兵法 三十六計

兵法 三十六計とは

宋代、南宋に壇道済(たん・どうさい)という将軍がいた。壇道済は自分の軍人としての経験から身につけた三十六計を用い、乱世を生き延びた。南宋の時代は特に、北からは契丹族の遼を倒した女真族の金が河北(黄河以北)を占有し、北西からは蒙古が勢力を伸ばしてくるという動乱の時代だった。異民族の圧倒的な力の前に翻弄された南宋のなかで、将軍として生きることの難しさは察するに余りあるだろう。
三十六計は、「孫子」をはじめとする中国古来からの兵法のエッセンスを取り入れ、動乱の時代を如何に乗り切るかを追求した兵法である。その構成は「勝戦の計(自軍が優勢の時に用いる計)」、「敵戦の計(彼我の兵力差があまりない場合に用いる計)」、「攻戦の計(攻める時に用いる計)」、「混戦の計(混戦状態の時に用いる計)」、「併戦の計(他国と連合して戦う場合の計)」、「敗戦の計(自軍が劣勢の時に用いる計)」の六部から成り立っている。
三十六計は清代になって編纂されたものだが、誰の手によるのかはわかっていない。
その評価は時代を経るにつれて上がり、中国人民解放軍(中国正規軍)では必須のテキストとなっている。
「三十六計」には「孫子」に見られるような「戦の美学」はない。どんな手段を使ってでも生き残るという思想が色濃くにじんでいる。それは、数多の王朝変遷を繰り返してきた中国の民の遺伝子として植え付けられてきたものだとも言える。戦に美学を求める方でも、「三十六計」を知っていれば、狡猾な敵に対する予防策をとることができる。そういう意味で、「三十六計」を学ぶ意義は深いと言える。 三十六計の構成は次の通りである。
(勝戦の計-第一計「瞞天過海」、第二計「囲魏救趙」、第三計「借刀殺人」第四計「以逸待労」、第五計「趁火打劫」、第六計「声東撃西」、
敵戦の計-第七計「無中生有」、第八計「暗渡陳倉」、第九計「隔岸観火」、第十計「笑裏蔵刀」、第十一計「李代桃僵」、第十二計「順手牽羊」、
攻戦の計-第十三計「打草驚蛇」、第十四計「借屍還魂」、第十五計「調虎離山」、第十六計「欲擒姑縦」、第十七計「抛磚引玉」、第十八計「擒賊擒王」、
混戦の計-第十九計「釜底抽薪」、第二十計「混水摸魚」、第二十一計「金蝉脱殻」、第二十二計「関門捉賊」、第二十三計「遠交近攻」、第二十四計「仮道伐虢」、
併戦の計-第二十五計「偸梁換柱」、第二十六計「指桑罵槐」、第二十七計「仮痴不癲」、第二十八計「上屋抽梯」、第二十九計「樹上開花」、第三十計「反客為主」、
敗戦の計-第三十一計「美人計」、第三十二計「空城計」、第三十三計「反間計」、第三十四計「苦肉計」、第三十五計「連環計」、第三十六計「走為上」)

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禅と老荘思想

今の世間を救うのは禅か老荘か

弱者(人生の落伍者として)の生き方--風狂のススメ--
(1)『何せうぞ、くすんで、一期は夢よ、ただ狂へ』閑吟集
何になろうか、まじめくさって、人間の一生なんて夢でしかない。ひたすら遊び狂え。
世間の要求に対しては「狂っちゃったから、何もできませんよ!」
「明日できることを今日するな。他人が出来ることを自分がするな。」ローマの諺
(2)目的主義を捨てる
「失業したら、失業生活を楽しむ。」
目的主義で過程を楽しまない人は、目的が達せられれば幸いだが、達せられない場合は苦労しか残らない。その苦労が大事だと言う人はそう生きればいいけど。
目的主義でない人は目的が達せられれば、過程も楽しんだんだから二重の喜び、もし、目的が達せられなくてもその過程が楽しめたから良かったと言える。
(3)日本人の奴隷根性はいい加減やめたほうがいい
「~しないといけない」は「~」に束縛された奴隷。
日本人が植え付けられた世間と常識という軛を断ちきるべき。

項羽と人心把握術

「好漢、惜しむらくは兵法を知らず」大江匡房

秦の始皇帝の死後、劉邦と天下をかけて争った項羽。体格も良く、まさに猛将。いつも自軍の戦闘に立って敵を何十人、何百人と倒した豪快な男。
でも、彼は劉邦に最終的に敗れた。項羽は一武将としては比類を見ない才能があったが、人を使う才能はなかったと言われている。
青年の頃、真面目に武芸の稽古をしない項羽を見て、伯父の項伯は諌めた。項羽は「武芸は一人を倒せれば十分だと思います。僕は何百、何千を倒す方法を習いたいんです。」と言ったという。
その頃にはもう「孫子」や「呉子」等の兵法書は既に広まっていたはず、なんで、伯父の項伯は項羽に兵法書を買い与えるとか、用兵術を教えるとか、人心をつかむ術を教えなかったのか?
項羽自身も、自分が身につけるべきものをわかっていたのに、何故!?もし、項羽に用兵の才、人心把握の才があったなら、天下は彼のものだっただろう。

兵法書とビジネス書の違い

兵法書はビジネスの現場に適用できるか!?

「孫子」をはじめとする古典中国の兵法書をビジネスに生かそうという書籍も多くありますが
ただ、「敵を駆逐する」「ライバルを蹴落としてビジネスに勝つ」という目的で用いると失敗するケースも多々あると思います。
何故なら、兵法書の著者のほとんどが、非戦論者であり、最終手段として、戦争に訴えることを記しているからです。
兵法書の著者は一定の道徳規準を持って著書を書いています。
ですから、ビジネスに適用する場合も、ただテクニックとして用いるのではなく、その根底にある道徳規準を考慮して使う必要があると思います。
長らく読み継がれてきた兵法書は、ただ「全ての敵を倒して、成功者となる!」為のテクニックを教える本ではないのです。

日本人と世界史

日本史(戦国時代、幕末)と三国志

日本人は概して世界史よりも日本の戦国時代や幕末に関心がある方が多いです。自国の歴史に関心を持つのは当然だと思いますし、自国の歴史の中でも、一番動きのあった時代に惹きつけられるのも当然だと思います。
日本人が最も関心がある世界史は「三国志」(「三国志演義」)ですね。もう20年以上前ですが、NHKが人形劇「三国志」を放送した影響がとても強いと思います。
世界史に興味を持つメリットは何でしょうか?色々あると思います。
ナポレオンは帝政を敷いてから暴君への道を辿ってしまいましたが、そこに上り詰めるまでは英雄でした。彼の軍人としての姿勢、政治家としての政策には、彼が幼少のころから熱心に学んでいたローマ史がありました。
でも、ナポレオンはイタリア移民という見方もできるから、ローマ史は広い意味で自国の歴史になるとも言えますね。

ナポレオンとマスメディア

イケメン将軍の肖像画は宣伝の為!?

ナポレオンが馬にまたがり、指を差すポーズの格好いい肖像画は有名ですが
あれはナポレオンが若き日に、アルプスを越えイタリアに攻め込むシーンを描いたものです。
でも、実際はあんなに格好良くはなかったそうです。あの肖像画を描かせてフランス中にばらまき、ナポレオンを英雄視させるための戦略だったそうです。
今も昔も世論を味方にするにはイメージ戦略は大事なんですね~。
古代ローマでは皇帝の顔がいろいろな宣伝文句やイメージと共に銀貨に彫られました。
民衆がかならず毎日見るお金ですから、宣伝効果は絶大だったでしょうね。

アメリカとローマ

パックス・ロマーナとピース・オブ・アメリカ

現在のアメリカは古代ローマ帝国とよく比べられます。
第二次大戦直後まではアメリカの敗戦国への統治理念は古代ローマと似ていたかもしれません。
アメリカのマッカーサー元帥は民主主義体制はとりいれたものの、日本の天皇や官僚体制はそのまま温存しました。
その方が統治しやすかったからでしょう。
すべての統治組織を壊してしまうと、各地の有力者がその地域で実権を握り群雄割拠の世となり、統治には軍事力の投入(膨大な軍事費と人的犠牲)が不可欠となってしまう。
今のアフガニスタン、イラクを見ればわかるように、もう収拾不可能な無政府状態になっています。

古代民主政

古代ギリシア・ローマの民主政体

「民主政体」は近世のブルジョア革命以降のものとばかり思っていましたが、
古代ギリシア、ローマでは直接民主政体が既に確立されていたのには驚き。
それに対して、古代オリエントでは「絶対君主政体」がとられてきました。
中近東のイスラム諸国、日本を含む東アジア諸国は古代オリエントの政体を選んできたわけですね。
しかし、西欧諸国では逆にローマ帝国以降は絶対君主制に向かってしまうというのも興味深い。

建国記念日

神武天皇と建国記念日

『日本書紀』によると建国記念日は神武天皇が即位した日にあたります(紀元節)。
明治政府が発足し、内閣が構成されるまでの中継ぎとして、奈良時代律令制度が開始された当時の内閣にあたる太政官が行政の最高機関の役割を果たしたそうです。
その太政官発付というかたちで、建国記念日は制定されました。
その他、旧四大節として明治節(明治天皇の誕生日、現在は11月3日文化の日)
四方拝(1月1日に天皇が四方の神々、山々を拝み五穀豊穣と国の安寧を祈る儀式)
天長節(天皇誕生日の旧称)などがあります。
国家神道的な色彩を薄めるために名称が変えられて今に残っているようです。

サラ・コナー

サラの意味は「万民の母」

『旧約聖書』創世記の中で、アブラハムの妻サライからイサクが生まれ、ユダヤ民族が増えていきました。
神はサライに「お前は万民の母」となると預言しており、そのしるしとして「サラ(万民の母)」という名前を与えました。
もう十年以上前、ハリウッド映画『ターミネーター』を観たときに「人類をロボットの支配から救うリーダーの母の名はサラ・コナー」でした。
ハリウッド映画には聖書的な洞察が未だに残っているのには苦笑しました。

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