2011・6・02

●南三陸町・石巻/ボランティアレポート
 
今回のボランティアツアーは、仙台出身の早稲田大学大学院MBA専任講師西條剛央さんの、
「ふんばろう東北支援プロジェクト」http://fumbaro.org/をツイッターで知ったのがきっかけでした。
 
その活動に関連して、がんばっているボランティアの人達を後方支援しようという、
「Cure East Japan ふんばろう東日本支援プロジェクト臨床家サイト」http://cureeastjapan.jimdo.com/
の存在を知ったことに始まります。
 
その中で、急遽“弾丸ボランティアツアー”の計画が発表され、それの一部に参加したという次第です。
先発は、5/29日帰りでの「Cure East Japan」リーダーの若林さん。
第2陣として私と鍼灸師の方ふたりが赴きました。
 
 
5/31(火)
 
6:12始発新幹線で仙台へ。
 
8:30仙台到着。PEACH JOHN提供のバスで、運転をしてくださった斉藤さんに状況を聞きながら南三陸町へ。
仮設住宅へは物資の配給が無いので、お米を配ってきたとの斉藤さんのお話をうかがう。
 
途中唯一の医療拠点、石巻日赤病院の横を通る。外来の人なのか、車が駐車場に入りきれずあふれている。
南三陸町に入ると、広大な水田が広がる。海沿いでは潮の被害で作付けは無理とのこと。
 
志津川沿いを走ると、海から遡上してきた津波をかぶった林が、
地上10m以上の高さに亘って真っ赤に枯れている。川沿いは壊滅状態。
 
しばし黙祷。

11:00前に目的地の「ホテル観洋」http://www.mkanyo.jp/に到着。
「ふんばろう」の渡辺さんが迎えてくれる(仕事をやめてボランティアに専念しているとのこと)。
 
ホテルには被災者450名。NTTなど工事関係者。ボランティアの方々が滞在している。
 
大広間をお借りし、布団を敷いたり、イスを準備したりする。
 
11:30氣圧開始の予定が、時間前から部屋を覗き込む人が・・・少し早めにスタート。
 
この時間帯、男性を中心に多くの人は出かけているので、
ホテルの従業員(ご自身の家は流されてしまった人も)の方が最初は多い。
ご主人や家族の方を送り出した、奥さん方も集まってくる。
 
お一人30分、お話を伺いながらと考えていたが、どんどん人が来るので、
まずは手当て。時間も短縮し、少し楽になっていただいたところで交代。
途中で諦めて帰った人も・・・
 
それからは結局21:30までも10時間、
休憩なし(トイレもいかず、水を3口飲んだだけ)で氣圧を行う。
 
鍼灸師さんと手分けして行って、二人で43人。氣圧が25人ほど。
 
一番困っているのは、水道の復旧がまだであること(1%程度?)。
お子さんのいる方など、洗濯が困っているとう声が多かった。
 
ひどくに肩がコチンコチンに固まっている女性がいたので、話をうかがうと、
被災後長い間、最低限の暖房の中、車中で寝泊まりしていたとの。
 
その方に限らず、もっとゆっくり氣圧をしてあげたいところだったが、
そうもいかず次から次へと対応。
 
最後から二人目、待ちくたびれていた男性に順番が回ってくると、
「早くして~や~」ど布団にどたり。腰を氣圧しているとすぐに眠りに入る。
終わると「快調や~快調や~」と腕をブンブン振り回して帰っていかれた。
よかった。
 
一番最後の方も関西弁。
NTTの工事で、仮設やらの配線で1か月以上も滞在しているとのこと。
全国各地から支援の工事にきている。
背中や肩の芯のほうが硬い。少し楽になったようなので、よかった~
 
部屋を片付けて、宿泊棟へ。同室には仙台から来たという、
「宮城復興支援センター」http://www.ganbaro-miyagi.com/
の男性がパソコンで作業をしていた。
 
仕事をやめて今はボランティア活動に専念しているとのこと。
「ふんばろう」の渡辺さんもそうだが、
若い人が仕事をやめてボランティアとしてがんばっている。
何とか支援してあげたいものだ。
(帰ってからできるだけ多くの人に今回のことを伝えたいと思った)。
少し彼に氣圧をする。
 
ようやく本日の夕食。
朝東京で買ったおにぎり2個と唐揚げ3個。
こんなに旨いおにぎりはひさしぶり!
 
幸いお風呂が使えるので(被災者の方々は4日に1回とのことで、申し訳ない)、大浴場へ。
りっぱな設備で、昼は地眺望が抜群であることがわかる。
 
寝ようとしたら、「ふんばろう」主宰の、西條氏が到着したので一杯やりませんかとのお誘い。
かなりのお疲れで、30分ほど氣圧を・・・寝息を立てていた。
 
その後1:00頃就寝。
 
6/1(水)
 
5:00カモメの鳴き声に起こされる(窓の外の手すりにいた!)。
窓の下は断崖絶壁。すぐ海。
 
6:00パンとジュースの朝食。
 
当初8:00移動の予定がまた変わり、少し時間ができたので、再び大広間で氣圧を行う。
急なことと、ホテルのアナウンスが十分にとどいていなかったようで、3人のみ。
 
11:00過ぎにホテルを出発。ホテルの担当も渡辺さんという名前。
 
時間があれば、今回被害が大きかった沿岸部を通り、
状況を見てもらいたいとのお話だったが、結局直行。
 
13:00頃、石巻に入り、海岸に近づくと、様相は一変。
 
道路は開通、整備されつつあるが、街は壊滅状態のまま。
そんな風景が、車で進んでも延々と広い範囲にわたって続く。
これはテレビで見るだけでは、想像できない。
広い範囲にわたって崩壊建物は手付かず、復旧作業もされていない。
 
大きな通りから細い道に入って、「家電プロジェクト」の会場に到着。
やはり周りの建物には大きな被害が。会場といっても家がなくなってしまった跡地。
100名以上の被災者が整理券片手に待っている。
全国から集めた冷蔵庫やテレビなどの支援物資を、被災者に渡すプロジェクト。
 
いきなり、業務分担があり、受け渡しの書類チェックのお手伝いをすることに。
 
被災者には罹災証明書を出してもらい、
コピーであれば受け取り伝票に貼る、
原本しかもっていない人はアイフォンで撮影して返す、
何も持ってない人は住所・氏名を伝票に記入し保管・・・
と指示を受け、戸惑どいながらも、何とか途中から段取りがつかめ作業を続ける。
 
電話番号欄もあったが・・・「電話は流されてしまったから・・・」。
 
そうだよね~
 
15:00頃後片付けもして終了。
 
改めて回りを見渡したが、残っている倉庫や家屋も被害は甚大。
瓦礫の処理をしているのは、わずか重機1台のみ。
 
15:30頃バスで仙台へ向かう。
 
バスの中で黙祷。
 
仙台で私を含め3名が下車(他の方はそのまま東京へ)。
新幹線に乗り換える(仙台⇒東京は5,000円の特別料金)。
同席の千葉かいらっしゃったという保健師さんとお話をしながら東京へ。
 
家に21:00ころ到着。
 
 
●「Cure East Japan ふんばろう東日本支援プロジェクト臨床家サイト」http://cureeastjapan.jimdo.com/
では、被災地で活動するボランティア・自衛官・警察官・消防士・医師・看護師・工事関係者が東京など、
地元に帰ってきたときに、「一人一回無料」という形で各療法を受けていただけるという支援をしています。
氣圧は私だけですが、鍼灸や整体など様々。複数のところを一回づつ受けるのも可。避難中の被災者も同様です。
 
この活動内容を、お知り合いにも広めていただけるとありがたいです。
 
 
●今回ご縁のあった、「ふんばろう東北支援プロジェクト」http://fumbaro.org/
「宮城復興支援センター(船田さん)」http://www.gakuwarinet.com/ganbaro/
の支援をしていただけると幸いです。
 
「ふんばろう」では、被災者の方に無料で重機の免許をとっていただき、瓦礫撤去作業に携われるよう支援したり、
送り手と受け手のミスマッチが多い支援物資の細かい受け渡しをサポートしています。
 
「宮城復興支援センター」でも長期に亘る支援活動を予定されています。
特に復興に連れ、自立していく上でのサポートをされるようです。
 
「ふんばろう」の西條さん、渡辺さん、「Cure East Japan」のリーダー若林さん、「宮城復興支援センター」の船田さん。
みな30歳代。食事がいつ取れるか分からない状態でがんばっているときもあります。
 
ぜひ支援してあげてください。