The History of Record and Recording


レコードの誕生と発展

まえがき
レコード音楽を聴くのに、そこで流れる音楽に興味がありこそすれ、音の再生技術など興味のない人がほとんどであろうと思う。

音楽が当たり前のように簡単に再生できるようになった現在では、音楽がオーディオ装置で再生されることに関して、技術云々をとやかく言うのは野暮かもしれない。音楽に素直に耳を傾けるだけで、喜び、安らぎ、慰め、活力といったものを与えてくれるのであり、そこから先は、マニア的衒学の世界といってよいだろう。レコードを現在までに発展させた人々の苦労を偲ぶのは、それはそれで興味あることではあるが、それによって音楽的感動がこれまで以上に湧き起こるものではない。せいぜい雑談のネタ程度である。いや、そんなことを話題にすると、聞かされてうれしがる人はむしろ例外で、何の興味もなく無視されるか、変な趣味を持った変人扱いされる危険性のほうが高いと思わなければならない。

従って、これから書く内容などは、善良な音楽ファンにはどうでも良いことなのだが、まあ私の個人的興味から発して調べたことどもを備忘録として書き記したものとでもしておく。


蓄音機の発明とSPレコードの誕生

Edison.jpg Thomas Alva Edisonの肖像(1889年)

音を録音・再生する蓄音機の発明は、1877年トーマス・エジソンによるもので、フォノグラフ(Phonograph)と命名し、同年12月24日に特許申請している。エジソンのフォノグラフは、円筒型のもので、いろいろな改良を受けて、いわゆる「ろう管式」蓄音機として知られている製品となって普及したものである。


Phonograph.jpg 1878年製、エジソンのtin-foil型フォノグラフ。
重力式モータが付いている。
左は、音溝。


一方、現在のレコードといえば、円盤型の物を指すのが当たり前であるが、この円盤式を発明したのは、ドイツから米国に移民した、エミール・ベルリナーであり、1887年に特許申請している。1890年代には、円筒型と円盤型の両方式が、競争して発展していった。しかし、ろう管式は、複製を作るのが面倒であり、この点において円盤式が優れていたため、次第に円盤式が主流になっていった。

グラモフォン社設立とヨーロッパ進出

grammophon.gif ベルリナーが発明した円盤式レコード及び再生装置は、グラモフォン(Gramophone)といい、1895年にフィラデルフィアにベルリナー・グラモフォン社を作った。また、1897年にはヨーロッパに進出し、レコードの企画・録音の業務はロンドンで行い、プレス工場はドイツのハノーヴァーに設けている。これが現代の世界的音楽産業EMIの始まりである。

ビクター・トーキング・マシン社設立
ベルリナーの蓄音機にスプリング・モーターを提供していたエルドリッジ・ジョンソンは、1901年10月3日Victor Talking Machine社と社名を改め、蓄音機からレコードまで生産するようになった。

SPレコードからLPレコードへ
円盤式のレコードに天然材料のシェラックが使用されるようになったのは、1895年~1900年の間のようである。これもベルリナーが改良した結果であり、それまでは、エボナイトや硫化ゴムを材料にしていたらしい。レコードの回転数は、78rpmに固定されていたのではなく、次第に統一されてSPレコードの標準形ができあがった訳である。
SPレコードという呼称は、LPレコードが1947年に米国コロンビア・レコードから発売された後で、それまでの78回転のレコードを示すものとして生まれた言葉である。
	SP : Standard Playing
	LP : Long Playing
ml4046.gif LPレコードは、SPレコードの演奏時間の短さを大幅に改良するものとして生まれたわけであるが、実は、1931年にRCAビクターが、33・1/3回転の長時間レコードを発売している。残念ながら、RCAが長時間レコードを発売した当時は、レコードの材質の悪さ、ピックアップの重量などの問題を解決できず、発売後まもなく発売中止となってしまった。RCAからコロンビアに移籍したウォーラースタインは、長時間レコードの開発の総指揮に当たり、1948年にようやく発売にこぎ着けたのであった。

このイオニア式円柱を白いシルエットで表したデザインは、米国コロンビアが1948年に発表した世界初のLPレコードで共通に使用されたデザインである。シンプルなデザインの中に、
LONG PLAYING
MICROGROOVE
NONBREAKABKE
のキャッチフレーズが誇らしげに並んでいる。


LPレコードとEPレコードの共存
コロンビアは、LPレコードの方式採用を各社に呼びかけ、多くのレコード会社の賛同を得たが、ただ一社RCAビクターのみが別の方式を開発中ということで勧誘に応じなかった。その別方式というのが、直径17cm、回転数45rpmのいわゆるドーナツ盤である。このドーナツ盤は、EP(Extend Playing)と呼ばれたが、LPと比べて録音時間の短さは否めなく、2年をたたずして1950年1月にはRCAビクターもLP発売に踏み出すことになる。ただし、EP盤はポピュラー音楽のシングルレコードにはちょうど時間が適当であり、ポピュラー向けに各社で採用するという逆の動きもあった。

ステレオ・レコード発売開始
このように、33・1/3rpm又は45rpmのレコードが出現して現在のレコードの基本形が定まった訳であるが、LPレコード誕生の10年目1958年に一大転機が訪れる。ステレオ録音レコードの発売である。 ステレオ録音自体は、テープレコーダが発明されてから既に技術的には実証されていた。しかし、レコードの一本の溝に左右2つのチャンネルの音を刻むのは難問であった。しかも、SPレコードからLPレコードに変わった時は、再生装置も一新する必要があり、消費者もそれなりの出費が必要であったが、LPレコードの利点によって発売から10年間でLPレコード及びその再生装置は大衆に普及していた。ここにステレオ・レコードを普及させるには、新規にステレオ再生装置を購入しなくても、既存のLPレコードの再生装置でも聴くことができることが必要であり、逆にステレオ再生装置でこれまでのモノラルLPの再生もできることが求められた。いわゆる互換性をどう実現するかがステレオ・レコードの命運を決める最重要ポイントであった。 ステレオ・レコードの標準形式として、 WE(ウェスタン・エレクトリック)が開発した45/45方式と呼ばれる方式と、英デッカが開発したVL方式という縦振動と横振動の組み合わせでステレオ録音/再生を行う方式が名乗りを上げた。デッカは、VL方式再生用のカートリッジを開発するなど相当に力を入れたものである。しかし、残念ながらLPレコードとの互換性などの面でVL方式は支持されず、45/45方式に軍配があがったのである。ステレオレコードは45/45方式に統一された。この方式では、次の8点を守ることによってモノラルレコードとの相互互換性が保たれることになった。
  1. ステレオレコードのそれぞれの変調角は、レコード表面に対して45度傾いていること。
  2. ステレオレコードは、聴取者にとって右に定位すべき信号は音溝の外壁の変調であり、左は音溝の内壁の変調であること。
  3. ステレオレコードにおいて、2つの信号が同相の時は横振れ音溝として切削録音すること。
  4. ステレオ再生系は、横振れ信号を再生する場合、その再生系のスピーカの音が同相になるよう合わせること。
  5. ステレオレコードの音溝の内向角は90度であること。
  6. ステレオレコードの音溝の底半径は、0.2ミル以下であること。
  7. ステレオレコードの録音及び再生特性は、RIAA特性であること。
  8. ステレオレコードのその他の外観寸法は、従来のLPやEPと同じであること。

slb1.gif slb2.gif このステレオレコードの発売には、LPレコードでコロンビアの後塵を拝したRCAビクターが先陣を切り、米国で1958年6月、日本で同年8月にリリースされた。

上は、キングレコードが1959年に発売したLondonレーベル最初のステレオレコードである。
ビバルディ「四季」:カールミュンヒンガー/シュツットガルト室内管弦楽団(SLB1)
R.コルサコフ「シェラザード」:アンセルメ/パリ管弦楽団(SLB2)

あとがき
音楽の録音・再生メディアとしては、現在はCDが主役であるが、CDが発売された1982年までは、レコードが主役であった。CD発売後、10年を経ずして主役交代となったわけだが、LPレコードには、エジソン以来100年にわたる技術の蓄積があり、多くの技術者、音楽家が関わってきた。その音楽的遺産は膨大な物がある。そのようなレコードについて、多少とも歴史を振り返り、発展の過程を知っておくのもレコード愛好家の義務のように思い、ここに短文ながらメモを記した次第である。