秘曲 One Of These Days

~ 歌詞と映像の分析 ~

2011年頃だったか、松田聖子が米国音楽界の大御所クインシー・ジョーンズと組んでジャズ・アルバムを計画中という噂が流れた。結局それは噂のまま時が流れたのだが、数年後に突然ネットに "One Of These Days" というタイトルの全編英語の映像が出現した。しかも、その映像にはクインシー・ジョーンズがプロデュースというだけでなく、音楽はデューク・エリントンだとクレジットされていて、映像ではエリントンのピアノに合わせて松田聖子が歌うという驚くべき演出がなされていた。この映像の出現に対して、聖子ファンのあいだで「これはなんだ!」と大きな話題になった。その後、この映像を制作した人物が、この作品が公開される可能性は無くなったと告白しているのが分かって、どうやらこの映像は噂していたクインシーとのジャズ・プロジェクトから生まれたが、何らかの理由で正式発売できなくなったものだと推測されるようになった。そして、この作品が誰にも知られず埋もれてしまうことを危惧した映像製作者がひそかに流出させたのではないかと言われるようになった。

この作品は松田聖子の本格ジャズ作品として初めて出現したものであり、松田聖子のジャズについての可能性を大いに予感させるものだった。しかし、"One Of These Days"という曲名は初めて目にするタイトルであり、そもそもデューク・エリントンにこんな作品があったのかさえ不明で、英語詞の内容含めて謎に包まれたままだった。その謎がある程度解明されたのは、2016年の暮れから2017年初頭にかけて、Google+のコミュニティ「松田聖子FunkLove」及びその前の「Seiko's World Blue Heaven」でのことであった。私も、歌詞と映像の分析で調査に協力したのだが、Google+のサービスが終了することとなったため、ここに私がGoogle+に投稿した内容を転載し保存しておくことにした。いつの時か、この秘曲が正式リリースされることを期待しつつ。

<映像>


この作品の映像を見れば、誰でも松田聖子の歌と映像が醸し出す幻想的な演出に惹きつけられることと思います。松田聖子の美しさに見惚れるだけでも楽しめるのですが、もう少し深く理解するため、その第一歩として歌詞の内容を紹介します。

私がこの作品の分析に取り組んだのは2016年の梅雨の時期だったと記憶しています。とある雨の日曜日、手持無沙汰な一日を過ごすためにこの映像を見ながら、ふとこの歌の意味をちゃんと理解しようと思い立ちました。何度も聴きながら英語を聴き取りしたものです。聴き取った英語と合わせて日本語訳を書いておきます。聴き取りに不正確なところがあるかもしれませんので、お気づきの点があれば是非ご指摘ください。

この歌詞の内容から、どんなストーリーを思い浮かべてこの映像が出来上がっているのか想像してみるのも楽しいことかもしれません。私はこの歌詞と映像の関係に驚愕したのですが、私の解釈は後で説明いたします。

<歌詞>

    
One of these days
is one water way from
one of those nights
that everyone dreams of when love's in play

いつの日か
それは、恋しているときに皆が夢見る夜から続く水の流れ道ね

One of these days
Someday

いつの日か
いつか

One of these days
is one touch your way from
one of those nights
when all the lights go dim
and hand in moonlight 
one night

いつの日か
それは、あの夜から続くあなたの道にすこし触れただけね
すべての光が翳り
月明かりに託したあの一夜

Eye shining bright in daylight
When it gets dark 
can we both stay bright here ?

日差しの中では眼は輝いているけど
暗くなっても、
私たちは二人ともここで輝き続けられるのかしら?

With the light turn on phase
you might turn your gaze
and see me

光が姿を変えると
あなたは振り向いて私を見てくれるかもしれないけど

One of these days
is one kiss away from 
one of those nights
that everyone dreams of when love's in play

いつの日か、
それは、恋しているときに皆が夢見る夜にキスして別れる日ね

One of these days
my heart already knows this 
and soon you'll have to know this, me

いつの日か、
私の心はもうこのことを知ってるわ。
そしてもうすぐ、あなたもこのことに気づくでしょう
私のことに

It's a matter of time
So sure the light's gonna be seen

それはもう時間の問題ね
きっと光が射してはっきりさせてくれるでしょう

One of these days
is one glass away from
one of those nights
that everyone dreams of when love's in play

いつの日か、
それは、恋しているときに皆が夢見る夜からは硝子で仕切られた日。

one of these days
someday
someday
one of these days

いつの日か
いつか
いつか
いつの日か

<歌詞の解釈>

さて、ここからがいよいよ本論です。この歌詞を分析することでこの曲が表現している内容について見ていきます。

結論から書くと

「"One of these days" の松田聖子はあの世にいる亡霊だ!!!」

ということを説明しようかと思うわけです。

これを説明するには、原詞と映像を分析しなければならないので、少々面倒ですがお付き合いください。

この歌詞には、「One of these days is …」という言い回しが4回出てきます。そして、これに続く歌詞の内容ですが、少し省略しながら書くと、

1回目は、
One of these days is
one water way from one of those nights
 「いつの日か、それは、あの夜から続く水の流れ道」

2回目は、
One of these days is
one touch your way from one of those nights
 「いつの日か、それは、あの夜から続くあなたの道にすこし触れた日」

3回目は、
One of these days is
one kiss away from one of those nights
 「いつの日か、それは、あの夜にキスしてお別れする日」

4回目は、
One of these days is
one glass away from one of those nights
 「いつの日か、それは、あの夜からは硝子で仕切られた日」

となっています。
glass away from というのは、硝子のように目に見えないもので遮られて、触れたくても触れられないことを表現しています。つまり二人が結ばれるはずだったいつかの日、それは触れられそうだけれど硝子のように隔てるものがあって、決して触れることができないものになっているということです。
この歌詞に出てくる男女は、最初はまだいつの日か一緒になれることを信じていて、
そこにあなたと歩くつもりの一本の道がつながっていると歌っているのですが、
2回目で一緒に歩くつもりだったあなたの道には少し触れただけと歌います。
そして、
3回目には、心残りはあるけれど別れのキスをしなければならないことを覚悟し、
4回目には、もう隔てられて一緒にいられないことを歌っているのです。

さて、ここからが核心のところですが、この変化は、何が起きているんでしょうか。

歌詞にもどると、3回目と4回目の間にこんなことを言っています。

my heart already knows this
and soon you'll have to know this, me
 私の心はもうこのことを知ってるわ。
 そしてもうすぐ、あなたもこのことに気づくでしょう
 私のこと

この部分は、女性の心の動きを歌ってます。
「このこと」というのは、3回目に書かれている「別れなければならない」ことを指しています。

It's a matter of time
So sure the light's gonna be seen
 それはもう時間の問題ね
 きっと光が射してはっきりさせてくれるでしょう

the light's gonna be seen というのは、see the light という表現からきていて、ことの真理を知るとか、事情を飲み込むなどという意味があり、歌詞では「きっと真実が明らかになるでしょう」みたない感じです。つまり、(まだ理解できていないあなたにも)もうすぐ分かるはずと確信している言葉です。光が射してというのは、朝になればということかもしれません。

こう書いてしまえば、ああそうかといったことなんですが、これだけでは疑問が残ります。

何があって、この二人は別れなければいけないことになってしまったのか。
このことについては、この歌詞には明確には書かれていません。
しかし、いずれ彼にも分かると言っているのですから、事情ははっきりしているようです。

この歌は、女性の言葉がずっと続いていて、恋に落ちて将来結ばれることを夢見ていたのに、何らかの事情で、もう触れ合うことができないところまできたことを歌っている。男と女が分かれるというのは、付き合っているうちになんらか一緒にやっていけない不一致が出てきて、その不一致を相互に解消できずに別れるというのが普通です。しかし、この歌詞ではそういった恋のトラブルみたいなことは表面化していません。
女性はもう別れを確信しているにもかかわらず、どうやら男の方はその変化に気づいていない。男はこの恋の行方をいまだに信じているのでしょうか。この恋が終わることをはっきり意識しているのは女性の方だけ。

では、女性だけがなぜ恋の終わりを確信し、男は気付かないのか。
ここから先は映像を分析しながら考えていきます。

<映像の分析>

さて、上記のように理解できたところで、 "One of these days"の松田聖子の映像をもう一度見てみましょう。

これにも驚くべき演出があります。

まず最初に、黒いガウンを着た松田聖子がバーに入っていくとき、 時計台の時刻は午前2時です。 まさに丑三つ時、英語でいえばghostly hour。 普通、こんな時刻に開いているバーなんてありません。 これだけで、もうなにが暗示されているかお判りでしょう。
松田聖子が扉を開けると、バーもすでに閉店後で、カウンターにもピアノの前にも誰もいません。 でも霊気が漂っていて、誰の姿も見えないのにピアノの鍵盤が動いている。

この世ではない光景のようです。

このバーの中で、彼女は彼とのこれまでの想い出を振り返るように歌いだします。そしてガウンを脱ぎます。 なじみの店のマスターに挨拶する表情を見せます。 「きちゃったわ」って感じのシーンですね。 で、バーテンダー役のクシンシー・ジョーンズが、 「分かってる、よくきたね」という感じで彼女をやさしく迎え入れます。

彼女はテーブルに座って歌い続けます。

どうでしょう。
どうやら、彼女は死後の世界で歌っているようです。

このバーは元気なころに彼とよく来ていた想い出の店だったのでしょうか。
このシーンは、すでに死後になって生前の想い出を歌っているので、時間の経過が前後している演出となっています。

映像は、再度バーに入ってきた後にフラッシュバックします。 黒いガウンを脱いだ彼女は、霊気漂うバーの中をテラス窓に向かって歩き始めます。

歌が進んで、

Eye shining bright in daylight
When it gets dark
can we both stay bright here ?
 日差しの中では眼は輝いているけど
 暗くなっても、
 私たちは二人ともここで輝き続けられるのかしら?

With the light turn on phase
you might turn your gaze
and see me
 光が姿を変えると
 あなたは振り向いて私を見てくれるかもしれないけど

のところで窓から外を見ます。
そこには自分自身が彼と柳の下のテーブルを挟んで座っています。
2人が仲睦まじく会話している様子です。

ここの松田聖子の表情をみてください。
彼の姿を見て「あっ、あの人だ、嬉しい」っていう表情をしてますから。

でも、窓を開けると2人の姿は消えてしまいます。
どうやら彼女のいる部屋と屋外の風景は別世界のようです。

その世界は見えていても行くことができないのです。

ここで、彼女は、「ああ、終わってしまった」というような寂しそうな表情をします。
あの世の入り口に立って、一瞬この世で彼と過ごした日々を振り返っただけ。
そして、本当に死後の世界にいき、魂はあの世に移ってしまう。
だからこの世の彼の姿は彼女の目の前から消えてしまうわけです。

彼の姿が消えた後でも、彼女の気持ちはまだ彼の方を向いています。
一度はうつむきますが、もう一度しっかり窓の外の彼のいた場所を見つめ、
やはり消え去っていることを確認します。
その瞬間、バーの中のロウソクに灯りが輝き始めます。
彼女はあの世の人となってしまった。
彼女の眼にあの世での風景が見えるようになった瞬間です。

振り向くと、バーの室内のロウソクの明かりが灯り、
最初は無人のように見えたピアノの前にはデューク・エリントンが座っている。
これは、死後の人となった彼女(松田聖子)の目に映ったバーの風景です。

そして松田聖子がそちらに向かっていく。
あの世に行った松田聖子を、すでにあの世にいるエリントンが迎えるんですよ。

歌が続きます。

One of these days
is one kiss away from
one of those nights
that everyone dreams of when love's in play
 いつの日か、それは、恋しているときに皆が夢見る夜にキスして別れた日

One of these days 
my heart already knows this  
and soon you'll have to know this, me 
 いつの日か、
 私の心はもうこのことを知ってるわ。
 そしてもうすぐ、あなたもこのことに気づくでしょう
 私のこと

It's a matter of time 
So sure the light's gonna be seen 
 それはもう時間の問題ね
 きっと光が射してはっきりさせてくれるでしょう

One of these days 
is one glass away from 
one of those nights 
that everyone dreams of when love's in play 
 いつの日か、それは、恋しているときに皆が夢見る夜からは硝子で仕切られた日

この映像の始まり、つまり彼女があの世の入り口に立ったのが夜中の午前2時でした。でも、彼はそのことにまだ気づいていない。けれど、光が射して明るくなれば分るはず...何に気付くのでしょうか。

エリントンのピアノに合わせてひとしきり歌った後、カウンターの前であの世の住人となった松田聖子とクインシー・ジョーンズが「これからよろしくね」というようにグラスを交わします。
この世に残してきた恋人への想いを歌い終えると、松田聖子はクインシーにガウンを着せてもらいバーを後にします。

この映像から大胆に推測すると、彼女が彼との恋が終わることを確信していたのは、自分の死を予感していたからであって、彼にはそのことを打ち明けていない。歌詞の「それはもう時間の問題ね、きっと光が射してはっきりさせてくれるでしょう」は、自分の死が彼に伝わるのは夜が明けてからと歌っているのではないでしょうか。

死後になっても女性の方は彼への想いを持っている。決して嫌いになって別れたわけじゃないんですね。これは、映像の制作者が歌詞から想像を働かせて作り上げた解釈かもしれませんが、一つのロマンティックな物語になっています。恋の終わりを悟った女性が、そのことを彼に告白しないままあの世に導かれ、あの世で男に想いを寄せながら成就できなかった恋の悲しみを歌っているのです。

長々と書いてきましたが、これを歌う映像に現れる松田聖子は、死後も彼のことが忘れられない主人公の女性の亡霊として登場しているということが伝わりましたでしょうか。この女性がこの世を去った要因は最後まで分かりません。いろいろな推測ができると思いますが、それはここまでお付き合いくださった皆様にお任せしましょう。

ややこじつけのところもありますが、以上が私の到達した解釈です。

最後に、この「One of These Days」において、 あの世でデューク・エリントンのピアノ演奏に合わせて松田聖子が歌っているのですが、 これは何を意味しているのか。

このシーンは、クインシー・ジョーンズが松田聖子に向かって、「もう俺も長くはないけど、先にあの世で待ってるから、あの世で一緒に音楽やろうぜ。 デューク・エリントンもきっと一緒にやりたいって言うと思うよ」というメッセージを送っているのかもしれない。

松田聖子がこの歌と映像を取ったときにクインシー・ジョーンズとどんな会話をしたのか分からないけれど、こんな映像を見ると、松田聖子も「死んだらあの世でJAZZを歌おうかな」なんて思っているかもしれないですね。

こんな解釈で、再度映像を見てみると、本当によくできた作品だと改めて思います。

<原曲について>

この曲のもう一つの謎は、これが本当にデューク・エリントン作品であるのかということでした。エリントン作品のデータベースにはこのタイトルは登録されていません。可能性としては、エリントンの器楽作品に歌詞をつけてボーカル作品にしたのではないかという推測がありましたが、その器楽作品がすぐには見つかりませんでした。迷宮入りになるかと思っていた矢先に、Google+コミュニティでボッサクバーナ氏がエリントンのピアノ作品「Reflection in D」が原曲であることを発見されました。この作品は、米国Capitolレコード「The Duke Plays ELLINGTON」に収録されています。私はこのレコードを持っていたのですが、まったく忘れていました。ライナーノーツに、このアルバムの録音時に薄暗い証明のスタジオで即興で演奏したと書いてあります。1954年4月ハリウッド録音。

さらに、もう一つの大きな発見がありました。"One Of These Days"のピアノ演奏は、このエリントンの演奏そのもので(若干の音響処理はなされていますが)、エリントンのピアノに松田聖子のボーカルを乗せたものだったのです。まさに映像の通りで、時空を超えた共演とはこのことです。これによって"One Of These Days"に関する主要な謎が一通り解明されました。それにしても、これをプロデュースしたクインシー・ジョーンズは松田聖子のボーカルにインスピレーションを得たのでしょうか?本当に素晴らしいアイデアですね。

<参考> Duke Ellington の「Reflections in D」


その後、「Refrection in D」をもとに"One Of These Days"とは異なる歌詞をつけた「Reflections」という作品があることも分かりました。米国人歌手の重鎮トニー・ベネットが1976年に発表しています。私は、トニー・ベネットの歌よりも松田聖子の歌う"One Of These Days"の方が深い内容で好ましく感じます。また、「Refrection in D」のピアノ演奏では、ビル・エヴァンスの演奏もあります。興味のある方はYoutubeで検索してみてください。

<補足~その1~>

松田聖子がバルコニーの扉を開ける前、扉の窓から柳の下のテーブルで二人が向き合って話している様子を見るシーンがあります。このシーンは、二人がいつもこのテーブルで会っていたことを想起させるシーンですが、この「柳」に意味があるのじゃないかというコメントを聖友の「きいろ」さんからいただきました。これは「Willow Weep For Me」という古い歌からの連想だと思われます。「Willow Weep For Me」つまり「柳よ、私のために泣いておくれ」というタイトル曲ですが、歌の中で別れた恋人といつも古い柳の木の下で会っていたことを想い出して、もう会えないだろうと思いつつも柳のところに行って彼を待つのです。そして無駄だと知りつつ待っている自分を慰めてほしいと柳に願う歌です。米国人であれば柳のシーンを見ただけで、この曲を連想する人は多いでしょう。One Of These Daysでも、彼女の亡き後、男はこの柳の下に来ては恋人を想い出すのでしょうか。

<補足~その2~>

映像タイトルには "Music by Duke Ellington"と書かれていますね。Duke Ellingtonは、若いころの口癖で「自分はいつか有名になってやるんだ」と周囲に言っていたらしくて、その「いつか」の言い方が「One of These Days」だったそうです。歌詞の内容とは関係ないですが、作品タイトルにちょっとEllingtonへのオマージュが入っているのかも。

<補足~その3~>

これを書いた当時、まだSeiko Jazzが発売されていませんでしたが、 その後2017年3月29日にSeiko Jazzがリリースされて松田聖子のジャズへの正式な取り組みが始まりました。 Seiko Jazzを聴いて、本当に松田聖子はあの世でもジャズを歌っているかもしれないと思いましたね。