Fiske's Note

フィスクのノート(訳:はっぴぃえんど)

 

 シャドウ・アイランドへの私の関心は、私がFBIの713局で働いていた頃に遡る。局長であるクリストファー・ラムは、その島で産まれた若き人類学教授オーベッド・モートンの調査を私に命じた。オーベッド・モートン、島、アメリカ原住民アブカニス、そして様々なドラマを産んだ数々の出来事、それらは全て、暗い秘密にいくばくかの関連を持っているように思われた。713局は、合衆国領域内で活動している、あるいは活動の懸念される共産主義者の少集団やその支持者達の観察、抑圧、そして撲滅を公式に命じられていた。しかし私はすぐに理解した、クリストファー・ラムは…いわば'より個人的な'考えを局の任務に持ち込んでいたことを。謎に満ちた巧みな存在のラムは、オカルト、超常現象、そして魔術にほどんど取り憑かれているように思われ、私は彼の真の目的を理解できたことがあったとは言えない。しかし、彼に送られた報告―――いくつかは私のデスクを通して来た―――は、共産主義者達の破壊活動家―――最終的にはさほど害はないと証明された―――の活動に関するものよりも、各地の悪魔主義者の集団やその生贄、さらにはヴードゥー魔力に関するものがはるかに多かった。
 713局自体が、この謎の雰囲気を増長しているように思われた。我々はお互いに引き離された。捜査官同士の接触は次第に希薄になっていった。しかし、ラムの自由になる(使える)手段は底なしであるようだった。非常に高位の者の助力なしに、そのような作戦の一掃を成し得るとは、私には信じ難い。私が局で過ごした5年の間、我々の取り上げた事件の数と多様性は増加を続ける一方だった。1978年、私が引退する最後の6ヶ月の間に、ラムは私にオーベッド・モートンの報告を書くよう命じた。その男は興味を刺激するようなものを持っていた。

 ボストン上流社会で最も強い勢力を持つ家系の一つの末裔であるモートンは、マサチューセッツで最も若い教授の一人であった。24歳の時、彼は輝かしい博士論文を書き上げた。アブカニス種族に関する彼の研究は、その明快さと思慮深さにおいて傑出している。しかし間もなく、彼の学術的な働きは、彼の目的を蝕む個人的な困難の影響を受けてしまったようだった。受け持つクラスの一つで、彼は、祖父のジェレミー・モートンがシャドウ・アイランド―――19世紀初頭からモートン家が所有している―――で行った途轍もない人類学上の発見を、生徒とともに知った。数年後、興味半分、心配半分の同僚達で満杯の参加者達に対して、彼は、島のトンネル系で見つけた護符の神秘的特性を実証した。彼は、その護符は、持ち主に対して、その人の人生における出来事を正確かつ鮮明な記憶として保存することを可能にするのだ、と説明した。彼は何度も「暗黒の世界」を引き合いに出した。彼の言を信じるならば、それは、一種の地球上の地獄で、現代人に訪れる全ての邪悪の起源なのだ。大学におけるここ数年の彼の全ての仕事は、樹皮の欠片にある太古のシンボルの翻訳に捧げられた。
 これらは全て、私とラムの間の激しい論争の原因となった。私は、局の命令に従ってこのオーベッド・モートンとシャドウ・アイランドの動向を観察するのに失敗したのだ。ラムは即座に私の引退を要求し、奇妙に厳格な極秘の契約書への署名を強要された。引き続いて語られた人を見下したような言葉には、助言と言うよりは脅迫に近いものが多く含まれていた。
 これがきっかけで、私は自分でラムのことを少々調査することになった。少なくとも一つ言えることは、彼は証拠を隠滅していると言うことだ。

 クリストファー・ラムは、1938年、ハンガリーのKassaで産まれた。1946年、父が戦犯として銃殺されたとき、彼の家族は借り物の名前を持って合衆国に移住した。
 父の旧友の多くを含む強力なネットワークのお陰で、彼は共産主義への対抗に特化した準政府組織の一員として出世した。1971年、彼は機密度の高い713局の局長になった。局は多くの危険な作戦に巻き込まれた―――"黒い作戦"スタッフはアメリカ領域内だけでなく、多くの"友好"国に存在した。超国家主義者の戦闘員達を個人的な護衛として従えているラムは、その階級にふさわしい身分となった。彼は手の届かない存在だった。
 ベルリンの壁の崩壊後に、713局の閉鎖を要求した連邦議会議員達は諦めてしまったようだった。彼らや彼らの家族に対して圧力がかけられたという噂である。ラムは左翼活動家の特攻の餌食となり、頸部の麻痺を患った。
これは仮説でしかないが、私には、ラムとオーベッド・モートンは、その億万長者が会合で使っていた石版について連絡を取り合っていたと思われる。モートンはこの石版からいつの日か暗闇が地球上を歩くであろうという一種の黙示録を連想させられた。疑いもなく、ラムは自身の力を増す新たな機会を窺っていたのだ。

 今となっては、私には護符が一つあるだけだ。私はこれの働きや重要性について何も知らない。

 

■2001.8.22■