雨あがる
それ以上の言葉が見つからないでいた彼女に、夫は続けた。 「大したことではないのです。私の誇りは、剣の腕にあるのではない。あなたのために生きていることそのものが、私の誇りです」 二人で暮らすようになってから、何度となく言われた言葉だった。 自分は愛する男につらいことをさせているという痛み。それと同時にそこまでしてもらえるという幸せ。 二つがないまぜになった感情がいつも彼女の胸を震わせた。 後ろめたいほどのこの幸福感が切なくて、 「レオニス」 抱きついてきた彼女を、夫はしっかりと受けとめる。 「ですが、そのことであなたに心配をかけるのは、私の本意ではありません。もうあれはやめましょう」 「本当ですか」 彼女は瞳を輝かせて顔を上げた。 以前見た男たちの笑いが思い出される。 愛されている証として、これほどのことをしてもらえるのは嬉しいが、たとえ自分のためでも、いや、自分のためだからこそ、夫があのように笑われるのはやはり耐えがたい。 「負けた振りをしていても、本当は自分の方が強い、という矜持が私の支えでした。私がわざと負けているのもわからない未熟者め、と内心で相手をおとしめることで、プライドを守っているつもりだった。あさましいことです。ですが、この一週間のここでの暮らしが、少し私を変えたようです」 夫は彼女を抱く腕に力を込める。 「旅はもうやめましょう。どこか田舎の村に家を買い、そこに二人で住みましょう。私は剣を捨て、鍬や斧を手にして、日々の糧を稼ぐことにします」 「剣を捨てる?」 「すべてを捨ててきたはずなのに、剣にこだわるなど、愚かでした。騎士をやめた時、剣も置くべきだったのです。言ったでしょう。私の誇りも真心も、ディアーナ、すべてあなたのためだけにあるのだから」 逃げ回りながら生きるのをやめ、ひとところに根を張って、地に足をつけた生活をしようと、夫はそう言っているのだった。 外側だけでなく、もう一度心の中の枷を外し自由へと踏み出す決心をするために、今までの旅があったのだ。、 「なんだかプロポーズみたいに聞こえますわ」 「そうかもしれません」 「もう夫婦なのに」 「いやですか」 「いいえ、とっても嬉しいですわ。二人だけのお家ですね」 「そのうちもっと人数が増えるでしょう」 「まあ、そうですわね、ふふふ」 照れたりしないで朗らかに笑った彼女は、夫の腕の中からふと窓の外を見て、歓声を上げた。 「見て。雨が上がったようですわ。日が差しています」 二人は窓際に立つ。 降り続いた雨が止み、雲の切れ間から何日ぶりかの青空が覗いていた。 「あ、虹」 彼女が指差す東の空に、薄く七色の橋がかかっているのが見える。 まるで、二人の新しい決心が形になって現れたかのような虹。 「これなら明日出発できます。今晩のうちに、どこへ行くか考えなくては」 「ここではだめでしょうか、わたくし、ここの人たちとても好きです」 「それでは私たちが住める土地があるかどうか、聞いてみます」 「今日の夕食は、わたくしも下の食堂で一緒に食べます。もう仮病は必要ありませんもの」 二人は楽しそうに嬉しそうに、これからの話をした。 そう、これから。 明日からの道が、けして平坦ではないと知っている。 だが、地道にありふれた日常を暮らしていける幸せが一番だということも知っている。 そのためなら、二人とも、どんな努力も惜しむつもりはない。 雨が降ってぬかるんだ道も乾けば堅い大地になる。 すぐに消えてしまう虹も、これからを示すしるべの橋となる。 二人の生活の第二章が始まる。
「雨あがる」というのは、山本周五郎原作・黒澤明脚本・小泉堯史監督の映画から作った話です。 小説も映画も、同じタイトル。基本に使ったエピソードも同じ。 プロがやればパクリです。出典を示すので見逃してください。 この作品で描かれている、夫婦愛とか、剣豪ってなんだろうとか、そういうテーマが、もろレオディアだと思ったんです、見た瞬間。 見た後の晴れ晴れとした雰囲気も、真似したかったんですが、どうでしょう。 敬語(丁寧語)で喋る夫婦が書きたいというのもありました。丁寧でいて他人行儀でない、日常的な夫婦の愛情。 あとは若奥様のディア。あんまり子供っぽくないようにしたつもりです。 いろいろ意図的にしていることもあるのですが、狙った効果が出ているといいです。 山本周五郎でレオディア思い付くなんて、私だけですかねえ。 |