視力の「たよりなさ」を補っているのじゃないかと思っています。
 
 
触って描いているので「モチーフと自分の関係」というのも描かれているのではないかと思います。
目だけでなく、肌でも感じているのでしょう。
実際のモチーフを出発点として「触っていると伝わってくるもの」をまた「新たなかたち」に造り直して、描いていくのです。
黄色を中心とした色を使っていますが、「かたち」を追求するというか楽しむというか、かたちと格闘するのには、この色合いを使うのがいちばんやりやすいのです。 いちばん「なんでもない色合い」のように感じます。たとえば、赤や青や緑なんかは、色だけでなにか文学的な意味合いをとても強く持っているように私には感じるので、「かたちの追求」ということをするのにはやりにくいのです。
「モチーフと自分の関係」も描かれていると言いましが、そんなこともこの色合いを使う原因かもしれません。
 
 
2001年の春に、田舎へ引っ越したのですが、まあ、新鮮なせいでしょう、どうしても「風景」に目を奪われてしまいます。日々影響されているので、「ここは正直に風景を表現してみよう」と思いました。
そこで、さあ、大変なのが、風景は「触ること」ができないのです。今までと、描き方が違ってくるので、戸惑ってしまいました。 ものすごく「たよりない」ので、風景のひとつである野菜を手に持って描いてみることにしました。ちょうど、畑になっていた、茄子を手にしてみました。
描きながら、手に持った茄子の「重み」が、私の「たよりなさ」をかなり支えてくれていることに気づきました。
今まで、何かを「触りながら」描いていたのは、この「重み」が必要だったせいなのではないかと、気づいたわけです。
 
BGM : Bengt Berger [Bitter Funeral Beer]