藤平光一(とうへい こういち)略歴                               氣とは?〈Click here!〉

1920年(大正9年)1月20日、東京下谷に生れ、3歳のとき藤平家の郷里、栃木県に帰る。
幼少の頃は身体が非常に弱く、
これを心配した柔道四段の父親の手ほどきで、柔道を始め、丈夫になる。
慶應大学予科在学時、柔道の稽古中に胸を痛め、肋膜炎になる。病後、強い身体と心を求めて禅や
みそぎの呼吸法を修行
禅を京都大徳寺管長大田常正老師に学び、みそぎを山岡鉄舟高弟小倉鉄樹先生およびその後継者
日野鉄叟先生に学ぶ。
19歳の時、植芝盛平門下に入り、合氣道を始める(後に最高段位十段をゆるさる)。
23歳、慶應大学卒業と同時に宇都宮、東部三十六部隊に入管し、豊橋予備士官学校を卒業。小隊長
となって中国大陸に派遣され、軍隊生活4年間をおくる。
終戦後再び禅、みそぎ、合氣道の修行に打ち込むかたわら、護国寺で統一道を説いておられた中村天風
先生に師事する。
1953年より1982年の間に28回渡米・渡欧し、「氣の原理」および合氣道を普及する。
1971年9月、国内に「氣の原理」を普及するために『氣の研究会』を創立する。
1974年5月、「氣の原理」に基づく合氣道の必要性を強く感じ、『心身統一合氣道会』を創立する。
1977年10月、厚生省より国民の健康に寄与することを目的とした財団法人を認可され、財団法人
『氣の研究会』となる。
1980年1月、各家庭において誰でもできる「氣の原理」に基づく「鎮心の行」「氣の呼吸法」「氣圧療法」
を普及するため、「氣の実践会」を創立する。
1980年4月、自己の健康管理の方法として氣圧療法を確立し「氣圧療法学院(現氣の健康学院)」を
創設する。
1997年4月、心身統一合氣道会の指導者養成機関として専門学校『藤平学園心身統一合氣道学院』
を創設する。
氣に基づく王貞治氏への指導、元横綱千代の富士の脱臼をみるなどさまざな分野で活躍する。
現在、氣の研究会宗主。

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