音楽とは直接関係ないが、オーディオ機器によって演奏評も変わってくると音楽評論家もおっしゃっるので、私の再生装置について少し書き記しておく。
オーディオ事始
私のオーディオとの出会いは、他愛の無いものであった。中学生時代、同級生のところで聴いた手作りの真空管アンプから出てくる歌謡曲がとても魅力的に聴こえたのがきっかけである。そのアンプは、東芝製の5極管6RP15のシングルアンプで、今から思えばかわいい出力5W程度のもの。スピーカも手作りのエンクロージャにセットされており、それまで聴いたことのない音に出会った。これを聴いて、たちまちオーディオの魅力に取り憑かれ、友人の教えを請いつつ、見よう見まねで真空管アンプの製作を始めた。
音楽は好きだったが、当時は小遣いも無く、自分でレコードを買うなどという事は考えなかった。中学を卒業するまでレコードは数枚しかなかった。少ないレコードを何度も繰り返し聴いた。
左は、中学の頃に聞いた数少ないレコードのうちの一枚。ブルーノ・ワルター指揮によるベートーヴェン「田園」とモーツァルト「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」。
「アイネクライネナハトムジーク」というドイツ語の曲名が魔法の呪文のように感じられて、なにやら高尚な感覚を覚えたものだが、音楽に関してはまったく初心者であった。
音楽を良く聴くようになったのは、高校に入ってから。自分で音楽雑誌を読むようになって、少しずつ知識が出来始め、自分でレコードを選択できるようになってからである。田舎だったので、輸入盤などレコード屋に滅多にない。雑誌で見かけるドイツ・グラモフォンのアルヒーヴ・レーベルは憧れだった。
そんな中で、高校時代に唯一買ったアルヒーヴ盤が、
Bachの
「ヴァイオリン、オーボエ、弦と通奏低音のための協奏曲」
「2台のヴァイオリン、弦と通奏低音のための協奏曲」
「2台のチェンバロ、弦と通奏低音のための協奏曲」
の3曲を入れたもの。
演奏はカールリヒターだが、演奏がどうこうよりも、輸入盤を初めて手にしたことが感激で、見開きで、3ページに渡ってドイツ語、英語、フランス語の解説があり、文字だけのアルバムカバーがいかにも格好良く見えた。このレコードは、今でも持っている。まったく劣化していない。
高校時代もオーディオは、当然自作。
当初は、クリスタルピックアップのプレイヤーに、モノラルの真空管アンプ、スピーカもコーラルの8インチのユニットを一本だけ蓄音機の箱に取り付けて鳴らしていた。
左図の8CX50が当時使用していたスピーカユニット。(このユニットのことが分かる人は相当年季が入っている人だ)
高1の頃、本で読みかじりしたホーンスピーカに憧れ、数学でもまだ習ってもいない双曲線関数の計算をして、自分でハイパボリック・ホーンの設計をしてダンボールで型紙を作り、組み立てた。もちろん、ドライバがないから、鳴らすことはできない。
装置がステレオになったのは、高3の時。
親に頼み込んで予算を確保し、知り合いの電気屋にアンプ製作を依頼した。6RA8という3極管のプッシュプル15W×2のステレオアンプ。6RA8は、当時Lux社の名作といわれるアンプSQ38に使用された真空管で、音が良いと評判だった。Luxのアンプを買う予算はなかったので、同じ真空管を使って自作したわけである。これだけで豪華な気分になったものだった。
スピーカも、コーラルの8インチユニットを一本追加。しかも、立派なバスレフ型SPボックスを家具屋に注文した。その家具屋がSPボックスについて多少の知識があり、なんと松の単板でしっかりした箱を作ってくれた。容積が150リッターほどある大きな箱。しかも、一台3000円という格安値段。今ではちょっと信じられない話だが、1960年代の終り頃のこと。家具屋も良心的だった。
なにからなにまで手作りだったので、それほどお金はかけなかったが、それでも5万円前後は投資したはず。当時の大卒の初任給と同じくらいの金額だったはずで、親は内心呆れていた事と思う。黙って協力してくれたことに関しては、いまでも感謝しなければならない。
プレイヤーも新たに自作した。CECのフォノモータ及びマイクロ精機のトーンアームを購入し、これを手作りのキャビネットに搭載。カートリッジは何を使っていたのか記憶にないが、当時は我ながら高級装置を作ったものだと満足していた。その後、大学に進学して、何年か後にプレイヤーを改めて自作した。モーターがDENON/DP3000、アームがFR24MKU、カートリッジがグレースのF8Lという組み合わせ。さらにスピーカにONKYOのホーンスコーカ及びテクニクスのホーンツイータを導入し、以前から使っているコーラルのユニットをウーファとして3wayを組上げた。私のオーディオの初期は、こんなスタートであった。
いまから思い起こすと、なんともナイーブだが、それなりに夢を実現したオーディオだった。
現在のオーディオ装置
それから随分と年月を経た現在の情況は以下の通り。
上から、LPプレーヤ、フォノイコライザー、CDプレーヤ、DAコンバータ、ラインアンプ、パワーアンプの順に並べている。
LPプレーヤは、CDがまったく主流になってしまった1990年頃、LPプレーヤはいずれ滅びてしまうかも知れないと思い、生涯使えるものを購入しておこうと一念発起。そして、知り合いのオーディオ店に相談し、LP全盛期だった1980年ころに生産されたExclusiveのP3を入手して今に至っている。碁盤みたいながっしりしたプレーヤである。トーレンスも候補には考えたが、私はメンテナンス・フリーにしたかったのでDD(ダイレクト・ドライブ)タイプにした。私のところにたどり着いたP3(1980年頃のものなので当然中古)の前の持ち主は、茨城の和尚さんで、トーレンスの最高級機も保有されていて、2台はいらないだろうとオーディオ店の担当者が掛け合ってくれたもの。
フォノイコライザーは、70年代後半のGAS(Great American Sound)のもの。GASの製品はすぐ壊れるので、故障率200%(1台が2回故障する)という評判だった。オーディオ店からは、もう交換したらと言われているが、幸いこれまで故障に到っていないのと音が気に入っているので壊れるまではこれでいくつもり。GASの創設者ジム・ボンジョルノ氏はイタリア系の人だが、大げさな名前を付けるのが好きな人で、ゴジラをもじってアンプジラなんて名前のアンプを作っていた。私のフォノイコライザーには、Goliathの名が付いている(聖書に出てくるが、ダビデに退治される巨人戦士の名前である。ミケランジェロのダビデ像が見据えているのがこのGoliathというわけです)。この変わったメーカは、強そうなんだけれど結局退治される怪物のような名前の製品ばかり作っていたせいか、しばらくして絶滅してしまった。
GASの製品設計は創業者自身がやっているのだが、音に良いことなら何でもする人で、私のフォノイコライザには、なんと電源スイッチがない。一年中電源が入れていたほうが電子回路が安定して音が良い、という理屈だそうだ。従って、日本では考えられないような反・省エネ製品であるが、まあそれほど消費電力が大きいわけではないので気にしていない。
【2003年末に至り、GASは金田式にその座を明渡し休養中】
ラインアンプとパワーアンプは、音に色づけのないようにと、それぞれマークレビンソンとリニアテクノロジ(これは日本のガレージメーカー)のものにしている。
CD系はすべて日本製で、プレーヤがエソテリックP2S、DAコンバータはDENON製。どちらも丁寧に作られていて信頼できる。
スピーカーの変遷
TANNOYからALTECへ
スピーカは、いろいろ変遷を辿っている。1999年の春頃までは、左の写真のようにTANNOYのGRFメモリーを使用していた。GRFというのは、TANNOY社の創始者Guy R.Fountainのイニシャルである。前面のグリルを取ると、パネルに、このスピーカの生まれた経緯が記されている。TANNOYのスピーカには不満な所もあるが、ホールの響きの感じをそれなりに出してくれるのと、クラシックなデザインが気に入っていた。これは1988年に手に入れたGRF Memory/HWタイプ。
この写真を見ると、なかなか優雅な風景だが、TANNOYの上に大きなものが載っているのがお分かりだろう。
「The Voice of the Theater」で知られる米国ALTEC社の劇場用ホーンとドライバ(311-90 hornと288-16G driver)である。1999年春に入手したもの。これは遙か昔、トーキー映画が発明されたとき、映画の音響装置を一手に引き受けていたWestern Electric社の製品技術を伝承している唯一の製品で、いろいろ改良された1970年代のもの。これをTANNOYに接続しようという暴挙に出て、知り合いのオーディオ店に相談したら、あきれられてしまった。オーディオの常識が分かっている人は、TANNOYは英国のいぶし銀のような音、ALTECはカリフォルニアの空のような明るい音色で、両者は対極的な製品という扱いで、とてもこの2つを組み合わせるということは考えられないから当然か。
「本当にやるんですか?」とか、「ちょっと、家庭の雰囲気を壊しますよ」とか、「音がつながるのかなぁ」とか、店長さんを含めて3人の小さな店なので、いろいろ心配してくれたのだが、結局やってみるかということになった。TANNOYはウーファだけを利用して500Hz以上をALTEC、あと7000Hz以上の高域にツィーターを繋いで音出し。どうなることかと心配したが、意外とすんなりつながり、TANNOYの重厚な音と、ALTECの明るい音が微妙なバランスで鳴ったので一安心。本来は劇場向けのスピーカだが、家庭内で小さな音で鳴らしても、それなりの音を出してくれることが分かった。
しかし、この音には、ちょっと訳が。ALTECのA5オリジナル(有名なA7より一回り大きいALTECの代表的な劇場用スピーカシステム)の音を聴いたときは、通常の距離で聞くホーンの音は粗く、クラシック音楽の鑑賞にはとても駄目だと思った経験がある。しかし、その粗い音は、どうもALTECのネットワークのせいらしい。劇場の広いスペースでハイパワーで鳴らすためのネットワークの音は、繊細さからは程遠い。ネットワークで音が変わるのは承知していたので、パワーアンプと同じリニアテクノロジ製の3wayのネットワークの中古品が手に入ったのを幸いに、ALTECのホーンを導入したという訳である。リニアテクノロジ製のネットワークは、特性が素直で、ユニット単体の音がそのまま出ているように感じる。結果的に、ALTECのSPユニット単体の音は、結構素直であることが判明した次第。
と、ここまではTANNOY+ALTECストーリだったが、ALTECのホーンが意外に素直に鳴るので、2001年9月に思い切ってウーファ・システムもALTECに交換。
ウーファ・システムをALTEC化
この写真は、交換後、現在の状態である。音研(もどき?)の箱にALTECのウーファ416-8Bが格納されている。写真ではそれほど大きくは見えないが、360リッターの箱(設計図はこちら)。
ALTECのウーファシステムは、劇場用のA1〜A7までの各種システムではフロント・ロードのショート・ホーンとバスレフの組み合わせで高能率を狙っているが、この音研の設計によるウルトラフレックスと呼ばれる箱は、両サイドにバスレフ用スリットを設けたもの。素直な特性で、クラシック音楽を中心にしたオーディオ用にはこちらが適しているのではないかと思う。
興味深いのはパワーアンプからネットワークまでのSPケーブルやネットワークから各スピーカユニットまでの配線材で、これでいろいろと音色に変化が付けられる。マルチアンプを試しているかのよう。しかも安い線材で結構楽しめることが分かった。ALTECのウーファは、低域が軽いのだが、SPケーブルの選択で調整可能である。クラシック音楽を聴くには、やや重めの低域の方が似合うので、そういった傾向の線材を見つけるとATLECらしからぬ低域が得られる。ツイータには、パイオニアのリボン型ツィータPT-R9を使用。能率が低いのが難点ながら、これ以上の素直なツイータはそうそうない。
現在は、なんとか収まっているが、唯一の問題は、その外観。なにしろ映画館のスクリーンの後ろに隠しておくのがALTECの本来の使い方であり、デザインが無骨なのは仕方がない。いつかなんとかしたいと思っているが、リビングの雰囲気にはそぐわないまま今に至っている。
「良い音」とは
オーディオでは当然のことながら一人一人が「良い音」を目指しているはずだが、結果としては、千差万別の音になってしまうのが現実である。そして、多くの人が「良い音」の反対である「悪い音」で鳴らしているかといえば、そうではない。悪くは無いが、理想ではない状態で鳴っているのが現実。オーディオの出発点である「良い音」とは何だろうか。
私のところも、不満は勿論ある。
「良い音」とはどういう音なのかを考えるに当たって、逆にどういう時に不満を感じるのか考えてみる。
私が不満を感じるのは、大抵は音楽がどう聴こえるのかに起因している。
「演奏から音楽的迫力が感じられない」
「音楽がうるさい」
「音楽に緊張感が足りない」
「演奏会の空気が感じられない、実在感が不足」
といったことです。
音楽に迫力が無い
これは、音の反応が鈍い、ダイナミックレンジが不足、低域が不足、といったことが原因と思う。音場のスケール感の不足も関係する。低域が量的に不足していたり、最低域が出ていないことが気になる場合もある。最近のスピーカで高域不足を感じることはまずないので、多くの場合は低域不足と、全体的な音の反応の速さがポイントかと思う。
音楽がうるさく感じる
高域がきつい、繊細でない、音の分離が良くないといった現象である。どこかに歪みがあるのだろう。
音楽に緊張感が足りない
これはかなり主観的であるが、音楽鑑賞においては結構大事な感覚。私の場合、音の背景の静けさが気になる要因である。よく、コンサートで静寂の中で音楽が奏でられる時の緊張感と似たようなもの。あと、音の反応の速さが関係すると思う。音楽がフォルテシモになった時に、ストレスなくスムーズに音が拡大していくことも重要。
演奏会の空気感、実在感
これは、装置のSN比、全周波数帯域に渡る音量バランス、スピーカの指向性、中高域の歪みの少なさが関係していると思う。「奥行き感」という言葉もよく使われるが、それも空気感の一部である。
CDやLPを聞きながら、いちいち上記のようなことを考えているわけではない。実際には、この演奏はこう聴きたいという仮想的な音のイメージがあって、それに近いと満足度が高くなり、気になる点があると満足度が低下するだけである。
オーケストラだと、ヴァイオリンは柔らかくハーモニーが広がって欲しい、コントラバスの低域は風のように軽く押し寄せるように鳴って欲しい、管楽器は突き抜けるように、しかもけっしてうるさくならないように、大太鼓の豊かな響きが感じられるように、そして、オーケストラ全体のスケール感が感じられるように。
ピアノであれば、音に緩みが無く、弦がピーンと張った感じに鳴って欲しい、低弦の豊かな響きが出て欲しい、和音が綺麗に響いて欲しい、速いパッセージで音が団子にならないで欲しい。
ヴィオリンであれば、艶やかな音が鳴って欲しい、通りの良い音で鳴って欲しい、ソロ演奏の場合、演奏家の存在が想像できるような鳴りかたをして欲しい。
ヴォーカルであれば、声がうるさくならないように、人間の存在が感じられるように鳴って欲しい。
など音楽のいろいろな局面で個人的な判断基準を働かせる。不満は、装置(や部屋)の問題のときもあるし、録音の問題の時もある。
こういった不満を少しずつ解消するような調整や装置の選択をして、「個人的な良い音」に近づけていく訳だが、結局、個人がどのような評価尺度を持っているかで結果は異なってくる。
上記は、私がクラシック音楽を聞く際の評価に近いが、ジャズの好きな人は別の尺度をお持ちだろうと思う。
私は、「コンサートリアリティ」という言葉が好きでだ。
私なりの「コンサートリアリティ」の理想像があり、それに近い音が鳴るとオーディオを通した音楽に魅力が出てくる。それが私にとっての「良い音」なのである。
上記の理想は実現困難だが、それでもあれこれと試行錯誤を続けてきた結果が今の姿である。