夜明
 
  
「・・・あなたを連れて行きます。幸せとはきっと、あなたと共にあるのだろうから・・・」 
 レオニスはそっとディアーナの肩を抱くと、黙って振り返った。 
 月明かりの中、神殿の門へと続く小道に、浅葱色の髪を揺らして一人の人物がたたずんでいる。 
「お兄様!? ずっといらしたんですの!?」 
「見張りを付けていたんだよ、ディアーナ。こんなことになると、信じたくはなかったが」 
 セイリオスは二人の前に歩み出ると、冷ややかに、しかし確実に怒りを込めたまなざしでレオニスを見た。 
「近衛騎士団の小隊長ともあろう者が、王女の誘拐を企てるとはな」 
「・・・・・・騎士位は返上してまいりました」 
 顔色一つ変えないレオニスは、こうなることを予期していたようにも思える。だがディアーナとしては、黙って引き下がることはできない。 
「誘拐だなんて、ひどいですわ。どうしてお兄様はわたくしの意志を無視するんですの? 先月の舞踏会だって、わたくしが自分から行ったのに、お兄様はレオニスを咎めだてして・・・」 
 ディアーナの必死の抗議も、セイリオスの耳には少しも届いていない風だった。 
「行かせるわけにはいかない」 
「もとより、お許しいただけるなどと、思ってはおりません」 
 レオニスの返答に昂じることもなく、セイリオスはゆっくりと剣を抜く。ディアーナは息をのんだ。 
「・・・・・・殿下・・・」 
 レオニスは、かばうようにディアーナの前に立つ。だが、隙こそ見せないものの、抵抗する気配もない。 
 ディアーナははっとした。 
 まさか、レオニスはすすんでお兄様の手にかかるつもりじゃ・・・? 
 そう思っても、これまでにない兄の険しい表情と、レオニスの張り詰めた背中に、何も言うことができない。 
 殺気にも似た緊張感が走る。 
 その時、突然塀を飛び込えて、まっすぐに走ってくる者があった。 
「隊長! お助けいたします!」 
「シルフィス・・・!」 
 なぜここに、と問う間もなく、シルフィスは、セイリオスとレオニスの両者から等距離の位置で立ち止まると、護身用の剣を構えた。 
 ディアーナはもちろん、セイリオスにとってもレオニスにとっても、それは全く予想外の出来事だった。 
 三人は、しばし言葉を失ってシルフィスを見つめる。 
 最初に状況に対応できたのはレオニスだった。 
「やめろ、お前はこれから騎士になる身だぞ!」 
 一方、セイリオスの受けた衝撃の方が、はるかに大きいように見えた。 
「皇太子である私に剣を向けるのか」 
 尊大な台詞であったが、むしろその声には自嘲の響きがあった。 
 二人の目を交互に見据えながら、シルフィスは、真剣な面持ちで言い放つ。 
「殿下、不敬どころか叛逆にも等しいこの行為、弁解はいたしません。殿下に対する敬意に、いささかも変わりはありません。ですが、殿下が公私を混同されて、隊長と姫に害をなそうとなさるなら、私にも覚悟がございます」 
「ディアーナだけでなく、お前まで・・・私から離れていくのか・・・」 
 明らかにセイリオスは動揺していた。 
 悲哀と苦渋に顔を歪ませる兄の姿を、ディアーナは、まるで迷子の子供のようだと思った。こんな兄を見るのは初めてだった。 
「・・・私は皇太子の器ではないということか・・・やはり、私が・・・だから・・・」 
 ぴいいいーっ。 
 不意にどこからか、短い指笛が鋭く響いた。 
「隊長、神殿前に、ガゼルが馬車を回しています、お急ぎください!」 
「なに、ガゼルまで・・・」 
「騎士見習いとして、隊長をお引止めするのが正しい行動なのはわかっています。ですが、隊長と姫が幸せになろうとしているのに、どうして邪魔をすることができましょう。たとえ、殿下や騎士団のみんなからは憎まれることになっても、お二人のお役に立てるなら、私はそれで幸せです」 
「シルフィス・・・あなたは・・・」 
 その時ディアーナは気付いていた。シルフィスの決然とした声の陰にある悲しみに。 
 シルフィスは、軽薄な正義感に浮かされてこんなことをしているのではない。 
 ここに至るまでに、どんなに迷い、苦しんできたことか。自分が外出禁止であった一ヶ月の間に、何があったのかはわからない。 
 だがその間、レオニスが悩んでいたように、同時にシルフィスもまた悩んでいたのだ。 
 そしてまた、それがわからないセイリオスではなかった。 
「お前に剣を向けられるのは、つらいな」 
 力なく微笑むと、セイリオスは剣を鞘に納めた。既にいつもの自制心を取り戻している。 
「もう何も言うまい。二人でどこへなりとも行くがいい。よい部下を持ったな、レオニス」 
 だが、そう言われたレオニスは、身じろぎもせずセイリオスを見つめていたが、すぐに彼の前に膝を折った。 
「どういうつもりだ?」 
「私が間違っておりました、殿下。殿下がお怒りになられたのも当然です。もう逃げるような真似はいたしません。殿下を通じて、国王陛下に対し、ディアーナ姫との結婚を正式に申し込ませていただきます」 
「レオニス!」 
 叫んだのはディアーナだった。 
「それでいいだろうか、ディアーナ」 
 はにかんだように振り向くレオニスに、ディアーナは黙ってしがみついた。そうしていないと、泣き出してしまいそうだったから。 
「私は、姫を手に入れようとして、別な大切な物を失うところでした。それだけでなく、姫にまで犠牲を強いて・・・目を覚ませてくださったのは、殿下と、そしてシルフィスです。ありがとうございます」 
 セイリオスは、不思議に落ち着いた気持ちでその言葉を聞いていた。彼とて、妹の幸せを願わないはずがない。 
 ただ、どうしても過去の経緯から、レオニスが妹を、誰かの身代わりとしてでなく、本当にディアーナその人として愛しているのかどうか、信じることができなかったのだ。 
 だが今はもうわかる。 
「父上がお許しになる保証はないが・・・そうしたいならするがいい」 
そのまま踵を返して立ち去ろうとしたセイリオスの前に、今度はシルフィスが駆け寄ってきて膝をついた。 
「お待ちください、先ほどのご無礼、私は・・・」 
「いいんだ、シルフィス。私も醜態を見せてしまった。今日のことは・・・そう、身分や地位に関係なく、ただ四人の人間の間に起こったことだ。そういうことにしておこう」 
「セイリオス殿下・・・」 
「いや、五人だったね。門の前で誰か待っているのではなかったかい?」 
「あっ、しまった、ガゼル! 殿下、失礼します!」 
 ぴょこんと頭を下げると、シルフィスは慌てて走って行った。さすがに冷静になってみると、その場にいることが気恥ずかしくなったせいもある。 
 シルフィスの後ろ姿を見送りながら、セイリオスはぼんやりと考える。 
 自分が失いたくないもの、何をもってしても手に入れたいものとは、一体何なのだろうか。クラインの平和、ディアーナの笑顔、それとも・・・。 
 いつのまにか、東の空は、濃紺の夜の色から、冴え冴えとした明るい朝の色に変わろうとしていた。夜が明ける。新しい一日が始まる。 
 


 
駆落ちなんて納得できないわ。これでディアーナとレオニスは幸せね!と思った方は
→後書きへ
 
そんなに簡単に身分の差が越えられるとは思えないわ。まだまだ波乱がありそう!と思った方は
→こちらへ(第2話)
 

    そうです。レオニスが駆落ちなんて納得できません。逃げちゃ駄目だ。  
    マリーレインとの間に何があったのか、詳しいことは不明ですが、過去の失敗からあんまり学んでいるように思えません。  
    マリーレインとも逃げればよかったと思っているのか、お前は!という感じです。  
    ディアは嫌いじゃないんですが、ちょっと残念なEDでした。ディア駆落ちED多すぎ。  
    セイルディアだけど駆落ちが嫌、という方々と、根っこの気分は同じです。  
    という訳で、逃げないEDを目指してみました。  
    ファンタ初創作にして、既に、隊長の幸せのために殿下を犠牲にする秋原みかるの作風が出来上がっていますね・・・ 
 
 
 
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